練馬桜台聖書フォーラム

33の事項:位置的真理 レジュメ (16)2024年 10/26

2024.10.28

カテゴリー:33の位置的真理, お知らせ, 学び

33の事項:位置的真理についての学びレジュメ(16)2024年10/26

 

Q&Aは興味深いです

 

 2011年フルクテンバウム博士セミナー
聖書が教える救いとは』の後半
33の事項:位置的真理についての学び
THIRTY-THREE THINGS:
A STUDY OF POSITIONAL TRUTH

(テキスト) (チャート)を学んでいます。


ご購入はこちらから(MP3版)

 

レジュメもくじ

前回のレジュメ

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です(セミナーでは新改訳3を使用しています)。
ここでは原則 口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会 を使用しています)
新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
「新共同訳」とは聖書 新共同訳©共同訳聖書実行委員会

「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です。
黒色の文章がセミナーの説明文
緑色の文章はHP編者による補足説明

 

 

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

紙の聖書「新改訳2017」こちらをどうぞ

 

初めに
Ⅰ.贖い(REDEMPTION)
Ⅱ.和解 (RECONCILIATION)
Ⅲ.なだめ (PROPITIATION)
Ⅳ.赦し(FORGIVENESS)
Ⅴ.義認(JUSTIFICATION)
Ⅵ.栄化(GLORIFICATION)
Ⅶ.解放(DELIVERANCE)
Ⅷ.割礼(CIRCUMCISION)
Ⅸ.神に受け入れられる(BEING ACCEPTABLE TO GOD)
Ⅹ.御霊の初穂(THE FIRSTFRUITS OF THE HOLY SPIRIT)
Ⅺ.神の永遠の計画の中に(IN THE ETERNAL PLAN OF GOD)
Ⅻ.岩(メシア)の上に置かれている
(BASED ON THE ROCK:  THE MESSIAH)
ⅩⅢ.近い者とされた(MADE NIGH)
Ⅻ.岩(メシア)の上に置かれている
(BASED ON THE ROCK:  THE MESSIAH)
ⅩⅢ.近い者とされた(MADE NIGH)
ⅩⅣ.聖なる祭司の一員とされた
(MEMBERS OF A HOLY ROYAL PRIESTHOOD)

ⅩⅤ.神の国に移された(TRANSFERRED INTO GOD’S KINGDOM)
ⅩⅥ.選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民
(A CHOSEN GENERATION:  A HOLY NAION:  A PECULIAR PEOPLE)
ⅩⅦ.天国の市民(CITIZENS OF HEAVEN)
ⅩⅧ.神の家族の一員(IN THE FAMILY OF GOD)
ⅩⅨ.養子縁組(ADOPTION)
ⅩⅩ.神の子(CHILDREN OF GOD)
ⅩⅪ.聖徒の交わりの一部
(PART OF THE FELLOWSHIP OF THE SAINTS)
ⅩⅫ.主にある光(LIGHT IN THE LORD)
ⅩⅩⅢ.天的な関連性(HEAVENLY ASSOCIATIONS)
ⅩⅩⅣ.満ち満ちている(COMPLETION)
ⅩⅩⅤ.すべての霊的祝福を所有している
(IN POSSESSION OF EVERY SPIRITUAL BLESSING)
ⅩⅩⅥ.父なる神から子なる神への贈り物
(A GIFT FROM GOD THE FATHER TO GOD THE SON)
ⅩⅩⅦ.メシアの受け継ぐ遺産
(MESSIAH’S INHERITANCE)
ⅩⅩⅧ.相続人(HEIRS)
ⅩⅩⅨ.律法からの解放(FREED FROM THE LAW)
ⅩⅩⅩ.古き人が裁かれ新しい歩みが始まった
(THE JUDGMENT OF THE OLD MAN UNTO A NEW WALK)
ⅩⅩⅪ.父、子、聖霊に結ばれた
(UNITED TO THE FATHER AND TO THE SON AND TO THE HOLY SPIRIT)
ⅩⅩⅫ.神に近づくこと(ACCESS TO GOD)
ⅩⅩⅩⅢ.神の大いなる守りの中にある
WITHIN THE MUCH MORE CARE OF GOD
質問タイム

 

 

33の位置的真理
Q&A2/2

 

 

質問タイム

(セミナー参加者の方々からの質問です。)

 

Q2:

携挙されたのち
いつ復活のからだをいただくのか?

