練馬桜台聖書フォーラム

死後の世界 レジュメ(22)2019年 8/24

2019.08.26

カテゴリー:学び, 死後の世界

死後の世界 レジュメ(22)2019年8/24

 

死後の世界セミナー受講者による質問第三弾

 

2012年フルクテンバウム博士セミナー
聖書が教える死後の世界
ー個人的終末論ーテキスト 

(チャート 死者の場所(13の用語))
(ホワイトボード)を学んでいます。

ご購入はこちらから(MP3版
(CD、DVD、テキストは販売終了)

 

 

レジュメもくじ

前回レジュメ(21)

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下、
紫色の聖句は参考までにレジュメ筆者が載せた聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。

緑色の文章はレジュメ著者による補足説明です。
茶色の文章はフルクテンバウム博士著『The Footsteps of The Messiah』第15章、第16章 からの補足説明です。

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

 

今回で「死後の世界」シリーズは終わりです。
参考までに 今までの内容をまとめてみました。

Ⅰ.不滅 IMMORTALITY

A.意味(定義)
B.不滅の証拠(17の具体例)1〜67〜17
C.不滅の教理がもたらす益(3つ)
D.誤った説(4つ) 1生存は終了 2霊魂は輪廻する 3条件付きの不滅 4霊魂の抹殺(神学的議論)、4霊魂の抹殺(聖書的議論)①〜⑪⑫〜⑯(それ以外の議論)
死とは肉体と非物質的な部分との分離です。
聖書で不滅、不死immortalityとは肉体に関してのみ使われていますが(1コリ15:53,54)、霊魂も不滅であるという概念が聖書にあることを学びました。
死後、全ての人の霊魂(非物質的部分)は意識があり永遠に生き続けます
つまり霊魂の生存は終了するわけでも、輪廻するわけでもなく、また条件付きの不滅でも、抹殺されるのでもないことを神学的議論と聖書からみました。

 

Ⅱ.中間状態
The Intermediate State between Death and Resurrection

A.意味
B.信者たち
C.不信者たち
D.中間状態の体(5つに分けて論じる)
E.誤った説(2つ)セカンドチャンス霊魂の眠り
肉体の死から(からだが)復活するまでの間の霊魂の状態。
死者の場所に「形のある」霊魂だけで存在しています。
信者の霊魂は死の瞬間に直ちに聖化が完了し霊魂の救いは完成しますが、肉体は未だ贖われず、休息し、眠っているように見えます。

不信者の霊魂は、神から切り離され失われた状態であるという自意識を持つ、苦しみの状態です。
将来、肉体が復活し霊魂と合体するまでのあいだ中間状態のからだというものは存在しません
セカンドチャンスもありませんし、霊魂が眠った状態でいるわけでもありません。
永遠の運命は死の瞬間に確定します。

 

Ⅲ.死者の場所
The Place of the Dead

A.見えない場所(13の用語がある) シオールハデスアバドンよみの穴アビスタータラス地獄ゲヘナ火の池アブラハムのふところパラダイス新しいエルサレム結論
B.旧約聖書の時代
C.新約聖書の時代
D.
将来 信者たち 不信者たち
E.誤った説(2つ) 幼児霊域、煉獄
中間状態に霊魂だけでいる場所と、復活したからだが霊魂と合体して霊肉ともにその後いく場所。
聖書にでてくる死者の場所の用語は13もありました。
最終的に、信者は栄光のからだで千年王国のあとにできる新しい地の上にくだる「新しいエルサレム」で神さまと共に永遠に住みます。
不信者の将来は神の恵みから完全に切り離された、霊肉ともに永遠に苦しむ「火の池」です。
サタンと悪霊も最後はそこに行きます。

死者の場所についての誤った説を2つみました。

 

 

死後の世界Q&A(3/3) 

 

セミナー受講者から出された質問に先生方が答えました。

 

Q26:
ラザロについて実話だとすると、長年たとえ話として看過してきた論点が重要なものとなります。
 

(中川健一牧師による、以下(中川師))
ラザロについての、あのルカ1619〜31実話だと学びましたね。
何故かというと、たとえ話だとヘブル的には実名はでてきません

Q26つづき:
特にルカ16:31でアブラハムが旧約に聞かない者は復活を含む
新約も信じまいと判断したことが、十字架の意義を否定する深刻な意味をもってくるのではありませんか? 

