練馬桜台聖書フォーラム

33の事項:位置的真理 レジュメ(2)2024年 3/9

2024.03.12

カテゴリー:33の位置的真理, お知らせ, 学び

33の事項:位置的真理についての学びレジュメ(2)2024年3/9

 

信者は罪の奴隷市場から買い戻されて自由になった。
そこから自発的にキリストの奴隷になることを選ぶ。

 

 2011年フルクテンバウム博士セミナー
聖書が教える救いとは』の後半
33の事項:位置的真理についての学び
THIRTY-THREE THINGS:
A STUDY OF POSITIONAL TRUTH

(テキスト) を学んでいます。


ご購入はこちらから(MP3版)

 

レジュメもくじ

前回のレジュメ

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です(セミナーでは新改訳3を使用しています)。
(ここでは原則、口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会 を使用しています)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会 

「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です。
紫色の聖句参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version  ASVです。)
黒色の文章がセミナーの説明文

緑色の文章はHP編者による補足説明
茶色の文章Dr.Arnold G. Fruchtenbaum 『A Messianic Bible Study from Ariel Ministries』
MBS110 THIRTY-THREE THINGS:  A STUDY OF POSITIONAL TRUTH からの補足説明です。

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

紙の聖書「新改訳2017」こちらをどうぞ

 

初めに
Ⅰ.贖い(REDEMPTION)
Ⅱ.和解 (RECONCILIATION)


 

 

セミナーテキスト2ページ(31/48)

Ⅰ.贖い
(口語訳聖書はひらがな表記の「あがない」)

REDEMPTION

 

 

(1)

聖句

 

ロマ3:24
ロマ 3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(新改訳3)
Rom  3:24 being justified freely by his grace through the redemption that is in Christ Jesus,

 

第一コリント1:30
Ⅰコリ 1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。
キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。(新改訳3)
1Co 1:30 But of him are you in Christ Jesus, who was made unto us wisdom from God, and righteousness and sanctification, and redemption:

 

エペソ1:7
エペ 1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています
これは神の豊かな恵みによることです。(新改訳3)
Eph 1:7 in whom we have our redemption through his blood, the forgiveness of our trespasses, according to the riches of his grace,

 

 

コロサイ1:14
コロ 1:14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。(新改訳3)
Col 1:14 in whom we have our redemption, the forgiveness of our sins.

 

 

共通しているのはinという言葉
うちにあるという言葉が使われている

 

 

 

 

(2)

あがないの代価はメシアの血

 

 

贖いとは「買い戻す」という意味

買い戻すためには代価を払わなければならない
その代価がメシアの血

 

第一コリント6:19~20
一コリ 6:19 あなたがたは知らないのか。
自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
6:20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。
それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

パウロ

 

 

第一ペテロ1:18~19
一ペテ 1:18 あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、1:19 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。

ペテロの場合は過越の祭りでほふられる「過越の子羊」という概念が背景にある

 

 

 

 

(3)

3つのギリシア語

 

この贖いという概念は3つのギリシャ語からきていて
それぞれ微妙に意味が異なる。

 


アゴラゾウ
agorazo

 

意味: 買う 罪の代価を支払う
to purchase

私たちの罪が赦されるために代価が要求されている
to pay the price sin demanded so that one can be redeemed
その代価が支払われ私たちが贖われたということ

 

 

このアゴラゾウという言葉を使っているのは
第2ペテロ2:1
二ペテ 2:1 しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。
彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。

 

 

黙示録5:9
黙 5:9 彼らは新しい歌を歌って言った、
「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。
あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない
Rev 5:9 And they sang a new song, saying, Worthy are you to take the book, and to open the seals thereof:  for you were slain, and did purchase unto God with your blood men of every tribe, and tongue, and people, and nation,

 

 

 


エクスアゴラゾウ
exagorazio
アゴラゾウにエクスが付いている

 

意味: 奴隷市場から買い戻す

to purchase out of the marketplace
to purchase out of the slave market of sin

メシアの血潮が代価として払われ私たちが罪の市場から買い戻された
だから私たちはもはや罪に仕える必要はなくなった
私たちは罪の奴隷であることから解放された

 

 

その聖句がガラテヤ3:13、4:5
ガラ 3:13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった
聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
Gal 3:13 Christ redeemed us from the curse of the law, having become a curse for us; for it is written, Cursed is every one that hangs on a tree:

 

ガラ 4:5 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。
Gal 4:5 that he might redeem them that were under the law, that we might receive the adoption of sons.

