イスラエル学
レジュメ(13)2026年9/12
ラザロの復活はヨナの第一のしるし
ベルゼベル論争の重要性
2006年フルクテンバウム博士セミナー
講師:Dr. Arnold Fruchtenbaum
通訳:中川健一牧師
『イスラエル学』
THE MISSING LINK IN SYSTEMATIC THEOLOGY
(テキスト)
ご購入はこちらから(CD)(テキスト)
フルクテンバウム博士のメッセージを
中川健一牧師がわかり易く通訳してくださった
セミナーの内容を基に作成しています。
以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句箇所です
(セミナーでは新改訳3を使用しているので説明文では新改訳3)
(このHPでの引用聖句は原則 口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
「新共同訳」とは聖書 新共同訳©共同訳聖書実行委員会j
「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です
黒色の文章がセミナーの説明文
緑色の文章はHP編者による補足説明
紫色の聖句は引用聖句や参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version ASV)
茶色の文章はアーノルド・フルクテンバウム博士著 中川健一監訳 佐野剛史訳
『イスラエル学-組織神学の失われた環-THE MISSING LINK IN SYSTEMATIC THEOLOGY』
(書籍)(電子書籍) 64~71頁からの補足説明です
興味のある箇所はリンク先もご覧になってみてください。
紙の聖書「新改訳2017」はこちらをどうぞ
イスラエル学
Ⅰ.過去のイスラエル
A. イスラエルの選び
B.無条件契約
C.モーセ契約とモーセの律法
D.レムナント
Ⅱ.現在のイスラエル
A.神の国のプログラム
1.普遍的な王国か永遠の王国
2.霊的な王国
3.神政政治の王国
4.メシア的王国か千年王国か
5.奥義としての王国
B.イエスのメシア性の拒否と、その結果と成り行き
1.マタイ12:22ー45
2.ヨハネ11:1ー57
3.ルカ19:41ー44
4.マタイ23:1ー36
5.ヨナの第2のしるし
6.拒否の結果と成り行き
Ⅱ.現在のイスラエル
Israel Present
セミナーテキスト6ページ(7/22)
B.イエスのメシア性の拒否と、
その結果と成り行き
The Rejection of the Messiahship of Jesus and its Results and Consequences
セミナーテキスト6ページ(7/22)
2.ヨハネ11:1-57
John 11:1-57
その他にもイエスがよみがえらせた人々がいたが、その記述は数行しかなかった。しかし、ヨハネはここで44節も使ってラザロの復活を詳しく記している。それは、これがイエスの約束していたヨナのしるしだったからである。
ヨハネ11:1~57
ヨハ 11:1 さて、ひとりの病人がいた。
ラザロといい、マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤの人であった。
11:2 このマリヤは主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって、病気であったのは、彼女の兄弟ラザロであった。
11:3 姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、
「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」
と言わせた。
11:4 イエスはそれを聞いて言われた、
「この病気は死ぬほどのものではない。
(この病気は死で終わるだけのものではなく、~/新改訳3)
それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。
11:5 イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
11:6 ラザロが病気であることを聞いてから、なおふつか、そのおられた所に滞在された。
11:7 それから弟子たちに、
「もう一度ユダヤに行こう」
と言われた。
11:8 弟子たちは言った、
「先生、ユダヤ人らが、さきほどもあなたを石で殺そうとしていましたのに、またそこに行かれるのですか」。
11:9 イエスは答えられた、
「一日には十二時間あるではないか。
昼間あるけば、人はつまずくことはない。
この世の光を見ているからである。
11:10 しかし、夜あるけば、つまずく。
その人のうちに、光がないからである」。
11:11 そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、
「わたしたちの友ラザロが眠っている。
わたしは彼を起しに行く」。
11:12 すると弟子たちは言った、
「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」。
11:13 イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。
11:14 するとイエスは、あからさまに彼らに言われた、
「ラザロは死んだのだ。
11:15 そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。
それは、あなたがたが信じるようになるためである。
では、彼のところに行こう」。
11:16 するとデドモと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った、
「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」。
11:17 さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。
11:18 ベタニヤはエルサレムに近く、二十五丁ばかり(三キロメートルほど/新改訳3)離れたところにあった。
11:19 大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
11:20 マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
11:21 マルタはイエスに言った、
「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
11:22 しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
11:23 イエスはマルタに言われた、
「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
11:24 マルタは言った、
「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
11:25 イエスは彼女に言われた、
「わたしはよみがえりであり、命である。
わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
11:26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。
あなたはこれを信じるか」。
11:27 マルタはイエスに言った、
「主よ、信じます。
あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
11:28 マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、
「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」
と小声で言った。
11:29 これを聞いたマリヤはすぐに立ち上がって、イエスのもとに行った。
11:30 イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。
11:31 マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。
