33の事項:位置的真理についての学びレジュメ(4)2024年4/20
やみから光へ 悪魔の支配から神のみもとへ
2011年フルクテンバウム博士セミナー
『聖書が教える救いとは』の後半
33の事項:位置的真理についての学び
THIRTY-THREE THINGS:
A STUDY OF POSITIONAL TRUTH
(テキスト) を学んでいます。
ご購入はこちらから(MP3版)
フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。
以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です(セミナーでは新改訳3を使用しています)。
(ここでは原則、口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会 を使用しています)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です。
紫色の聖句は参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version ASVです。)
黒色の文章がセミナーの説明文
緑色の文章はHP編者による補足説明
茶色の文章はDr.Arnold G. Fruchtenbaum 『A Messianic Bible Study from Ariel Ministries』
MBS110 THIRTY-THREE THINGS: A STUDY OF POSITIONAL TRUTH からの補足説明です。
興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。
紙の聖書「新改訳2017」はこちらをどうぞ
初めに
Ⅰ.贖い(REDEMPTION)
Ⅱ.和解 (RECONCILIATION)
Ⅲ.なだめ (PROPITIATION)
Ⅳ.赦し(FORGIVENESS)
Ⅴ.義認(JUSTIFICATION)
Ⅵ.栄化(GLORIFICATION)
Ⅶ.解放(DELIVERANCE)
Ⅷ.割礼(CIRCUMCISION)
Ⅸ.神に受け入れられる(BEING ACCEPTABLE TO GOD)
セミナーテキスト6ページ(35/48)
Ⅶ.解放
DELIVERANCE
信仰者の第7の位置は解放
具体的には
(1)
暗やみの力からの解放
私たちは位置的側面から言うと暗闇の力から解放されている
コロサイ1:13
コロ 1:13 神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。
ヘブル2:14~15
ヘブル 2:14 このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。
それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、2:15 死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。
私たちは暗やみの力から解放された
使 26:18 それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。
エペ 2:1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
(2)
信者はサタンに仕えるどんな義務もない
私たちはサタンに仕えなければいけないというどんな義務ももはやない
私たちはやみの世界から光の世界へと移しかえられた
Ⅷ.割礼
CIRCUMCISION
割礼は信者の第8の位置
(1)
肉の割礼ではなく、心の割礼である。
一箇所だけがこのことを教えている
コロサイ2:11
コロ 2:11 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。
肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。(新改訳3)
Col 2:11 in whom you were also circumcised with a circumcision not made with hands, in the putting off of the body of the flesh, in the circumcision of Christ;
パウロはここでは肉の割礼のことではなく心の割礼を論じている
位置的真理からパウロはこう言う
その真理に基づいて適用を語
(2)適用は、肉の行いを脱ぎ捨てて、主の前を正しく歩むこと。
Ⅸ.神に受け入れられる
BEING ACCEPTABLE TO GOD
神に受け入れられることは信者の第9の位置
神に受け入れられる存在となったと教えているのが
エペソ1:6
エペ 1:6 これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。
第一ペテロ2:5
一ペテ 2:5 この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。
このことに関しては五つの要因がある
(1)信者は、メシアの義の転嫁によって義とされた。
ここでも言われていることは位置的真理
私たちはキリストのうちにあるのでキリストの義が私たちに転嫁されている
第一コリント1:30
Ⅰコリ 1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。
キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。(新改訳3)
第二コリント5:21
Ⅱコリ 5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。
それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(新改訳3)
2Co 5:21 Him who knew no sin he made to be sin on our behalf; that we might become the righteousness of God in him.