 

 

 


ルツルオウ
lutroo

 

意味: 代価を払った結果解放し自由にする あるいは自由にされた
to release and set free
新しく買い戻された人は今や自由を得た
自由になった

 

 

この言葉はマタイ20:28
マタ 20:28 それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
Mat 20:28 even as the Son of man came not to be ministered unto, but to minister, and to give his life a ransom for many.
マタ 20:28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(新共同訳)

 

 

第一テモテ2:6
一テモ 2:6 彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない。
1Ti 2:6 who gave himself a ransom for all; the testimony to be borne in its own times;

 

 

テトス2:14
テトス 2:14 このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。
Tit 2:14 who gave himself for us, that he might redeem us from all iniquity, and purify into himself a people for his own possession, zealous of good works.

 

 

 

 

(4)

この三つのギリシャ語を統合すると以下のような定義が生まれてくる

 


「贖いとは、メシアの血という代価を払って人を買い戻すことである。
その人は、罪の奴隷市場から取り除かれた。

それから、主に仕えることができるようになるために、自由の身とされた。」

 

私たちは罪の奴隷状態からメシアの奴隷状態へと直接的にストレートに移されたわけではない

私たちは罪の奴隷市場から買い戻されて自由の身となった
これがまず大事なこと

自由の身となった結果私たちには二つの選びがある
一つはキリストのしもべとなって自分の位置的真理に合致するようにクリスチャン生活を送る道と
そうでない道

 

ローマ書12:1~2
ロマ 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。
私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。
あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。
それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。
いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(新改訳3)
Rom 12:1 I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, to present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your spiritual service. ~

パウロはあなたがたのからだを生きた供え物としてささげなさいと勧めている
自由になった者に主のしもべとして生きるようにすすめている

 

 

テキストにはない聖句

同じ教えが
第一コリント6:20
一コリ 6:20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。
それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

1Co 6:20 for you were bought with a price:  glorify God therefore in your body.

 

 

および第一コリント7:23
一コリ 7:23 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。
人の奴隷となってはいけない。
1Co  7:23 You were bought with a price; become not bondservants of men.

 

 

 

ギリシア語3つ取り上げてあがないのことを話したが

ヘブル的概念の贖いについて

 

モーセの律法の中で
買い戻しの権利のある親戚という概念がある


ヘブル書2:14~17

ヘブル 2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。
これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、 2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです
2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。
それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。(新改訳3)

 

モーセの律法の話
買い戻しの権利のある親戚が実際に買い戻すためには三つの条件があった



買い戻す相手と買い戻そうとしている人とが親戚関係

血の繋がりがなければいけない
第三者にはできないこと

 

 


充分に代価を払える経済力

それを払ったら自分の生活が成り立たないという状態ではダメ

 

 


贖いをしようという意志

自発性

モーセの律法にある買い戻しの権利とは命令ではない
その人が実行しようという意思があって初めて買い戻しが行われる

 

聖書によればすべての人は罪を犯したために神からの栄誉を受けることができない
ロマ 3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、(新改訳3)


私たちは全員が罪の奴隷として誕生してくる

 

 

しかしユダヤ人の場合は
そういう一般的な意味でのこの罪の奴隷という概念以外に
モーセの律法を与えられているがゆえにそれを全うできないという意味での奴隷状態にもある

そこで神様はモーセの律法に基づく買い戻しの権利を有する者を出現させるわけだが
三つの条件がないとその人は買い戻しができない

 


まず神の御子が人となってくださった

その結果人間と血縁関係に入った

へブル書2:16(上述)ではアブラハムの子孫を助けてくださるとある
メシアはユダヤ人として来られユダヤ人を助けるために誕生された

つまり人間であるという意味
またユダヤ人として生まれたという意味で

第一番目の要求親戚関係にあるという条件が満たされた

 

 


二番目に代価を払う能力がある

 

ヘブル書のこの場合は
血潮がその代価

イエスはモーセの律法の613の要求をすべて満たした方
それゆえこのお方の血潮は罪の代価
律法の呪いのもとにあって奴隷状態になっているユダヤ人をあがなうための代価を払うことができる

