練馬桜台聖書フォーラム

33の事項:位置的真理 レジュメ(7)2024年 5/25

2024.05.26

カテゴリー:33の位置的真理, お知らせ, 学び

33の事項:位置的真理についての学びレジュメ(7)2024年5/25

 

イエスさまによる律法解釈に従う者が
岩の上に信仰生活を建てる者
異邦人もイスラエル人の霊的祝福に与る者となったが故にユダヤ人を物質的に援助すべきでありユダヤ人伝道ファーストでありたい

 

 2011年フルクテンバウム博士セミナー
聖書が教える救いとは』の後半
33の事項:位置的真理についての学び
THIRTY-THREE THINGS:
A STUDY OF POSITIONAL TRUTH

(テキスト) (チャート)を学んでいます。


ご購入はこちらから(MP3版)

 

レジュメもくじ

前回のレジュメ

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です(セミナーでは新改訳3を使用しています)。
(ここでは原則、口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会 を使用しています)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会 

「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です。
紫色の聖句参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version  ASVです。)
黒色の文章がセミナーの説明文

緑色の文章はHP編者による補足説明
茶色の文章Dr.Arnold G. Fruchtenbaum 『A Messianic Bible Study from Ariel Ministries』
MBS110 THIRTY-THREE THINGS:  A STUDY OF POSITIONAL TRUTH からの補足説明です。

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

紙の聖書「新改訳2017」こちらをどうぞ

 

初めに
Ⅰ.贖い(REDEMPTION)
Ⅱ.和解 (RECONCILIATION)
Ⅲ.なだめ (PROPITIATION)
Ⅳ.赦し(FORGIVENESS)
Ⅴ.義認(JUSTIFICATION)
Ⅵ.栄化(GLORIFICATION)
Ⅶ.解放(DELIVERANCE)
Ⅷ.割礼(CIRCUMCISION)
Ⅸ.神に受け入れられる(BEING ACCEPTABLE TO GOD)
Ⅹ.御霊の初穂(THE FIRSTFRUITS OF THE HOLY SPIRIT)
Ⅺ.神の永遠の計画の中に(IN THE ETERNAL PLAN OF GOD)
Ⅻ.岩(メシア)の上に置かれている
(BASED ON THE ROCK:  THE MESSIAH)
ⅩⅢ.近い者とされた(MADE NIGH)

 

 

セミナーテキスト8ページ(37/48)

 

Ⅻ.岩(メシア)の上に置かれている
BASED ON THE ROCK:
THE MESSIAH

 

12番目が岩 キリスト(イエス)
メシアの上に置かれているということ
これは信者が信じている基礎が何であるかということ
12番目は信者の信仰の土台である。
この位置に基づけば信者はその上に立つことのできる
確かな土台を持つことになる。

 

(1)

信者は、砂の上ではなく、
岩の上に信仰生活を建てる。

 

マタイの福音書7:24~27
イエスさまは例え話を用いて
パリサイ的律法理解と
メシアであるイエスさまの律法理解の違いを教えている
マタ 7:24 それで、
わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25 雨が降り、
洪水が押し寄せ、
風が吹いてその家に打ちつけても、
倒れることはない。
岩を土台としているからである。
7:26 また、
わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、
砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27 雨が降り、
洪水が押し寄せ、
風が吹いてその家に打ちつけると、
倒れてしまう。
そしてその倒れ方はひどいのである」。

もしパリサイ的律法理解に
自分の信仰を築き上げるなら
それは砂の上に家を建てることであり
嵐が来た時に崩壊してしまう

 

しかしメシアであるイエスの律法理解の上に
信仰を置くならば
その人は岩の上に自らの信仰を置いた人であり
嵐が来てもその家は崩壊することはない
(イエスさまによる律法理解である山上の垂訓の最後にこのみことばがある
パリサイ的律法理解とはアブラハムの子孫であるならば救われているという考え方や口伝律法などのことではないかという意見がだされました。)

 

 