ルカ 16:29 しかしアブラハムは言った。
『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』
16:30 彼は言った。

『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』
16:31 アブラハムは彼に言った。
『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』

 

 

A26:(中川師)
アブラハムが旧約に聞かない者は復活を含む新約も信じないと言っているのでしょうか。
ラザロが復活して彼らのところに伝えたとしてもモーセと預言者のことばは信じないと言っているだけで、新約の十字架や復活を信じないとは言ってないでしょう。

この段階では十字架の事実は未だないわけです。

ですから、十字架の意義を否定する深刻な意味はもちません。
この時にラザロも金持ちも与えられている啓示は私たちが今、旧約聖書と言っている啓示で、その啓示に対して心を開いて神を信じることが救いの条件でした。
ですから新約の十字架をこの段階でまだ持ってきてはいけません
(ルカ16章の話はモーセの律法が有効だった時代の話ですね。)

 

 

 

 

Q27:俗にいう幽霊の正体とは?
聖書的、神学的に教えてください。

 

A27:(フルクテンバウム博士による、以下(F博士))
一般的に幽霊というのは死んだ人の魂だと言われます。
死んだ人の魂は「シオール」に行っているので、動き回って生きている人を脅かすようなことはしません。
ですから、幽霊(ゴースト)なんていうのはいません
ホーリーゴースト(聖霊)だけです。

悪霊が死んだ人の魂のようなふりをすることがあるのです。
しかし、それは幽霊が存在しているということとは全く別のことですね。

 

 

 

 

Q28:
クリスチャンが自殺したらハデスではどのように扱われるのでしょうか?

 

A28:(中川師)
前に言ったように、救いは失われないということですね。
キリストの御座のさばきでは報奨からもれるということです。

 

 

 

 

Q29:
人は、霊、魂、からだの3つからなると学んだのですが、第一日目の学びの
テキストの「霊魂」は霊&たましいと理解していいのでしょうか?
一緒に働き、分類はしていないのですか?
それともたましいのことを霊魂と表現されていますか?

 

A29:(中川師)
これは私が冒頭に説明しておくべきでした。
この学びで「霊魂」と訳しているのは英語のソウルSOULという言葉で、定義すると肉体に対して目に見えない人間の内面の存在のことを言っています。
それが霊とたましいに分かれるかどうかということは、この講義の内容では取り上げていないのです。

神学的には霊とたましいがあり分かれるという考え方と、人間の内面は霊たましいと呼んでいますが区別できない一つのものだ、という立場とがあるのです。
ですから、このテーマを取り上げるのはこの学びの目的ではないということ。
でもフルクテンバウム先生に、人間の目に見えない部分が2つに分かれると思うか、ひとつと思っているのか、聞いてみましょう。

(F博士)
人間は基本的には、肉体という物質の部分と物質のない部分との2つからできています。
そして、両方ともいろいろな部分を持っています。
例)
肉体: 骨、血液、皮膚、筋肉、ほか
目に見えない人間の部分:  soul, sprit, heart, mind, consciousness & will
霊とたましいだけでなく知情意といったようなものにも分けることができるでしょう。

人間の目に見えない部分というのはそれだけ複雑な要因からなっていて、肉体が死んでもその部分は生き続けます

(中川師)
フルクテンバウム先生は、目に見えない部分というのはひとつで、いろいろな部分があると理解しているのですね。いいですか。

 

 

 

 

Q30:
ヘブル12:1で「多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いている」
とはどういうことを意味しているのでしょうか?

(中川師)
雲のようにとりまいて見ているような感じがしたのかな。

ヘブル 12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

 

A30: (F師)
この証人たちは、私たちがどうやって走っているかを見ているのではなく、信者には必ず勝利があるということを証明している人たちです。

ヘブル書11章では、信仰の勇者たちの例がどんどんでてきますね。

ヘブル 11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
11:4 信仰によって、アベルは(〜以下が言える人はスゴイです)
11:5 信仰によって、エノクは
11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
11:7 信仰によって、ノアは、〜
11:8 信仰によって、アブラハムは、〜
11:9 信仰によって、彼は〜

11:11 信仰によって、サラも、〜
11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。
約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。〜
11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。
〜事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

