練馬桜台聖書フォーラム

死後の世界 レジュメ(8)2018年 12/22

2019.01.01

カテゴリー:学び, 死後の世界

死後の世界 レジュメ(8)2018年12/22

 

不信者の死後の救いについて
セカンドチャンス論
死後に救いのチャンスはあるのでしょうか

 

2012年フルクテンバウム博士セミナー
聖書が教える死後の世界
ー個人的終末論ーテキスト 

(チャート 死者の場所(13の用語))
(ホワイトボード)を学んでいます。

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レジュメもくじ

前回レジュメ(7)

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下、青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です。
紫色の聖句は2回目にでてきた聖句または参考聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。

緑色の聖句や文章は補足説明です。
茶色の文章はフルクテンバウム博士著『The Footsteps of The Messiah』付録Ⅷ 中間状態 からの補足説明です。

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

 

Ⅱ.中間状態
The Intermediate State between Death and Resurrection

 

セミナーテキストの11ページ

E. 誤った説(2つある)

The False Teachings

中間状態についての誤解を完全に解いておきたいと思う
(今回は1.セカンドチャンス
次回で2.霊魂の眠り をとりあげる)

 

 

1.第二の機会
The Second Probation Theory

 

「第二の機会」あるいは
セカンドチャンスとよく言う

不信者の死後の救いについて
肉体的な死を経たのち不信者にはもう一度チャンスが与えられるという考え方が第二の機会、セカンドチャンス論

 

 

a. 2つの形態がある。
The Two Forms of the Second Probation Theory

 

(1)限定的第二の機会
Limited Second Probation

 

 第二の機会が与えられる人は限定されているという考え方

この立場に立つ人は、幼児期に死んだ霊魂、或いは福音を聞くチャンスがなくて死んだ人の霊魂は第二の機会を与えられると主張する

 

(2)無限定の第二の機会
(3つの説がある)
Unlimited Second Probation

 

誰にでもセカンドチャンスがあるという考え方

この立場には3つの説がある

①普遍的救い(Universalism)
全ての人が、悔い改めなくても信じなくても死後自動的に最終的に全員が救われるという考え方
悔い改めなしに救われると教え、一時的な懲罰の期間があるとは教えていない

 

②回復主義(Restorationism)
信仰がないままで死んだ人であっても、死後もう一度福音を聞くと信じるので全ての人が救われるという考え方
悔い改めは不可欠、一時的な懲罰の期間があるとは教えていない

地獄で永遠の時を過ごす人は一人もいない

 

③普遍的和解(Universal Reconciliation)
火の池で不信者が長期間苦しんだのち、全ての人が神と和解させられるようになるという考え方
サタンも長期間火の池で苦しんだ後、神と和解するようになるという教え
一時的な懲罰の期間がある

 

 

b. 擁護する議論(5つの聖句)
Arguments in Favor of the Second Probation Theory


セカンドチャンス論を教えようとして使われるこれら5つは、セカンドチャンス論の限定的か非限定的な3つの型かにかかわらず、皆同じ聖書箇所を引用する

 

 

c. 否定する議論(5つの議論)

Arguments Against the Second Probation Theory

 

(1)使用される聖句の検討
The Scriptures Used
(擁護する論に続いて否定する論を示す)

 

①使徒3:21
使 3:21 このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。
万物の改まる時までという言葉がある

セカンドチャンス論への反論
こういう聖句を理解する時には文脈を非常に意識する必要がある

ペテロは「預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時」と言っている
抽象的一般的に全てのものが改まるというのではなく、イスラエルの預言者たちが預言してきたあの万物の改まる
将来イスラエルにもう一度御国が回復されるという御国回復の預言

イスラエルの預言者たちがセカンドチャンスや普遍的回復を預言したことは一度もない

 

 

 

②1コリ15:27〜28
Ⅰコリ 15:27 「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。
ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。
これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
すべてのものが御子に従うとあり、「従う」という言葉は救いとイコールだと彼らは考える

セカンドチャンス論への反論
従う」ということは必ずしも救いを意味していない

例)ルカの福音書2章
ルカ 2:51a それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた
イエスは両親に従われたという言葉がある(フォーラム参加者によるとこの「仕えられた」というギリシャ語が1コリ15の「従う」と同じ言葉だそう)

イエスはそれで救われたと教えているのではない
御子に従う或いはイエスが両親に従うとはその権威のもとに自分自身を置いたという意味

御子にすべてのものが従う:
全てのものが救われるということではなく
御子の権威のもとに全てが服するという意味
不信者も御子の権威のもとに置かれるが、不信者がそれによって救われるということではない

 

 

 

コロ1:20
コロ 1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。
地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
この和解を全ての人が救われることを意味していると彼らは理解する