第一コリント3:9~15
3:9 わたしたちは神の同労者である。
あなたがたは神の畑であり、
神の建物である。
3:10 神から賜わった恵みによって、
わたしは熟練した建築師のように、
土台をすえた。
そして他の人がその上に家を建てるのである。
しかし、
どういうふうに建てるか、
それぞれ気をつけるがよい。
3:11 なぜなら、
すでにすえられている土台以外のものをすえることは、
だれにもできない。
そして、
この土台はイエス・キリストである。
3:12 この土台の上に、
だれかが金、
銀、
宝石、
木、
草、
または、
わらを用いて建てるならば、
3:13 それぞれの仕事は、
はっきりとわかってくる。
すなわち、
かの日は火の中に現れて、
それを明らかにし、
またその火は、
それぞれの仕事がどんなものであるかを、
ためすであろう。
3:14 もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、
その人は報酬を受けるが、
3:15 その仕事が焼けてしまえば、
損失を被るであろう。
しかし彼自身は、
火の中をくぐってきた者のようにではあるが、
救われるであろう。

クリスチャンは自らの生活をこの岩の上に建てる
そしてその上にどのように建てたかが
クリスチャンのさばきの時の基準になってくる
(クリスチャンのさばきとは「キリストの御座のさばき」のことで、携挙後、天にて子羊の婚姻前に起こる報奨のためのさばきで、信じて以降どのように主に仕えたかにより千年王国での生活が決まる。)

 

 

 

エペソ2:20~22
エペ 2:20 またあなたがたは、
使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、
キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。
2:21 このキリストにあって
建物全体が組み合わされ、
主にある聖なる宮に成長し、
2:22 そしてあなたがたも、
主にあって共に建てられて、
霊なる神のすまいとなるのである。

Eph 2:20 being built upon the foundation of the apostles and prophets, Christ Jesus himself being the chief cornerstone; 2:21 in whom each several building, fitly framed together, groweth into a holy temple in the Lord; 2:22 in whom you also are builded together for a habitation of God in the Spirit.
新約の教会が
使徒と新約時代の預言者という土台の上に建てられ
キリストが隅のかしら石であると言われている
私たち信者ひとり一人はその基礎の上に建てられている石の一つ一つ
新使徒運動NAR神学の危険性)

 

 

第一ペテロ2:4~6
一ペテ 2:4 主は、
人には捨てられたが、
神にとっては選ばれた尊い生ける石である。
2:5 この主のみもとにきて、
あなたがたも、
それぞれ生ける石となって、
霊の家に築き上げられ、
聖なる祭司となって、
イエス・キリストにより、
神によろこばれる霊のいけにえを、
ささげなさい。

2:6 聖書にこう書いてある、
「見よ、
わたしはシオンに、
選ばれた尊い石、
隅のかしら石を置く。
それにより頼む者は、

決して、
失望に終ることがない」。

私たちは霊の家として
キリストという岩の上に建てられていく

 

 

 

 

 

 

ⅩⅢ.近い者とされた
MADE NIGH

 

これはユダヤ人ではなく
異邦人にのみ適用される真理

 

(1)

異邦人信者は、
ユダヤ人の霊的祝福に与るようになった。

 

訂正
誤:エペ2:13

正:エペ2:11~16

 

エペソ2:11~16
エペ 2:11 ですから、
思い出してください。
あなたがたは、
以前は肉において異邦人でした。
すなわち、
肉において人の手による、
いわゆる割礼を持つ人々からは、
無割礼の人々と呼ばれる者であって、
2:12 そのころのあなたがたは、
キリストから離れ、
イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって望みもなく、
神もない人たちでした。

Eph 2:12 that you were at that time separate from Christ, alienated from the commonwealth of Israel, and strangers from the covenants of promise, having no hope and without God in the world.
2:13 しかし、
以前は遠く離れていたあなたがたも
今では
キリスト・イエスの中にあることにより
キリストの血によって近い者とされたのです。

Eph  2:13 But now in Christ Jesus you that once were far off are made nigh in the blood of Christ.
2:14 キリストこそ私たちの平和であり、
二つのものを一つにし、
隔ての壁を打ちこわし

Eph 2:14 For he is our peace, who made both one, and brake down the middle wall of partition,
2:15 ご自分の肉において、
敵意を廃棄された方です。
敵意とは、
さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。

このことは、
二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、
平和を実現するためであり、
2:16 また、
両者を一つのからだとして、
十字架によって神と和解させるためなのです。

敵意は十字架によって葬り去られました。
(新改訳3)