11:17 信仰によって、アブラハムは
11:20 信仰によって、イサクは
11:21 信仰によって、ヤコブは
11:22 信仰によって、ヨセフは
11:23 信仰によって、モーセは生まれてから、〜
11:24 信仰によって、モーセは成人したとき、
11:27 信仰によって、彼は、〜
11:28 信仰によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過越と血の注ぎとを行いました。
11:29 信仰によって、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。〜
11:30 信仰によって、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、〜
11:31 信仰によって、遊女ラハブは、〜
11:32 これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。
11:33 彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、11:34 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。
11:35 女たちは、〜
またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。〜
11:36 また、ほかの人たちは、〜11:38 ──この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした──荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。
11:39 この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。
11:40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられた〜

彼らを見ていると私たちもまた同じように勝利することができる、そういう意味での証人です。
私たちのしていることを見守っているわけではないのです。
おそらく彼らは私たちのしていることを見たくないと思います(苦笑)

 

 

 

 

Q31:
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
このみことばの約束では、家族はすでに救われているのでしょうか?
それともあくまでも救いは個人のものなので、家族であってもまだ未信者であるなら家族はパラダイスには行けないのでしょうか?


使徒16:19 彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。16:20 そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。〜16:22 群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、16:23 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
16:24 この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
16:26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
16:27 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
16:28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。

16:29 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
16:30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。

16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。
16:32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。

16:33 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。
そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。

16:34 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。

 

A31:(F師)
聖書が強調していることは、救われる為には個人個人が自分で信仰を持たなければいけないということです。
この文章はまず「信じなさい。」という命令文で始まっています。
Believe on the Lord Jesus, and thou shalt be saved, thou and thy house.
この「信じなさい」ということは、それに続く文章の両方にかかっています。
あなたが信じたら、あなたは救われる。
あなたの家族が信じたら、あなたの家族も救われる、ということです。
私たちが信じたから家族の他のメンバーも救われるというのではないのです。
彼らは彼らで信じなければいけない。
原則というのはこういうことです。
よく言われることですが、神は霊的子どもをもっているだけで、孫はもっていません。

(中川師)
わかりますか。霊的孫は神にはないということです。
この聖句は大阪(でのセミナー)でも何人も質問していたのです。
よっぽど日本人には難しい聖句なのかな。

 

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救われるために全ての人(十字架以降の異邦人とユダヤ人)が信じるべき内容とは次の3つです。

コリント人への手紙第一 15:3b〜4
キリストは、聖書の示すとおりに、
私たちの罪のために死なれたこと、
15:4 また、葬られたこと、
また、聖書の示すとおりに、
三日目によみがえられたこと、

① キリストは私たちの罪のために死なれたこと
② 墓に葬られたこと
③   三日目に復活されたこと

イエスさまに信頼をおく者には、祝福された永遠のいのちが用意されています。
この特別に啓示された福音の内容を理解し、同意し、イエス・キリストこそ自分を救ってくださる唯一のお方であると信じ信頼することで、信仰により恵みにより救われます。

イエス・キリストの十字架についての無料メッセージは
中川健一牧師によるメシアの生涯(197)十字架上での最初の3時間(1」、YouTube、Vimeo音声のみアウトライン
アプリ等あります。

(198)からも、またメシアの生涯(1)からも是非お聴きください。

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Q32:
シオール」の中にある「アブラハムのふところ」つまり「パラダイス」の
ことですが、エゼキエル31:15〜18より、創世記のエデンの園がノアの洪水後にそこに行った場所であるという説を知りました。
それでよろしいでしょうか?

 

A32:(中川師)
こういう説はあまり聞かないほうがいいですね。
エデンの園というのは物理的場所です。
アブラハムのふところ」「パラダイス」というのは死後に行く霊的領域ですね。
ですから物理的エデンの園がそこに移るということはあり得ません。
エデンの園は今は消滅しています。

エゼ31:2 「人の子よ。エジプトの王パロと彼の大軍に言え。あなたの偉大さは何に比べられよう。
31:3 見よ。アッシリヤはレバノンの杉。
美しい枝、茂った木陰、
そのたけは高く、そのこずえは雲の中にある。

