練馬桜台聖書フォーラム

死後の世界 レジュメ(7)2018年 12/8

2018.12.12

カテゴリー:学び, 死後の世界

死後の世界 レジュメ(7)2018年12/8

 

死から肉体の復活までの期間=中間状態 では別の肉体をもつのか?たましいだけなのか?

 

2012年フルクテンバウム博士セミナー
聖書が教える死後の世界
ー個人的終末論ーテキスト 

(チャート 死者の場所(13の用語))
(ホワイトボード)を学んでいます。

ご購入はこちらから(MP3版
(CD、DVD、テキストは販売終了)

 

 

レジュメもくじ

前回レジュメ(6)

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下、青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です。
紫色の聖句は2回目にでてきた聖句または参考聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。

緑色の聖句や文章は補足説明です。
茶色の文章はフルクテンバウム博士著『The Footsteps of The Messiah』付録Ⅷ 中間状態 からの補足説明です。

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

 

Ⅱ.中間状態
The Intermediate State between Death and Resurrection

 

 

セミナーテキストの9ページ

D. 中間状態の体
The Intermediate Body

 

1.論点 The Issue

 

私たちが死ぬとは
肉体と霊魂とが分離
信者の霊魂(非物質的な部分)は神のみもとに行くということ

将来、肉体が復活して霊魂と肉体が一つになる


私たちは復活のからだが与えられるまで霊魂のままの状態なのか?
或いはとりあえず別の中間状態のからだを与えられるのか?

*死後の霊魂は
復活までの期間に
中間状態のからだを有するのか?

 

或る人たちは中間状態の体があると言う
霊魂だけでは機能できないという前提条件をもっているからだが、霊魂だけでも活動できるということを前回みた

 

 

 

 

中間状態の体があるという人たちが引用する聖句が 

2.鍵になる聖句 2コリ5:1〜10
The Key Passage— II Corinthians 5: 1-10

2コリ5:1〜10
Ⅱコリ 5:1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。5:2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。5:3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。5:4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。5:5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。5:6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。5:7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。5:8 私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

 

 

セミナーテキスト10ページ

a. 分析 Analysis

 

1節
Ⅱコリ 5:1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。
それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、」=信者の肉体が死によってこわれても
(Ⅱペテ 1:13 私が地上の幕屋にいる間は、〜1:14 〜私がこの幕屋を脱ぎ捨てるのが間近に迫っているのを知っているからです。)

この永遠の家とは一時的ではない「永遠の」からだのこと

 

2節
Ⅱコリ 5:2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。

 

3節
Ⅱコリ 5:3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。
中間状態は裸の状態だとパウロは言う

天から与えられる永遠のからだを着るまでの間、私たちは一時的に裸の状態になると教えている

 

4節
Ⅱコリ 5:4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。
それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。
そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。

パウロは、信者はやがて朽ちないからだ、天からの住まいを着せていただくという希望があると語る

4節は 1コリ15:50〜58の要約
Ⅰコリ 15:50 兄弟たちよ。
私はこのことを言っておきます。
血肉のからだは神の国を相続できません。
朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。
私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。
ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。

おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ。
おまえのとげはどこにあるのか。」
15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
15:57 しかし、神に感謝すべきです。
神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。
堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。
あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

 

5節
Ⅱコリ 5:5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。
神は、その保証として御霊を下さいました。
信じて信者になった瞬間から内側に聖霊が内住していてくださる

その御霊は、信者が一時的に裸の状態になるが最後は天からの住まいを着せていただくということの保証、手付金であるとパウロは言う

 

6節
Ⅱコリ 5:6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。
ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。

私たちが今の肉体で生きている限りは主から離れているということ

肉体の中に霊魂が宿っているので、その霊魂は天にあって主とともにある状態には未だ達していない
信者はもちろん霊的には離れていないが、肉体的には離れている

 

7節
Ⅱコリ 5:7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。
この文脈で信仰とは二つのことを含んでいる

①私たちはやがて主とともにいるようになるという信仰
②私たちはやがて天からの住まいを着るようになるという信仰
信者が天に入って初めて「見るところ」も「信仰」もともにもつ

 

8節
Ⅱコリ 5:8 私たちはいつも心強いのです。
そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。

信者が死ぬとその霊魂がどうなるかを教えている

肉体を離れた途端に私たちは主の臨在のもとに置かれるので、主のみもとにいるほうがよいと言っている

 

9節
Ⅱコリ 5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。

今何であるか、将来何があるのか、聖霊の保証を持っている、と知ることで、信者の生活は主に喜ばれる目的をもって絶えず導かれていくべき

 

10節
Ⅱコリ 5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

信者の報いについて
1コリ3:10〜15

Ⅰコリ 3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。3:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。

 

 

2種類のからだの与えられ方がある
1.携挙の時に永遠のからだに変えられる人
2.死んでいた人は復活によって復活のからだが与えられる

私たちはその復活のからだをもってキリストのさばきの座の前に現れ報奨をいただけるか、報酬がないか、判断される
信者の行為は救いとは全く関係がないが(信仰と恵みによって救われる)、行為が報奨を決める

 

 

 

b. 推論(5つある) Deductions

 

 (1)パウロが論じているのは、中間状態のからだか?復活のからだのことか?