11:32 マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、
「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。
11:33 イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、
11:34 「彼をどこに置いたのか」。
彼らはイエスに言った、
「主よ、きて、ごらん下さい」。
11:35 イエスは涙を流された。
11:36 するとユダヤ人たちは言った、
「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。
11:37 しかし、彼らのある人たちは言った、
「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。
11:38 イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。
それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。
11:39 イエスは言われた、
「石を取りのけなさい」。
死んだラザロの姉妹マルタが言った、
「主よ、もう臭くなっております。
四日もたっていますから」。
11:40 イエスは彼女に言われた、
「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。
11:41 人々は石を取りのけた。
すると、イエスは目を天にむけて言われた、
「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
11:42 あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。
しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
11:43 こう言いながら、大声で
「ラザロよ、出てきなさい」
と呼ばわれた。
11:44 すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。
イエスは人々に言われた、
「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。
11:45 マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。
11:46 しかし、そのうちの数人がパリサイ人たちのところに行って、イエスのされたことを告げた。
[これがラザロの復活で]
ヨナのしるしの第1番目のもの
ラザロをよみがえらせた時に2種類の反応があった
*ある人たちはそれを見て信じたが
*別の人たちはパリサイ人のところに報告に行っている
そして47~57節で
ユダヤ議会のサンヘドリンが公式にイエスを拒否することを宣言している
すでにもう彼らは拒否していたのをここでそれを確認している
11:47 そこで、祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して言った、
「この人が多くのしるしを行っているのに、お互は何をしているのだ。
11:48 もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。
そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう」。
11:49 彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った、
「あなたがたは、何もわかっていないし、11:50 ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。
11:51 このことは彼が自分から言ったのではない。
彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、11:52 ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。
11:53 彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した。
11:54 そのためイエスは、もはや公然とユダヤ人の間を歩かないで、そこを出て、荒野に近い地方のエフライムという町に行かれ、そこに弟子たちと一緒に滞在しておられた。
11:55 さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、多くの人々は身をきよめるために、祭の前に、地方からエルサレムへ上った。
11:56 人々はイエスを捜し求め、宮の庭に立って互に言った、
「あなたがたはどう思うか。
イエスはこの祭にこないのだろうか」。
11:57 祭司長たちとパリサイ人たちとは、イエスを捕えようとして、そのいどころを知っている者があれば申し出よ、という指令を出していた。
マタイ12章では悪霊に憑かれているという理由でイエスを拒否したが
ヨハネ11章に行くとイエスを殺そうというところまで彼らはいっている
マタイ12章で起こったイエスのメシア性の否定は、ヨハネ11章のイエスに対する死刑宣告で頂点に達した。
第1のヨナのしるし[つまりラザロの復活]をサンヘドリンが公式に拒否したということ
3.ルカ19:41―44
Luke 19:41-44
イエスのメシア性を否定するという赦されない罪がどういうものか、さらなる光を投じているのがルカ19:41~44である。
ルカの福音書19:41~44にはイエスの勝利のエルサレム入城が書かれてある
イエスさまはここでご自分をメシアであることを入城を通して宣言される
ユダヤ人民衆は、エルサレムに近づいてくるイエスに向かって、「イエスこそメシアだ」と宣言していたのである。
しかしユダヤ人の指導者はあの赦されない罪を犯したあとなのでユダヤ人にこの時代にさばきが来るという状況は変化していない
勝利の入城をする時にイエスさまはイスラエルに対する神のさばきをここで語られる
ルカ 19:41 いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、
19:42 「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら………しかし、それは今おまえの目に隠されている。
19:43 いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、19:44 おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。
それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」。
イエスさまはエルサレムの崩壊を預言されるが
それが40年後[紀元70年]に成就する
4.マタイ23:1-36
Matthew 23:1-36
その世代に対する裁きを扱ったもう一つの聖書箇所に、マタイ23:1~36がある。
マタイ23章でイエスさま公生涯の最後のメッセージに入っていくがそれは
イスラエルに対するさばきの言葉でそのメッセージが終わる
マタ 23:1 そのときイエスは、群衆と弟子たちとに語って言われた、
23:2 「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。
23:3 だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。
しかし、彼らのすることには、ならうな。
彼らは言うだけで、実行しないから。
23:4 また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。
23:5 そのすることは、すべて人に見せるためである。
すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、23:6 また、宴会の上座、会堂の上席を好み、23:7 広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。