エゼ 31:15 神である主はこう仰せられる。それがよみに下る日に、わたしはこれをおおって深淵を喪に服させ、川をせきとめて、豊かな水をかわかした。わたしがこれのためにレバノンを憂いに沈ませたので、野のすべての木も、これのためにしおれた。31:16 わたしがこれを穴に下る者たちとともによみに下らせたとき、わたしは諸国の民をその落ちる音で震えさせた。エデンのすべての木、レバノンのえり抜きの良い木、すべての水に潤う木は、地下の国で慰められた。31:17 それらもまた、剣で刺し殺された者や、これを助けた者、諸国の民の間にあって、その陰に住んだ者たちとともに、よみに下った。31:18 エデンの木のうち、その栄えと偉大さで、あなたはどれに似ているだろうか。あなたもエデンの木とともに地下の国に落とされ、剣で刺し殺された者とともに、割礼を受けていない者たちの間に横たわるようになる。これは、パロと、そのすべての大軍のことである。──神である主の御告げ──」

 

 

 

 

 Q33:
エホバの証人やモルモン教の人たちの伝道熱心の動機と、メッセージを聞き
信じた私たちの動機の、最大の違いを教えてください。

 

A33:(中川師)
エホバの証人やモルモンの人たちは、自分の救いの達成、自分の地位が確保される、或いは聖書的ではない教理が正しいということを納得させるために必死になってやっています。
ただ、いわゆるカルトという人たちのほうが私たちよりははるかに熱心だということを私たちは認めなければいけません。

私たちの動機は愛ですよ。
愛する者が一人でも多く永遠の救いに行って欲しい。
そして、その神さまから来るのです。

皆さんね、こういう講義(聖書が教える死後の世界)を聴いて、神さまの愛が遠くなっちゃったと思ったら大間違いですよ。
神さまのご性質というのは愛と聖と正義です。
その全部が調和している中に、今回学んでいる真理があるのです。
神さまはご自分のもとに、離れていった子どもたちが帰ってくることをどれだけ待っておられるか。
その為にイエスさまの十字架があったのでしょう。

私たちとカルトの人たちとの動機の最大の違いは、神の思いをもって動いている人と人参を目的に動いている人の違いです。
人参が何かというのは自分で考えてくださいね。

 

 

 

 

Q34:
セミナーテキスト23ページ」と天国の違いについて。

 

A34:(中川師)
セミナーテキスト23ページには「天(Heaven)」とあります。
天国と言ってもいいのです。

ただ、天国と言うと聖書用語ではありませんし、いろいろな異なった概念がでてきます。
例)
千年王国、神の国

「国」とつけると王国というニュアンスがでてくるので「天」と言っているのですが、一般的に私たちが言う天国だと考えてもいいわけです。

死んだら私は天国に行くと言った時に、それは「パラダイス」のことであり、今だと「第三の天」のことです。

例)
信者の御葬儀でメッセージする時「そして、○○兄弟は肉体を離れて今天国に行かれました。」と言ってもいいわけです。
その時に「第三の天に行かれました」と言っても、一般の日本人にはわからないですから、一般用語としてはそれでよろしいわけですね。

 

 

 

 

Q35:
山羊と羊のたとえ、マタイ25章のさばき。
大患難時代でユダヤ人にどういう態度をとったかに基づくさばきだ、と耳新しいことだったので教えて欲しいです。

マタ 25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。
彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、25:33 を自分のに、山羊に置きます。

25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。
『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』

25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」

 

A35:(F師)
大患難時代の終わりに生き延びる異邦人がいるのです。
エルサレムとオリーブ山の間に、ヨシャパテの谷というのがあります、ケデロンの谷。
そこに、生き延びた異邦人が全部集められて(神さまに個人的に)さばかれ、二つに分かれます。
一つは羊の異邦人、もう一つは山羊の異邦人。

そのさばきの基準: 大患難時代にその異邦人が親ユダヤ(ユダヤ人を助ける)だったか反ユダヤ(ユダヤ人を攻撃する)だったか
親ユダヤ的か反ユダヤ的であるかという行いに彼らの救いの基準があるのではありません。
信仰の証が親ユダヤ的行動なのです。

山羊の異邦人: 実は不信者なので、反ユダヤに走ったわけです。
ユダヤ人に対して敵対的行動をとったということはイコール不信者だということです。
ユダヤ人を抹殺しようとする反キリストのプログラムに参加した人です。
この人たちは殺されて地獄に送られます。

羊の異邦人: 大患難時代にユダヤ人を助けた人たちで、その行動が彼らが信者であることをしめしています。
彼らは千年王国に住むことを許され、千年王国の中の異邦人に割り当てられた土地で住むようになります。