 

その後地上の千年王国に戻ってくるという理解でよいのか?

 

また携挙の起きる前に
信者が亡くなった場合どこで待機しているのか

 

A2:

携挙のあといつ復活のからだをいただくのか?
携挙される瞬間に
復活のからだをいただく

 

そのあと地上の千年王国に戻ってくるのか?
それでOK
死後の世界レジュメ(17)

 

教会時代になるとイエスさまが天に挙げられる
携挙が起きる前に死んだ
例えば今私たちが死ぬとどこへ行くかと言うと
いわゆる天に行く
それはイエスさまがおられる所
そして携挙された時に
その魂と(栄光の)からだとが合体する
中間状態については死後の世界レジュメ(6)

携挙の時には既に死んでいる人(教会時代の聖徒)に先に復活が起こる
それから生きている私たち
第一の復活の順番については千年王国レジュメ(4)後半

 

ジョークは割愛させて頂きます。
聞きたい方はMP3のご購入をどうぞ

 

 

 

 

 

Q3:

ヨハネ3:5
ヨハ 3:5 イエスは答えられた。
「まことに、まことに、あなたに告げます。
人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。
(新改訳3)
この聖句によれば
水によって生まれる必要が書かれている
一方ルカ23:43
ルカ 23:43 イエスは、彼に言われた。
「まことに、あなたに告げます。
あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
(新改訳3)
とあり
この人はバプテスマなしにパラダイスに行った
そうするとヨハネ3:5の
水と御霊によって生まれるというのは
どういう意味なのか?

 

A2:
(中川健一牧師による答え)
これはフルクテンバウム先生が以前教えてくださった

水によって生まれるというのはへブル的な言葉
ラビ的用語であり
これは肉体的に母の胎から誕生すること

 

つまり肉体的誕生と霊的誕生をもって
神の国に入る権利が与えられるということ

水によって生まれるとは
羊水と共に生まれるという意味
私たちが言う洗礼のことではない

 

 

 

 

 

Q3:

33の事項についてのセミナーの中で
この順序で取り上げている理由
教えてほしい
何らかのカテゴリー分けができれば学びを深める助けになると思うので

 

A3:

この順番は特に意味がない
どんな順番でもいい

 

 

 

 

 

Q4:

キリストのうちにあるという位置的真理が
サタンと悪霊に対する戦いにおいて有効であるのが分かった

では肉に対する戦い
この世に対する戦いに関して
何か有効なものがあるか?

 

A4:

この世に対する戦いとしては
ローマ12:1~2が参考になると思う
ロマ 12:1 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。
それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。
むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。
そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
(新改訳2017)

それは神の言葉を学ぶことによって
心を思いを一新するということ

この世の戦いの内容とは理性的なもので
私たちがいかに考えるかということへの攻撃
だから新聞雑誌を読んでそこに書かれてあることに影響されてくるとそれが真理であるかのように思ってしまう
例)
進化論が真理だ
中絶はしてもいい
そういうこの世の価値観を持つようになる

だからみ言葉を学ぶことによって
私たちの価値観や思考の方法を
聖書の方に切り換えて神のみこころを行う
ということをしていかなければいけない

 

 

肉に対する戦いというのは
罪の行為ということですよね
ここでは悪霊との戦いと同じように
位置的真理を思い出して
罪に対して私たちは死んでいる
ということを再確認すること

私たちは誘惑に対して戦うわけだがそれは神のみことばを武器にして戦う


エペソ6:10~18で霊的戦いの神の武具についてパウロは語っている
エペ 6:10 最後に言う。
主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
6:14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、6:15 平和の福音の備えを足にはき、6:16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
6:17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
6:18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。

霊の戦いのセミナーに行くと
その武具を一つ一つ取り上げてローマ兵がいかにしてこれによって守られたかという話を聞く

よく聞かされるのは
朝起きると一つ一つの武具をつけることを確認しなさいということ

例えばヘルメットを被り胸当てをつけ靴を履く
こういう儀式を行って霊の戦いを戦うという
しかし私はその人たちに対しての疑問がある
朝起きた時にそれを着けなくてはいけないのなら寝る時に外さなければいいのではないか
あなたが寝ている間にサタンがあなたと同じように寝ていると思うのか
武具を外すなんて