セカンドチャンス論への反論
万物:一つ残らず全ての物がという意味ではなく、あらゆる種類の物がという意味
和解:全部のものが救われるという意味ではない

和解が可能とは全ての人に救われる可能性が与えられているという意味
救われる為には信じる必要があり、信じる人と信じない人が当然でてくる

 

 

④ピリ2:9〜10
ピリ 2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべてが、ひざをかがめをすべての人が救われると解釈する

セカンドチャンス論への反論
これもまた同じ議論で、すべての者不信者もやがて神の権威に服するようになるということであり、全てが救われるという意味ではない

 

 

 

⑤1ペテ3:19と4:6
Ⅰペテ 3:19 その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。
福音が死者にも伝えられるという有名な聖句(そのことへの反論が以下)
それを根拠にセカンドチャンスがあると言う

セカンドチャンス論への反論
新改訳
Ⅰペテ 3:19 その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。

新共同訳
一ペト 3:19 そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。

口語訳
一ペテ 3:19 こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。

口語訳: 宣べ伝えることをされた。
新共同訳:宣教されました。
新改訳: みことばを語られたのです。
ここで使われているギリシャ語の動詞に、みことばを語る、みことばを宣べ伝えるという目的語はない

ASV
in which also he went and preached unto the spirits in prison,
英語:preach
説教する、福音を伝えるという意味で、自動的に福音が伝えられているかのようなニュアンスを持った翻訳になる

ギリシャ語:ケイルッソkeirusso
福音を宣べ伝えるとか、宣教するとかを意味しない
この動詞は「宣言する」という言葉

1ペテ3:20 かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。
その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。
この宣言は獄の中にいた全ての霊に対して向けられている宣言ではなく、ノアの時代に従わなかった特定の霊たちに対する宣言
霊とは人間の霊を指すこともあり、ノアの時代に生きていた人間の霊に対して宣言をしているという解釈も可能で、ノアの時代にメッセージを聞いたが信じなかった人間の霊たちと考えることもできる
しかし、それよりもノアの時代に活動していた堕落した天使たち、つまり悪霊たちに対する宣言であると考える可能性の方が高い

創世記3:15で初めて「メシア預言」というのが聖書に登場する
創 3:15 わたし(神)は、おまえ(蛇)と女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。
(女の子孫)は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
「女の子孫」という方がいつかあらわれてサタンの子孫(反キリスト)を打ち破る、この女の子孫がメシアであるという預言

この最初のメシア預言はアダムやイブにではなく、サタンに向けて語られている
その結果、いつか「女の子孫」と呼ばれる者つまり女から生まれる或る人物が登場して自分の働きを打ち壊す様になるとサタンは知る

創世記6章サタンがこのメシア預言を破壊しようと動いているという文脈で読む必要がある
創 6:1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき6:2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。〜
6:4 神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。〜
サタンの配下の堕落した天使たち、つまり悪霊どもが人間の男の身体をして現れる

天使が聖書で現れる時には必ず青年のかたちで現れる
全ての天使が男性のかたちで現れ、女性の天使はない
それを聞いて、ヤダわと思った女性の方、
悪霊も全部男で、女性の悪霊は一匹もいないということです。
堕落した悪霊が青年男子の姿をとり人間の女性と結婚し、不思議な子孫を産んでいく
これは女から産まれる世代を破壊しようとする悪霊の働き
その結果産まれたのがネフィリムという堕落した存在
2ペテ2:4〜5 Ⅱペテ 2:4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。
2:5 また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。

この時代に神さまがお創りなった人間の家系がほとんど汚されてしまったが、ノアとその3人の息子たちの家系だけは純粋に守られ、それ以外が洪水で滅ぼされた
この時代に人間の女と結婚して罪を犯した特定の悪霊たちは今タータラスという所に閉じ込められている
そのことを背景に
Ⅰペテ 3:19 その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。
を解釈すると
キリストは、ノアの時代に女たちと雑婚し女の子孫を汚そうとした悪霊たちが閉じ込められているタータラスに行き、勝利を宣言されたという訳になる

その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って
=イエスは死んだ=贖いが成し遂げられたということ

イエスが宣言した勝利の2つの宣言

メシアが女の子孫から誕生することを妨害しようとしたわざは失敗に終わったという宣言

その悪霊どもに白い御座のさばきという最終的さばきと火の池の苦しみが待っているという宣言

 

(新改訳2017は
Ⅰペテ 3:19 その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました。となっている

 

 

1ペテ4:6
Ⅰペテ 4:6 というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした。

セカンドチャンス論への反論
この聖句は簡単
死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていた」とは死後セカンドチャンスがあるというのではなく、今はもう死んでしまったけれども生きている間に彼らにも福音が宣べ伝えられていたという意味