私たち教会時代の聖徒たちは、この大患難時代を生き延びた羊の異邦人とともに一千年間、千年王国で住まい、地を統治するようになります。

これは「異邦人のさばき」とよく言われます。
千年王国に入る人と入れない人とを区別するさばきであり、大患難時代を生き延びた異邦人で誰が救われ、誰が救われていないかを区別するさばきです。

 

 

 

 

Q36:
イエスさまが死なれた時、生き返った人々が大勢いました。
あれは復活というよりも蘇生であったと思いますが、何故生き返ったのでしょうか?
このことについてのフルクテンバウム先生のお考えをお聞きできれば幸いです。 

マタ 27:50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。 27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
27:52 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
27:53 そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。

 

A36:(F博士)
イエスさまが死なれた時、彼らは生き返りました。
しかし、イエスさまが復活するまでは墓の中にとどまっていました。
これは旧約時代の聖徒たちが不滅のからだによみがえったということではなく、自然のからだに蘇生したということであり、後に彼らは死んでます。
これは地面に埋葬された人ではなく、墓の中に入れられていた人だけに、またエルサレム周辺の墓に入れられていた人だけに限定されています。
何故かというと、ひとつはイエスさまの死が命をもたらしたことを端的にあらわしています。
そして、その人たちがエルサレムの或る人たちにあらわれたというのは、イエスというお方がまことにメシアであるという証言をする証人としての働きをしています。

聖書の啓示によれば私たちが知っているのはそこまでで、それ以降何も言及がありませんから、そのあと彼らがどうなったかは私たちにはわかりません。

 

 

 

 

Q37:
A国のB師
何百人かの人が死んだのによみがえっています。
これについてのビデオや証のDVDが出ています。
これはどういうことでしょうか?

(中川師)
よく一度死んでむこうの世界を見てよみがえった人が本を書いたり、証ししたりしています。
聖書的に考えてどうなのか、ちょっと聞いてみましょう。

 

A37:(F博士)
私は非常に懐疑的です。

奇跡が頻繁に起こっている時代は、聖書の歴史で3つしかありません。
・出エジプトと荒野の放浪の間(出エジプト記〜)
・エリヤとエリシャの時代(1列王記、2列王記)
・イエスと使徒たちの時代(福音書、使徒の働き)
この3つはイスラエルの歴史の中での大きな転換点です。

これ以外の時期に奇跡が起こるのは非常に稀であり、ましてや死んだ人がよみがえるのは本当に少数です。
普通こういうことは遠い国の行って確かめることがなかなか難しい距離のところで起こっています。
何百人かが死んだのによみがえっていると聞いたら、まず私は非常にその正確性を疑います。

 

ある人が死んで、むこうの世界を見てきた証言を本に書いたりしていますが、そういう話を聞くともっと不安に、もっと懐疑的になります。
何故かというと、聖書の中で死んでよみがえった人をみていると、彼はよみがえってから何を見てきたかという説明を一切していません
沈黙しているのです。
パウロも第三の天に上げられましたが、語ることを許されていないことを聞いたと言っています。

Ⅱコリ 12:2 私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に──肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです、──第三の天にまで引き上げられました。12:3 私はこの人が、──それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです、──12:4 パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。

トンネルの中をくぐり抜け光を見たという証言をするグループの人が常にいますね。
この人たちは臨死体験をしたのでしょう。
例えば、事故にあった、重病で苦しんだ、投薬を受けていたという状態ですね。
非常に不思議なのは、その人たちが目覚めた時にインタビューしてみると、信者も不信者も似たような体験をしているのです。
光をどう解釈するかが、その人たちのそれまでの信仰体験により異なってくるのです。
クリスチャンの背景のある人はその光をイエスさまを見たと、ユダヤ的背景の人は何かの天使を見たと言うのです。

私の家内のおじさんが臨死体験をしました。
彼はその経験をする前も後も無神論者です。
「あの経験をしてから死ぬのが怖くなくなったよ。神がいなくても死後の世界はそんな悪いもんじゃない。」と家族に答えました。

 

ポイント
皆さん、聖書研究をしなさい。
みことばにとどまりなさい。
みことばを離れていろいろな人が書いている本に惑わされてはなりません。

 

 

 

 

これで『聖書が教える死後の世界』の学びは終わりです。
長い間お読み頂き、ありがとうございました。
神さまの祝福が豊かにありますように。
このレジュメを復習用に何度も用いて頂けたら嬉しいです。
次回からも是非おつきあいください。

 

新シリーズ
聖書の八つの契約(1) 2019年9/14 

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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