23:8 しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。
あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。
23:9 また、地上のだれをも、父と呼んではならない。
あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。
23:10 また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。
あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。
23:11 そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。
23:12 だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。
イエスさまは7つのわざわいを語る
わざわいだ なんとか わざわいだ なんとか 1番目と7番目が同じ
だから語っていくとちょうどそれがサイクルのようにぐるぐるぐるぐるどこまでも続くようになる
そういう仕方で7つのわざわいを宣告する
①
最初のわざわいが13節
1.メシアの拒否(メシアの生涯(163)パリサイ主義の糾弾(2)より)
23:13 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。
あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。
自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。
2つの理由により彼らは非難された
1.最初自分たちが拒否し
2.次には国全体がイエス(のメシア性)を拒否するように彼らは導いた
この点は、後ほどメシア再臨の条件を学ぶ際に重要になってくる。
14節が欠けるギリシャ語の底本がある
23:14 〔偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。
あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。
だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。〕
2.的外れの熱心さ
23:15 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。
あなたがたは、わざわいである。
あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。
そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。
3.優先順位の逆転
23:16 盲目な案内者たちよ。
あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。
23:17 愚かな盲目な人たちよ。
黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。
23:18 また、あなたがたは言う、『祭壇をさして誓うなら、そのままでよいが、その上の供え物をさして誓うなら、果す責任がある』と。
23:19 盲目な人たちよ。
供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。
23:20 祭壇をさして誓う者は、祭壇と、その上にあるすべての物とをさして誓うのである。
23:21 神殿をさして誓う者は、神殿とその中に住んでおられるかたとをさして誓うのである。
23:22 また、天をさして誓う者は、神の御座とその上にすわっておられるかたとをさして誓うのである。
4.実質のない律法主義
23:23 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。
あなたがたは、わざわいである。
はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。
それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。
23:24 盲目な案内者たちよ。
あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。
5.外部へのこだわり(1)
23:25 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。
あなたがたは、わざわいである。
杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。
23:26 盲目なパリサイ人よ。
まず、杯の内側をきよめるがよい。
そうすれば、外側も清くなるであろう。
6.外部へのこだわり(2)
23:27 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。
あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは白く塗った墓に似ている。
外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
23:28 このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
⑦
第7番目の呪いが29~36節
7.メシアの拒否
23:29 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。
あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、
23:30 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
23:31 このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。
23:32 あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。
23:33 へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。
23:34 それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。
23:35 こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。
23:36 よく言っておく。
これらのことの報いは、みな今の時代に及ぶであろう。
メシアを拒否しただけではなく旧約聖書の預言者たちをすべて拒否してきたことをイエスさまはさばきとして語られる
この時には旧約聖書はもうすでに4世紀半前に書き終えられていた
イエスが使用していた旧約聖書の並び順では、最初の書は創世記で、ここにアベルが登場する。最後の書は歴代誌第二で、ここにザカリヤが出てくる。
メシアを拒否したということは旧約聖書そのものを拒否したということになるので
彼らは誰一人としてその事実を否定することはできなかった
旧約聖書が預言していたメシアを拒否したということは旧約聖書の預言者たちそのものを拒否したということと同じこと
セミナーテキスト7ページ
5.ヨナの第2のしるし
The second sign of Jonah
ヨナの第2のしるしがイエスご自身の復活
使徒行伝の最初の7章でイエスさまの復活ヨナの第2のしるしが拒否される
最初の7章ではユダヤ人の中にしかまだ伝道が行われていない
ステパノが石打ちの刑にあって死ぬが
それが[イエスの復活つまり]ヨナの第2のしるしを公式に拒否したということ
ステパノの死が起こって初めて
使徒行伝8章以降
福音が異邦人non-Jewsに伝えられる
6.拒否の結果と成り行き
The results and consequences of the rejection
2つ申し上げたいと思う
1.
メシア的王国 the Messianic Kingdom の提供が取り去られ
それに代わって奥義としての王国 Mystery Kingdom がそこに登場したということ
2.