ここでパウロが触れているのは
人類の中に2種類のグループがいる
ユダヤ人と異邦人(異邦人とはユダヤ人以外の人類のこと)
そしてユダヤ人つまりイスラエルの民に関しては神さまは契約関係に入っている

12節:
契約という言葉は複数形

事実神さまはイスラエルの民と
4つの永遠の無条件)契約を結んでいる
アブラハム契約
Ⅳ.THE ABRAHAMIC COVENANT
土地の契約  Ⅵ.THE LAND COVENANT
ダビデ契約  Ⅶ.THE DAVIDIC COVENANT
新しい契約  Ⅷ.THE NEW COVENANT
神さまが与えてくださる肉体的祝福霊的祝福
この四つの契約を通してユダヤ人に注がれていく

 

それ以外にもう一つ
神さまがイスラエルと結んだ契約がある
一時的で有限な条件付きの契約
モーセ契約  Ⅴ.THE MOSAIC COVENANT
613の律法が含まれ
これをモーセの律法と言う
この「モーセの律法」には様々な役割があるが
特にここで一つ挙げられている役割は
異邦人とユダヤ人の間に「隔ての壁」となるということ
それがこの律法の目的

異邦人は
このイスラエルの契約に関して
二つのポジションに置かれている
①彼らは契約に関しては外国人で除外されている
②遠く離れたところに置かれているので
この契約の祝福を受けることができない状態になっている

しかし14節
キリストがその死によって
「隔ての壁を打ちこわし」た
[つまりユダヤ人と異邦人の中にあるへだてがなくなったということ]

 13節
「キリスト・イエスの中にあることにより、
キリストの血によって近い者とされた」とある
(新改訳2017 キリスト・イエスにあって~
異邦人が近い者とされた
近い者となった結果
神さまがユダヤ人と結んだ契約の祝福に与ることができるようになった
どのようにしてそれが可能になったのか?

15節
その方法
「このことは、二つのものを」とある
「二つのもの」 the two とはユダヤ人と異邦人
それを「新しいひとりの人に造り上げ」る
「新しいひとりの人」 one new man とは
ユダヤ人でもなく異邦人でもない第三の存在
その中には
信仰を持ったユダヤ人と
信仰を持った異邦人が含まれている
第三の存在

16節:、
この「新しいひとりの人」が「一つのからだ」 one body
つまりキリストのからだなる
新約時代の教会のことだとわかる

 

 

テキストにはない
エペソ3:6
エペ 3:6 その奥義とは、
福音により、
キリスト・イエスにあって
異邦人もまた共同の相続者となり
ともに一つのからだに連なり、
ともに約束にあずかる者となるということです。
(新改訳3)

異邦人は今や近い者とされた
その結果
ユダヤ人の契約の祝福にともにあずかる者となる
共同の相続人となると書かれてある

置換神学
異邦人がイスラエルにとって代わったと言う
この聖句はそうは教えていない

 

異邦人は
ユダヤ人の祝福にともにあずかる者となったと教えられている
異邦人信者は
ユダヤ人とともにユダヤ人の契約がもたらす
霊的祝福にあずかった
異邦人は
約束の地を受けるという
物理的祝福に与るということではない

メシアを信じる信仰によって、異邦人信者はユダヤの契約の肉体的、物質的な恩恵ではなく、霊的な恩恵を享受するために近づいたのである。

 

 

ローマ11章でパウロはこのことを語っている
ローマ11:17
ロマ 11:17 もしも、
枝の中のあるものが折られて、
野生種のオリーブ a wild olive であるあなたがその枝に混じってつがれ、
そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、
(新改訳3)

ここに書かれてあるオリーブの木とは
イスラエルのことではない
折られた栽培種の枝がイスラエル
またオリーブの木あるいはというのは
異邦人のことでもない
なぜなら異邦人は野生種の折られた枝

野生種のオリーブの枝であるというのは
何も悪いことではない
私が結婚した相手は野生種のオリーブの枝(異邦人信者)
「ワイルドなタイプが好きなんです、私は。」
ジョーク
・・・

 

この木は
イスラエルの契約がもたらす祝福のことを言っている
霊的祝福がこの木で表現されている


ユダヤ人信者:栽培種の枝

(自然のままの良い枝)
異邦人信者:野生種の枝
(自然のままの野生のオリブの枝)