セカンドチャンスを教えているのではない
生前福音を聞いたが信じずに死んでしまった人たちのこと

1ペテ3:19と4:6の2つは違う文脈であることを彼セカンドチャンス論者は無視している

 

セカンドチャンスは聖書が教えている教えではないことを理解してください。

 

 

 

セカンドチャンス論への反論

(2)死者の霊魂の状態は固定化されている
The Fixed State of the Unbelieving Dead

第2の反論は、信じないで死んだ人は変わることのない固定された状態の中にあるということ

 

*マタ13:41〜42
マタ 13:41 人の子はその御使いたちを遣わします。
彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、13:42 火の燃える炉に投げ込みます。
彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
泣いて歯ぎしりする、その状況がもう変わらないから

 

*マタ22:13
マタ 22:13 そこで、王はしもべたちに、
『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。
そこで泣いて歯ぎしりするのだ

と言った。

 

*マタ24:51
マタ 24:51 そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。
しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
ここでも同じ表現が使われている

 

セミナーテキスト13ページ

*マタ25:30
マタ 25:30 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。
そこで泣いて歯ぎしりするのです。

 

マタイの福音書で2つのことに注目してほしい


外の暗やみ
自然界にある火は光と熱を発散する
しかし将来私たちが行こうとしている霊的分野ではそういうことは起こらない
火があるが、それは苦しみを与える為のもので、熱は与えるが光は与えない
火で苦しめられている人たちは真っ暗やみの中で苦しんでいるので光は発散しない火

 

「俺は地獄に行ってもいいよ。
俺の友だちや親戚は皆地獄にいるからそこに行って再会した方がいいよ。」
と聞くことがたまにある

そこで私は
「友だちが確かに地獄にいるかもしれない。
でも再会なんかできないよ。」
と答える

皆真っ暗やみの中にいて、非常な孤独を味わっている、それが地獄
友だちは見えないけれども叫んでいる声は聞こえるかもしれない
叫び、歯ぎしりしている声が聞こえる
彼らもあなたがそうやっている声を聞くかもしれない

 

ルカ16:19〜31

例のあの話
この金持ちはラザロのところには行けず、ラザロも金持ちのところに来られなかった
将来もその機会がないことを示している

 

*ヨハネ8:21と24
ヨハ 8:21 イエスはまた彼らに言われた。
「わたしは去って行きます。
あなたがたはわたしを捜すけれども、自分の罪の中で死にます
わたしが行く所に、あなたがたは来ることができません。

 

ヨハ 8:24 それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。
もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」
信じないかぎりあなたは罪の中で死んでいくとイエスさまは言われた

罪の中で死んだ後の信仰の可能性は全くないことを述べている

 

*2ペテ2:4
Ⅱペテ 2:4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。

 

*2ペテ2:9
Ⅱペテ 2:9 これらのことでわかるように、主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられるのです。

 

*ユダ7
ユダ 1:7 また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。

 

*ユダ13
ユダ 1:13 自分の恥のあわをわき立たせる海の荒波、さまよう星です。
まっ暗なやみが、彼らのために永遠に用意されています。

 

 

中間状態、不信者の霊魂の状態は固定化されているということがわかる
変えることのできない不変の状態にあることを示している

 

 

 

セカンドチャンス論への反論

(3)最後の裁きの基礎
The Basis of the Final Judgment

 

*最後の裁きは、肉体において行った業に基づいて行われる
セカンドチャンス論の考え方は、中間状態で霊魂に起こったことが最後の裁きに反映されるという考え方
しかし、中間状態で信じたら最後の裁きを免れるとは聖書は教えていない
中間状態にいく前の肉体において行ったことが最後の裁きのベースになる
この地上生涯において私たちが選んだ選び、行いに応じて最後の裁きが来る

 

*マタ7:22〜23
マタ 7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。
『主よ、主よ。
私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。
わたしはあなたがたを全然知らない。
不法をなす者ども。
わたしから離れて行け。

 

マタ10:32〜33
マタ 10:32 ですから、わたし(イエス・キリスト)を人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
10:33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
今の地上生涯でイエスさまを信じるか信じないかが永遠の運命を決めるという教え

 

マタ25:31〜46
マタ 25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。 25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。 彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、25:33 を自分の右に、山羊を左に置きます。

25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。
『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。
『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

25:40 すると、王は彼らに答えて言います。
『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。
『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』

25:44 そのとき、彼らも答えて言います。
『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』

25:45 すると、王は彼らに答えて言います。
『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』

25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
羊の異邦人と山羊の異邦人の裁きは、大患難時代に異邦人がユダヤ人をどう扱ったかに基づく裁き

 

ルカ12:46〜48
ルカ 12:46 しもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。
そして、彼をきびしく罰して、不忠実な者どもと同じめに会わせるに違いありません。
彼らは主のみこころを知りながらそれを行いませんでした。