テキストにはない聖句
ローマ3:22
ロマ 3:22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。
そこにはなんらの差別もない。
テキストにはない聖句
ピリピ3:9
ピリ 3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。
Phi 3:9 and be found in him, not having a righteousness of mine own, even that which is of the law, but that which is through faith in Christ, the righteousness which is from God by faith;
義とされる方法は(前回話した)転嫁
かぶせるということ
これによって私たちは義とされている
the believer has been made righteous by the imputation of the Missiah’s righteousness to him
ローマ5:11~21
ロマ 5:11 そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。
5:12 このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
5:13 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。
5:14 しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。
このアダムは、きたるべき者の型である。
5:15 しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。
すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。
5:16 かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。
なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。
5:17 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。
5:18 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
5:20 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。
しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
5:21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。
キリストのうちにあってメシアの義が転嫁されている
(2)信者は位置的に聖なる者とされた。
神に受け入れられることの第二の面は、信者が位置的に聖別されていることである。
第一コリント1:2
一コリ 1:2 コリントにある神の教会、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に、キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒 saints として召されたかたがたへ。
このキリストは、わたしたちの主であり、また彼らの主であられる。
私たちはキリスト・イエスにあって聖なるものとされている
だから「聖徒」
第一コリント1:30
一コリ 1:30 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。
キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
キリスト・イエスのうちにあってきよめを得ている
第一コリント6:11
一コリ 6:11 あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。
しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。
私たちは聖なるものとされた
位置的真理という側面から言うと私たちはすでに聖められ「聖徒」と呼ばれる状態に置かれているということ
信じた途端に私たちは聖徒になっている
位置的真理において私たちは聖なる者とされているから
新約聖書で信者を指す言葉としてもっとも使われるのは「クリスチャン」と言う言葉ではない
3回しか出てこない
クリスチャンという呼び方は外部の人が信者を少し揶揄して呼んだところのスラング
あだ名
新約聖書で一番よく出てくる呼び方はむしろ「聖徒」セインツという呼び方
まず聖書が教える聖化
準備的聖化というのがある
聖化という言葉のもともとの意味は選び分けるということ
準備的聖化に与かっている人:
福音のメッセージを聞いた時にそれを理解し
救われるために何を信じなければいけないかということが分かりそれを受け入れる人
位置的真理による聖化:
信じた途端に私たちは位置的意味において聖なるものとされる
実践的な意味での聖め 現在進行形の聖め:
神の恵みを実践に移し位置的真理で完成したと言われている聖化の実態を実践していくことによりクリスチャンとして成長していく
理想形:
救われた時に一直線でこの位置的真理に到達すること
しかし理想は起こらない
今私たちが生きていて内側に持っている罪の性質との戦いはまだ続いている
クリスチャン生活の歩みとはこのようにアップダウン
しかし全体で見ると上向きで移動している
信者の中にはなかなか上向きにならずにずっと低空飛行していらっしゃる方がいることも事実
霊的に成長する人はアップダウンがあったとしても上向きの線を描いて近づいていく
天国に行った時には究極的聖めが与えられる
この状態になった時に位置的真理が教える聖めと実践的聖めとがついに合致する
質問
聖書的に言えばフルクテンバウム博士のことを「聖アーノルド」と呼んでいいのか?
回答
そうだ
お前さえも「聖健一」と呼んでいい
ジョークへ
(3)信者はすでに完成されたとみなされている。
セミナーテキスト7ページ
ヘブル10:14
ヘブル 10:14 彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。
Heb 10:14 For by one offering he has perfected for ever them that are sanctified.
神に受け入れられることの第三の面は、信仰者が永遠に完成されたことである。
(4)信者は、裁きを受けることがなく、神に受け入れられる者とされた。
ローマ8:1
ロマ 8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(新改訳3)
テキストにはない聖句
エペソ1:6
エペ 1:6 これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。
ヨハ 3:18 彼を信じる者は、さばかれない。
信じない者は、すでにさばかれている。
神のひとり子の名を信じることをしないからである。
ヨハ 5:24 よくよくあなたがたに言っておく。
わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。
罪に定められないことにより、受け入れられる者とされたのである。
(5)信者は、「資格」を与えられた。
コロサイ書1:12
コロ 1:12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。(新改訳3)
Col 1:12 giving thanks unto the Father, who made us meet to be partakers of the inheritance of the saints in the light;
私たちは位置的真理において相続を受ける資格を与えられた
どういう意味か
つまりここでしばらく終わってコーヒーでも飲んでいいっていうことです。(ジョークです)
信者はその資格を与えられているので、神に受け入れられるのである。
相続については先にいってから「ⅩⅩⅧ.相続人」にて学ぶ
復活のからだとメシア的王国での地位
33の事項:位置的真理(5)2024年4/27へ
Ⅹ.御霊の初穂
(THE FIRSTFRUITS OF THE HOLY SPIRIT)