実は一つ一つの武具が旧約聖書からの引用になっている
つまりその武具をつけるというのは
神のみことばを理解しそれを適用するということを言っている

私たちはこういう儀式をして
サタンを恐れさせることなんかできない
しかし神の言葉を適用し実行したら
サタンはおののく

 

イエスさまがあの荒野で罪を犯すように誘惑された時に戦った方法はまさにそれ
サタンをいろいろな呼び名で罵倒したのではない
7回グルグル回ったわけでもない
あるいはサタンを縛ったわけでもない
イエスさまがされたのは
その誘惑にふさわしいみことばの引用

だから霊の戦いというのはそんなに複雑ではない
しかしそれをするにはみ言葉を学びそれを適用するという自己訓練が非常に必要
知識があるだけではその人は傲慢になる
けれども同時に知らないことを適用するということは不可能
だから理解することと適用するということとは
バランスよく行わなければならない

みことばを学びそれを日々適用していく
それこそが霊の戦いに勝利する
最大の秘訣

 

_____

一つ一つの武具が旧約聖書からの引用とは以下の箇所でしょうか?

ヨブ 40:7a 「あなたは腰に帯して、男らしくせよ。
イザ 11:5 正義はその腰の帯となり、忠信はその身の帯となる。

出 28:30a あなたはさばきの胸当にウリムとトンミムを入れて、アロンが主の前にいたる時、その胸の上にあるようにしなければならない。

イザ 52:7 よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と/言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。
ナホ 1:15a 見よ、良きおとずれを伝える者の足は山の上にある。

サム下 22:3 わが神、わが岩。わたしは彼に寄り頼む。わが盾、わが救の角、/わが高きやぐら、わが避け所、/わが救主。あなたはわたしを暴虐から救われる。
サム下 22:31 この神こそ、その道は非のうちどころなく、/主の約束は真実である。彼はすべて彼に寄り頼む者の盾である。
サム下 22:36 あなたはその救の盾をわたしに与え、/あなたの助けは、わたしを大いなる者とされた。
詩 7:10 わたしを守るは神である。神は心の直き者を救われる。

イザ 59:17 主は義を胸当としてまとい、救のかぶとをその頭にいただき、報復の衣をまとって着物とし、熱心を外套として身を包まれた。
イザ 49:2 主はわが口を鋭利なつるぎとなし、わたしをみ手の陰にかくし、とぎすました矢となして、箙にわたしを隠された。

 

 

 

 

 

Q5:

最後の質問

永遠の命について教えてほしい
キューブラー・ロスとかカトリックのシスター鈴木秀子さんとか臨死体験の本がありどんな宗教でも死後光の中に入ったという事実があると
すべての人の霊は一つに繋がっていて死後はそこに帰ると言われている(?)
クリスチャンの肉体の死後の霊とは
どう違うのか?

 

A5:

このいわゆる臨死体験というのは
信者であっても未信者であっても
どうやら似たような体験をすることが報告されている
光の姿を見ると言うがその光が誰のことかは
その人たちが生きてきた背景によって異なる
クリスチャンであればその光の人物というのは
イエスさまに見える
ユダヤ人であればそれは天使に見える
この体験というのは聖書の教えとは矛盾している

この体験を持った未信者が臨死体験から帰って来て
必ずしも信仰に導かれるわけではない

私の家内のおじさんはこの経験をした
彼はこの体験したあと死ぬのが怖くなくなったと言ったが最後は無神論者で死んでいる

おそらくこう言うことが許されるだろう
臨床的に死んだと言えても
これは聖書的な死ではない

聖書的死を定義すると
人間の肉体的部分と霊的部分が
完全に分離すること

だから聖書的死で言えば
その人が再び帰ってくるというのは
復活でなければならない

蘇生では聖書的死とは言えない

 

だから臨死体験を報告している人たちは
聖書的死を体験しているとは言えない
というのが私の結論

死後については死後の世界レジュメ

 

 

 

これで7か月ほど学んできた1日分のセミナーの内容が終わりました。
長い間おつきあい頂きありがとうございました。

 

 

 

33の事項:位置的真理(17)2024年11/9
33の位置的真理まとめメッセージ予定

 

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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