 

2コリ5:9〜10
Ⅱコリ 5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。
5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。
肉体において行ったことにより最後の報いが判定される

 

ガラ6:7〜8
ガラ 6:7 思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
今この地上生涯でどういう種を蒔くかがその人の永遠の運命を決める

 

2テサ1:7〜10
Ⅱテサ 1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。
そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。
永遠の祝福とは、今私たちがどういう選びをするか、どういうことを信じるかによって決まる

 

 

聖句から言えることは、最終的な裁きの根拠は中間状態で信じたかどうかではない
今この地上生涯において肉体において信じたか信じなかったか、主に従って忠実に歩んだか歩まなかったかが、最後の裁きあるいは報酬の判定の基礎になっているということで、中間状態は全く考慮に入っていない

 

 

 

セカンドチャンス論への反論

(4)最終的な決断は、地上生涯において下される
The Final Decision Made in this Life

それ以降の決断はないということ

 

*2コリ6:2
Ⅱコリ 6:2 神は言われます。
「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」
確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
」決断しなくてはいけない

 

*ヘブ9:27
ヘブル 9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

 

 

 

セカンドチャンス論への反論

(5)いかなる形の普遍主義も、聖書とは矛盾する
The Contradiction to Scripture

 

マタ25:46
マタ 25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
永遠の刑罰永遠のいのちとが同時に語られている

ここに普遍主義の救いの教え((2)無限定の第二の機会①普遍的救い:死後全員が救われるという考え方)は全くない

 

ヨハ5:29
ヨハ 5:29 善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。
復活が二つ語られている

 

黙20::11〜15
黙 20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。 地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。
そして、数々の書物が開かれた。
また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。
死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。
20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。
そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。
20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。
これが第二の死である。
20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
第二の死について書かれている

火の池に投げ込まれ、そこでとこしえに苦しむことを第二の死と言う
これも普遍主義の教え(死後全員が救われるという考え方)とは完全に矛盾する

 

 

普遍主義、最後は皆救われるという教えと聖書とは完全に矛盾していることがわかる

 

 

 

Q:セカンドチャンス論は伝道に役立つのか?
A:セカンドチャンス論は伝道の意欲を奪う
自分の伝道も、宣教師の支援もしなくなる危険性がある

今こそ福音を宣べ伝えなければ滅びてしまうという認識が、使徒たちの宣教の力だった
使徒ヨハネ以外の他の使徒は皆殉教の死を遂げている
もし普遍的救いを信じていたなら、なぜそんな悲惨な死を遂げる必要があったのか
最後に皆救われると言って安心していればよかったではないか
彼らが殉教の死を遂げるほど献身的に伝道したということが、使徒たちはセカンドチャンスを信じていなかったという別の証明にもなると思う

 

聖書的に言えば私たちもセカンドチャンス(死後も救いのチャンスがあるという論)を信じるべきではない

 

 

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

愛する者が死の2秒前でも良い選びをされたなら救われているのです。
神さまはご存知です。
いつの日か、私たちにもわかります。

 

GOOD NEWS

♡ ♡ ♡
福音の三要素

 

コリント人への手紙第一 15:3〜4
(使徒パウロ)
あなたがたに
最も大切なこととして
伝えたのは、
私も受けたことであって、
次のことです。

キリストは、
(旧約)聖書に書いてあるとおりに、
私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、
また、(旧約)聖書に書いてあるとおりに、
三日目によみがえられたこと、

 

 

キリストの十字架以降
全ての人(ユダヤ人も異邦人も)が
信ずべき
福音の
内容
とは
この3つのことだけです。
何かを付け加えたり
減らしたりしないでください。


キリストは
私たちの
罪のために
死なれた
こと


墓に
葬られた
こと


三日目に
復活された
こと


この特別啓示された
福音の内容
理解
同意
イエス・キリストこそ
自分を救ってくださる
唯一のお方である

信じ
信頼するなら
神さまの恵みと
信仰により
救われます。

 

イエスさまの
十字架の血潮により
罪赦され
父なる神と
和解し
神の子とされ
祝福された
永遠のいのち
全ての人に
用意されています。

クリスチャンライフ、この麗しきもの(1)
(詳しくはこの無料音声メッセージにて)

 

ヘブル 9:27 そして、人間には、
一度死ぬことと
死後に
さばきを受けることが
定まっているように、

 

中川健一牧師による
イエス・キリストの十字架についての
無料メッセージ
公式アプリダウンロー

「3分でわかる聖書」(動画)
成長セミナー

ほか多数のメッセージ、動画、があります。

♡ ♡ ♡ 

 

 

死後の世界レジュメ(9) 2019年1/12
Ⅱ.中間状態 E.誤った説(2つある) 2.霊魂の眠り 

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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