 (2)1節では、永遠の家と言われている
永遠は消えることがない
これは中間状態のからだではなく、復活のからだについて語っているとみた方が良い

(3)もし中間状態のからだだとするならば、復活の後どうなるのか?
中間状態の体はどこに行くのか?
霊魂は中間状態の体を離れて復活したもとのからだに戻っていくのか?
その時に中間状態の体はたましいが抜けているので、どうなるのか?
永遠の家と言われるなら中間状態のからだは消えないはず
私たちが二つのからだをもって生きると聖書は教えていない

 (4)3〜4節は、「一時的に裸の状態になることを示唆している
再び家を着る時は復活のからだを着るということ
復活のからだを着るまでは霊魂が一時期裸になる、からだを持たないことを意味し、中間状態のからだはないということ

(5)10復活のからだはキリストのさばきの座との関連の中で語られている
復活のからだが与えられて、私たちの霊魂がそれと一体化した直後にさばきの座に立つということ

 

 

 

c. 結論 Conclusions

 

(1)2コリント5:1〜10は中間状態のからだがあるということを教えているのではない

 

セミナーテキスト11ページ

(2)ここで論じられているからだは復活のからだのこと
その復活のからだは永遠に続くからだのこと

 

 

 

 

3.疑問
The Question

 

*からだから離れた霊魂は、何らかのからだをもたないと機能しないのではないか?
多くの人が霊魂とはそれだけでは存在しない、動くことができないという誤った前提をおき、中間状態の体がないのはおかしいという結論にもっていく
しかし、からだのない霊は物理的な世界で十分に機能するというのが聖書の教え

 

ヨハネ4:24
ヨハ 4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
神は霊ですが、物理的な世界において十分働くことができる

今日私たちが見る全宇宙の創造のわざに参加されている

 

ヨハネ3:8
ヨハ 3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。
御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

*聖霊について

*御子(イエス・キリスト)は受肉(人間として誕生される)の前は霊だった

*父なる神には肉体はない

 


ヘブル書1:14
ヘブル 1:14 御使いはみな、仕えるであって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。
天使は霊的存在

天使は私たちが知っているようなからだを持たずに活動している
イエスの墓にかけられていた大きな石をころがしたのは天使であり、肉体を持たない天使が物理的力を発揮した

 

 

Q:からだを離れた霊魂は何らかのからだを持たないと機能しないのではないか?
A:そんなことない
からだがなくても機能する

 

 

 

 

4.状態
The Description

 

聖書は死後の霊魂を例外なしに全て肉体をもたない霊魂として描いている
肉体を持たない霊魂は、生きた時にもっていた肉体のような見かけをしている

 

1サム28:12〜19

13節
Ⅰサム 28:13 (サウル)王は彼女に言った。
「恐れることはない。何が見えるのか。」
この女はサウルに言った。
こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」
こうごうしい:神さまを表現する言葉

こうごうしい方つまり神のように見える方が上って来ると言う
サムエルは、霊の状態でシオールから出てきた

14節
Ⅰサム 28:14 サウルは彼女に尋ねた。
「どんな様子をしておられるか。」
彼女は言った。
年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」
サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした。
サムエルは死んだときの彼の状態で出てきた

中間状態において肉体を離れた霊魂は、死んだ時の肉体と同じような見かけをもち活動している

 

 

ルカ16:19〜31

ラザロアブラハム金持ちも中間状態のからだをもっているとは書かれいない
霊魂が、生きていた時のような状態で見えていたということ

この金持ちは生前ラザロのことを知っていたが、アブラハムのことは何故わかったのか?
アブラハムという名札をつけていたからです。(ジョーク)
何故わかったかはわからないが、わかったということを聖書は教えている

 

 

*変貌

マタ17:3
マタ 17:3 しかも、モーセエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

マコ9:4
マル 9:4 また、エリヤが、モーセとともに現れ、彼らはイエスと語り合っていた。

ルカ9:30〜31
ルカ 9:30 しかも、ふたりの人がイエスと話し合っているではないか。
それはモーセエリヤであって、9:31 栄光のうちに現れて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。
弟子たちはイエスとともにモーセとエリヤがいるのを見た

この時
イエス生きている
モーセ死んでいる
復活のからだはもっていない
イエスが復活していないので
霊魂だけで現れているがからだをもっているように見えた
エリヤ:一回も死を通過していない(生きたまま天にあげられた)
栄光のからだをもっている
教会の携挙の時に生きている聖徒たちが経験するのと同じ経験をエリヤはした

 

弟子たちはモーセもエリヤも見たことがないのに、わかった
それは・・・・(ジョークは割愛)

モーセとエリヤはイエスとともに栄光の中に現れた
中間状態のからだがあったとはどこにも書かれていない

 

 

黙示録6:9〜11
黙 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
6:10 彼らは大声で叫んで言った。
「聖なる、真実な主よ。
いつまでさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。
そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい」と言い渡された。
ヨハネは天にあるたましいを見またが、中間状態のからだがあるとは言っていない

 

 

 

5.結論
The Conclusion

 

*中間状態のからだは存在しない

 永遠に続くからだを次に持つようになる

 

 

:霊魂だけで生きられるなら復活のからだは必要なのか?
:私たちのこの朽ちるべきからだと復活の時に与えられるからだとは違う
復活のからだは栄光に満ちたからだ

 

 

Q:その復活のからだは何歳位に見えるのか?
A:判定基準は、子孫を残せる状態で創造されたアダムとエバ
その時彼らが何歳に見えたかはわからないが、その見かけが私たちが復活する時のからだの見かけ
(フォーラムにてこの答えはジョークだという声がでたが・・・)

 

 

 

死後の世界レジュメ(8) 2018年12/22
Ⅱ.中間状態 E.誤った説(2つある)1.第二の機会 

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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