イエスさまの公生涯の方法 the ministry of Jesus が
4つの分野において変化したということ
①
奇跡を行う目的
これは民衆 the nation のためではなく
12弟子を訓練するためのしるしになっていく
②
いやしを受ける側の信仰の在り方も変わってくる
マタイの福音書12章の前はいやしは民衆のためだったので癒やされる側に信仰があってもなくてもそれは問題になっていない
例)
ヨハネ5章のベテスダの池[あの38年間寝ていた病人]のいやし
この時はイエスさまご自分で奇跡をおこなっているがいやされた人はイエスが誰だか分かっていない
だから自分をいやした方が誰なのか見つけるためにあとで探している
いやしを受けたあの男の側にはイエスはメシアであるという信仰があったわけではない
つまりイエスさまの奇跡を受けとるためには受けとる側の信仰があるということが条件にはなっていなかったということ
ところがマタイ福音書12章以降その方針が変わる
それ以降は癒やされる側に信仰があるということが前提
イエスさまは信仰を要求している
イエスさまは信仰のない民衆から信仰を持った個人へと移行していく
第2の側面
マタイの福音書12章までは癒やされた人にわたしが何をしたかを言い広めなさいとおっしゃる
ところがマタイ12章以降は誰にも言うなと変わってくる
メシア的力を経験した人に黙っていなさいという命令を与える段階に入っていく
皆に言えというところから誰にも言うなという方向への方向転換
③
教え方 メッセージ
イエスさまがメシアだということを直接的なメッセージで12章までは語っている
12章以降はイエスがメシアであるということを誰にも言うなという形に変わっていく
マタイ28章の大宣教命令が与えられるまで弟子たちはその沈黙のポリシーを守らなければいけなくなる
例)
ペテロはイエスさまにあなたは神の子キリストですと言った時に
マタ 16:15 そこでイエスは彼らに言われた、
「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
イエスさまは誰にも言うなとおっしゃっている
マタイ16:20
マタ 16:20 そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
要約すると弟子たちはイエスのメシア性を伝えるところから
沈黙をするところに方向転換をする
④
教え方の変化
マタイ12章までは人々が聞いた時にはっきりと分かる方法でイエスさまは教えている
例)
それがあの山上の垂訓マタイ5章~7章
人々がそれを聞き終わった時にはっきりと理解したので
パリサイ人やサドカイ人の教え方とは違うと彼らは応答している
マタ 7:28 イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。
7:29 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。
ところがマタイの福音書12章以降特に13章に入ると突然たとえ話での教えに入る
イスラエル人がイエスを拒否したその日からたとえ話による教えに入っている
マタ 13:1 その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。
13:2 ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。
13:3 イエスは譬(たとえ)で多くの事を語り、こう言われた、
「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
弟子たちはあなたはなぜたとえで人々に教えるのかと質問さえしている
マタ 13:10 それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、
「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。
弟子たちがこのような質問をしたということは、イエスがたとえによって教えるのはこれが初めてだったことを示している。
イエスさまはわたしがたとえ話を使うのは2つ理由があるとおっしゃっている
1.弟子たちにはたとえ話は真理をより深く教える働きをする。
2. しかし人々にはたとえ話というのは真理を隠す
民族としては、光を拒絶したので、それ以上の光はもはや与えられない。
まとめると明確な教えからたとえ話を使った教えへの移行
あのマタイの福音書12章13章がどれほど重要なイエスさまの公生涯の変更点になっているかということを理解しなければそれ以降の福音書の話や展開は理解することが不可能
イエスさまのご生涯で十字架と復活もちろん大事だがそれを除くと
イスラエルがイエスのメシア性を拒否したということほど重要な出来事はない
これの結果イエスさまの公生涯の後半が決まってくる
またこれが使徒行伝で起こることの準備になる
これが新しくキリストのからだと言われる教会が誕生する土台になる
そしてこれがそれ以降ユダヤ人の2千年間の歴史の土台になっていく
今このメシアの生涯で重要な点をかなり急いでした
もっと詳しく知りたいという方はこれだけを取り上げたセミナーのテープがある(CD、テキスト共に販売は終了)
『ユダヤ的視点から見たメシアの生涯』 テキスト
イスラエル学(14)2026年9/26へ
Ⅱ.現在のイスラエル
C.無条件契約
1.アブラハム契約 2.土地の契約 3.ダビデ契約
このセミナーの内容はこの本の一部とかぶります。
ゼヒお読みください。
アーノルド・フルクテンバウム博士著
中川健一監訳/佐野剛史訳
『イスラエル学-組織神学の失われた環-THE MISSING LINK IN SYSTEMATIC THEOLOGY』
(書籍)(電子書籍)
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ出版部