しかしこの木そのものは
異邦人つまり野生種の枝
に所属しているのではない
これは栽培種の枝の木

 

 

それをベースにして24節
ローマ11:24
ロマ 11:24 もしあなたが、
野生種であるオリーブの木から切り取られ、
もとの性質に反して、
栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、
これらの栽培種のものは、
もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。
(新改訳3)

ロマ 11:24 なぜなら、
もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、
自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、
まして、
これら自然のままの良い枝は、
もっとたやすく、
元のオリブにつがれないであろうか。
(口語訳)

Rom 11:24 For if you were cut out of that which is by nature a wild olive tree, and were grafted contrary to nature into a good olive tree; how much more shall these, which are the natural branches, be grafted into their own olive tree?  (ASV)
cultivated olive tree (NKJV)

この箇所から
オリーブの木そのものは
栽培種のオリーブの枝に所属していると分かる

イスラエルとはオリーブの木そのものではない
イスラエルがこの木の所有者だということになる

日常生活からこのことの説明
例)
私は車を所有している
私と車とは別々なものだが車は私の所有物

もし私が皆さんを乗せて東京から大阪まで車を運転したとすると・・・
皆さんは私が所有する車から便宜を得る

つまり接ぎ木された野生種の枝である異邦人は
その木から霊的祝福を得ているが
その木は依然としてイスラエルが所有している
つまり異邦人が近いものとされたという意味は
イスラエルの契約がもたらす霊的祝福にあずかる者となったという意味

 

 

 

 

(2)

適用

 

ロマ15:25~27
ロマ 15:25 ですが、
今は、
聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。

15:26 それは、
マケドニヤとアカヤでは、
喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。

15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、
同時にまた、
その人々に対してはその義務があるのです。

異邦人は霊的なことでは、
その人々からもらいものをしたのですから、
物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。
(新改訳3)

 25節26節
異邦人教会が献金を集めて
経済的に非常に苦しくなっているエルサレムの
母教会を援助しようとしている
これはクリスチャンの愛を示す善意における行為か?

27節
それだけではない
この献金を集めるという行為の背後には
聖書的原則があるとパウロは言う
異邦人はユダヤ人から霊的な祝福を受けた
そのために
異邦人はユダヤ人に対して負債を負っている
パウロはここで
その負債をどうやって払ったらいいかも教えている

・・・
物質的なものをもって
ユダヤ人たちの活動に援助を送るということ

 

 

具体的に適用すると
例)
異邦人教会が宣教プログラムを作る時には
まずユダヤ人伝道を先に置くべき

もし皆さんがどのユダヤ人伝道団体を支援していいか
わからない場合は
心から推薦できる団体をご紹介したいと思う
(Ariel Ministries)
もちろんこれは自分の目的のために言っているわけではない
どの団体を支援するかは皆さんと神さまの間で決めればいい

 

ユダヤ人伝道をサポートすることは結局
位置的真理「近い者とされた」ということを
実践に置き換えている出来事
・・・

 

 

セミナーで以下は割愛されています
ヤコブ 4:8 神に近づきなさい。
そうすれば、
神はあなたがたに近づいて下さるであろう。
罪人どもよ、
手をきよめよ。
二心の者どもよ、
心を清くせよ。

信者は位置的に神に近づいたのだから、実践においても神に近づくべきであり、そうすることで罪が清められるのである。

 

 

 

 

 

33の事項:位置的真理(8)2024年6/8へ
Ⅻ.岩(メシア)の上に置かれている
(BASED ON THE ROCK:  THE MESSIAH)
ⅩⅢ.近い者とされた(MADE NIGH)
ⅩⅣ.聖なる祭司の一員とされた(MEMBERS OF A HOLY ROYAL PRIESTHOOD)
ⅩⅤ.神の国に移された(TRANSFERRED INTO GOD’S KINGDOM)
ⅩⅥ.選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民
(A CHOSEN GENERATION:  A HOLY NAION:  A PECULIAR PEOPLE)
ⅩⅦ.天国の市民(CITIZENS OF HEAVEN)
ⅩⅧ.神の家族の一員(IN THE FAMILY OF GOD)

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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