イスラエル学
レジュメ(11)2026年7/18
神の国のプログラム5つの側面のうちの真骨頂
5番目「奥義としての王国」について
2006年フルクテンバウム博士セミナー
講師:Dr. Arnold Fruchtenbaum
通訳:中川健一牧師
『イスラエル学』
THE MISSING LINK IN SYSTEMATIC THEOLOGY
(テキスト)
ご購入はこちらから(CD)(テキスト)
フルクテンバウム博士のメッセージを
中川健一牧師がわかり易く通訳してくださった
セミナーの内容を基に作成しています。
以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句箇所です
(セミナーでは新改訳3を使用しているので説明文では新改訳3)
(このHPでの引用聖句は原則 口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
「新共同訳」とは聖書 新共同訳©共同訳聖書実行委員会j
「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です
黒色の文章がセミナーの説明文
緑色の文章はHP編者による補足説明
紫色の聖句は引用聖句や参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version ASV)
茶色の文章はアーノルド・フルクテンバウム博士著 中川健一監訳 佐野剛史訳
『イスラエル学-組織神学の失われた環-THE MISSING LINK IN SYSTEMATIC THEOLOGY』
(書籍)(電子書籍) 60~63頁からの補足説明です
興味のある箇所はリンク先もご覧になってみてください。
紙の聖書「新改訳2017」はこちらをどうぞ
イスラエル学
Ⅰ.過去のイスラエル
A. イスラエルの選び
B.無条件契約
C.モーセ契約とモーセの律法
D.レムナント
Ⅱ.現在のイスラエル
A.神の国のプログラム
1.普遍的な王国か永遠の王国
2.霊的な王国
3.神政政治の王国
4.メシア的王国か千年王国か
5.奥義としての王国
セミナーテキスト6ページ(7/22)
Ⅱ.現在のイスラエル
Israel Present
A.神の国のプログラム
The Kingdom of God Program
5.奥義としての王国
The Mystery Kingdom
4.メシア的王国 が一時延期された時に登場した概念が「奥義としての王国」
この「奥義」という言葉
英語では「ミステリー」“mystery”
ザ・ミステリー・キングダムと言う
これはイエスさまがマタイ13章で使っている言葉から来ている
マタ 13:11 そこでイエスは答えて言われた、
「あなたがたには、天国の奥義 the mysteries of the kingdom of heaven を知ることが許されているが、彼らには許されていない。(口語訳)
天の御国の奥義/新改訳3、新改訳2017
天の国の秘密/新共同訳
新約聖書でこの「奥義」「ミステリー」という言葉は実は非常に重要な神学的概念を含んだ言葉
これは旧約聖書ではまだ啓示されていない
隠されているけれど
新約聖書になって初めて啓示されるようになった概念
そういうものを「奥義」あるいは「ミステリー」という
旧約聖書から知られていた真理であれば
決して奥義とは言わない
新約になって初めて啓示されたものが奥義
一つ一つ拾い上げると8つ神さまがおっしゃる奥義があり
2つサタンに関する奥義がある
(それらの奥義についてフォーラム内で情報交換がなされました。)
聖書箇所
エペソ3:3~5
エペ 3:3 すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。
3:4 あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。
3:5 この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。
エペソ3:9
エペ 3:9 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。
コロサイ1:26~27
コロ 1:26 その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。
1:27 神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。
この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。
ここに神の奥義がどういうものであったかが定義されている
旧約聖書で4つの王国の概念(普遍的 永遠の王国、霊的な王国、神政政治の王国、メシア的王国千年王国)は知られていたが
5番目の「奥義としての王国」という概念だけは知られていなかった
だから「奥義」と言う
この「奥義としての王国」は
イスラエルの民がイエスによって提示されたメシア的王国を拒否した結果やってきた
マタイの福音書13章ではたとえ話がたくさん出てくるが
それらはこの「奥義としての王国」が今どのように働きどういう性質を持っているかを説明するものとして語られている
一般論として言うと
この「奥義としての王国」は
イエス・キリストの初臨と再臨の間に存在している概念
もっと厳密に言うと
マタイの福音書12章と13章で
イスラエルがイエス・キリストを拒否している
奥義としての王国はそこから始まる
そしてマタイの福音書23章~25章で
イスラエルが再びイエスのメシア性を受け入れる日が来ると言われている
その日(患難期の最後)まで
この「奥義としての王国」が続く
それはマタイの福音書13章から使徒行伝2章で教会が誕生するそこも含んでいる
使徒の働き2章以降の教会時代
今もこの奥義としての御国に含まれている
さらに「患難時代」も含まれる
英語でこの「奥義としての王国」を
一言で表現しようとするとこの言葉
「クリステンダム」“Christendom”
普通クリステンダムというと「キリスト教世界」という訳をすることが多い
そのクリステンダム キリスト教世界というのは必ずしも「チャーチ」教会ではない
教会以外のいろいろなものが含まれている
クリステンダムというのは
自分たちはイエスを信じている
という人々を全部含む概念
当然その中には正統派の信仰も[エホバの証人 モルモン 統一教会]異端もいる
とにかく
「自分たちはイエスを信じている」
と告白している人全部を含む概念が
この「奥義としての王国」
マタイ13章およびマルコ4章にたとえ話が出てくる
そのたとえ話の一群のものが実は
「奥義としての王国」が
どういう性質を持っているかを教えている(それが今回の学びの内容)
マタイ13:1~53にある9つのたとえ話(マコ4:1~34、ルカ8:4~18の並行記事を含む)は、奥義としての王国が今の時代にどのような形をとって現れるかを描写している。
マルコの福音書4:13によれば
最初のイエスのたとえを理解したならば
それがそれ以降に語られるたとえ話を理解する鍵になるということ
マル 4:13 また彼らに言われた、
「あなたがたはこの譬(たとえ)がわからないのか。
それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。
そこでイエスさまが弟子たちに最初のたとえ話の意味の解き明かしをし
そこで使われている
象徴的な言葉が何を意味しているかを教えている
そこで使われる象徴的言葉の
或るものはすでに旧約聖書で知られているものだが
或るものはイエスさまが初めて使うもの
最初のたとえ話を理解したならその原則を使ってそれ以降に出てくるものは全部同じように理解すればいいわけでわかるようになる
最初に出てくるたとえ話
「種蒔きのたとえ」
the parable of the Sower
マタ 13:3 イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、
「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
13:2 ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。
13:3 イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、