 

 


三番目の条件は代価を払う意思があるということ

 

ヨハネの福音書10:18
ヨハ 10:18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。
わたしが自分からいのちを捨てるのです。
わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。
わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」(新改訳3)

Joh 10:18 No one takes it away from me, but I lay it down of myself.  I have power to lay it down, and I have power to take it again.  This commandment received I from my Father.
メシアの意思が表現されている

イエスは自らの志を持って私たちをあがなおうとされた

 

 

 

テキストにはない

(5)

あがないの結果

 

私たちの罪はその代価が払われ
私たちは罪の奴隷状態から解放された
と同時に罪が支払うべきすべての結果からも解放された
赦しについてはセミナーの後半で再度取り上げる

ユダヤ人信者にとっては律法の呪いから解放されるということが起こった
その内容についてはセミナーの後半に再び取り上げて説明したい

テトス2:14
テトス 2:14 このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。

私たちはもはや罪の奴隷ではない

 

私たちは今もとの罪の性質に仕えるか…
もはや罪の生活に仕える義務は何もない

 

 

 

ローマ8:23
ロマ 8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。(新改訳3)
Rom 8:23 And not only so, but ourselves also, who have the first-fruits of the Spirit, even we ourselves groan within ourselves, waiting for our adoption, to wit, the redemption of our body.
将来私たちに起こる体のよみがえり(復活)の約束がなされている

その時に私たちの現状は位置的真理が教えている理想的な状態に変えられる

 

 

 

 

 

 

Ⅱ.和解

RECONCILIATION

第2番目の位置的真理は和解

 

 

(1)

神と敵対関係にあるこの世の位置が、メシアの死によって変化した。

 

和解についての基本的な聖書的定義
メシアの死の前:この世は神と離れた状態にあった
メシアが死んだ時:この世と神の位置が変化した

 

 

 

 

つまり

(2)

すべての人に救いの可能性が生まれた。

 

すべての人が救われるわけではないが
そこには個人的な信仰という要素が必要だからである。
神がこの世と和解されたためにすべての人に救われる可能性が生まれたということ

 

ロマ5:10~11
ロマ 5:10 敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。
5:11 それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。
キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。(新改訳2017)
om 5:10 For if, while we were enemies, we were reconciled to God through the death of his Son, much more, being  reconciled, shall we be saved by his life; 5:11 and not only so, but we also rejoice in God through our Lord Jesus Christ, through whom we have now received the reconciliation.

私たちは神と和解へと導かれた
これが永遠の保証の鍵になる聖句

 

 

第二コリント5:18~19
Ⅱコリ 5:18 これらのことはすべて、神から出ています。
神は、キリストによって through Christ 私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。
5:19 すなわち、神はキリストにあって in Christこの世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。(新改訳2017)

私たちは神と和解させられた
これが位置的真理

 

 

それ故に第二コリント5:20
Ⅱコリ 5:20 こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。
私たちはキリストに代わって願います。
神と和解させていただきなさい。 (新改訳2017)
be ye reconciled to God.(ASV)
これは適用

私たちの実践を自分たちの位置的真理に合致したものにしなさいというすすめ

 

 

コロサイ書1:20~22
コロ 1:20 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。
1:21 あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。
1:22 しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。

私たちが神と和解した源はメシアの血潮

 

 

 

 

(3)

加害者である人類が、被害者である神との和解へと戻された。

 

人間的な意味で和解という言葉を理解するのではなく聖書的にこの言葉を理解する必要がある
聖書的理解というのは
まず何でないかを言う

これは和解すべき両方の立場の人がそれぞれ歩み寄ってお互いに和解するという意味ではない

害を受けたのは神だけ
だから人間が神に和解する

これは両者の和解ではなく
人間のみが神に和解する
のである
聖書的に言えば、和解とは、過ちを犯した二人が互いに和解することを指すのではなく、加害者である人間が被害者である神と和解するのである。

 

 

 

 

 

 

33の事項:位置的真理(3)2024年3/30
Ⅲ.なだめ (PROPITIATION)
Ⅳ.赦し(FORGIVENESS)
Ⅴ.義認(JUSTIFICATION)
Ⅵ.栄化(GLORIFICATION)

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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