「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
13:4 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。
すると、鳥 the birds がきて食べてしまった。
13:5 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。
そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、13:6 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7 ほかの種はいばらの地に落ちた。
すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
13:8 ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
13:9 耳のある者は聞くがよい」。
4つのポイントがある
①
奥義としての王国が続いているあいだ
福音の種は蒔かれ続けるということを表している
②
その福音宣教は必ず反対に合う
時にはこの世から
時には肉の思いから
時にはサタンからの反対にあう
③
蒔かれた土地の状態によって
芽が出るか実をつけるかが決まってくる
全ての人々が同じように福音のメッセージに応答するわけではない
例)現在イスラム諸国よりは南アメリカの方がはるかに福音宣教が進んでいる
④
その種がどうなるかということ
種のまかれた土地というのは各々違った
福音に対する違った反応を表しているということ
その反応というのは4つあった
マタ 13:19 だれでも御国 the kingdom の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。
道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
13:20 石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
13:21 その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
13:22 また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
13:23 また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
第一番目の種は「道ばた」に落ちた
これは「不信仰」な応答のこと
the response of unbelief
これは福音のメッセージを聞き理解したのだが
それを信じないほうを選ぶ人たちのことを
「道ばた」と言っている
第二番目 「石地」の反応
the Stony Ground response
この人たちは聞いて信じるが
根がないために信仰が成長しない
だから御言葉の乳を味わう状態から
みことばの肉を味わう硬いものが食べられる状態になかなか行かない人たち
第三番目 「いばらの土地」の反応
the Thorny Ground response
この人たちは聞いて信じた
しかもかなり深い知識もある
しかし理解したことを実践しないので
この世の心の煩いによって成長が妨げられる人たち
今言った第二第三は全部信者のことだが
妨害するものがあってそれ以上成長しないということ
ここで教えられることは
霊的成長するためには聖書知識がなければいけない
つまり聖書を学ぶために時間を取らなければならないということ
しかし聞いただけでは知識は人を誇らせるので
理解した内容を実践していく必要がある
その時に霊的に成長する
しかし理解していないことは実践できないから
聖書の学びによって理解を深め
それを実践するということが
車の両輪のようにならなければならない
第四番目 「良い土地」
the Good Ground response
この良い土地とは
信じて御言葉に根付き霊的な戦いに勝利して良い実をつける良い信者のことを言う
ここにいる私たち全員はそのゴールを目指して前進していかなければならない
2番目に出てくるたとえ話
「放っておいても
ひとりでに成長する麦」の話
the parable of the seed growing of itself
1番目のたとえ話で蒔かれた種があるが
これは放っておいたら勝手に芽を出す
マル 4:26 また言われた、
「神の国 the kingdom of God は、ある人が地に種をまくようなものである。
4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
4:28 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。
4:29 実がいると、すぐにかまを入れる。
刈入れ時がきたからである」。
種まく人は種を蒔いたならば
それ以降努力して芽を出させることはできない
この種は内側にエネルギーを宿しているので
それを聞いた人に新生させる力を持っている
それはパウロが言っている
「救いに至る神の力」
ロマ 1:16 わたしは福音を恥としない。
それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力 the power of God unto salvation である。
それがこの「奥義としての王国」時代の
福音の力のこと
3番目に出てくるたとえ話
「毒麦」のたとえ話
the parable of the tares
マタ 13:24 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、
「天国 The kingdom of heaven は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
13:25 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
13:26 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
13:27 僕たちがきて、家の主人に言った、
『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。
どうして毒麦がはえてきたのですか』。
13:28 主人は言った、
『それは敵のしわざだ』。
すると僕たちが言った
『では行って、それを抜き集めましょうか』。
13:29 彼は言った、
『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
13:30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。
収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
天の御国/新改訳3
マタ 13:36 それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。
すると弟子たちは、みもとにきて言った、
「畑の毒麦の譬を説明してください」。
13:37 イエスは答えて言われた、
「良い種をまく者は、人の子である。
13:38 畑は世界である。
良い種と言うのは御国の子たち the sons of the kingdom で、毒麦は悪い者の子たち the sons of evil one である。
13:39 それをまいた敵は悪魔である。
収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
13:41 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国 his kingdom からとり集めて、13:42 炉の火に投げ入れさせるであろう。
そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
13:43 そのとき、義人たちは彼らの父の御国 the kingdom of their Father で、太陽のように輝きわたるであろう。
耳のある者は聞くがよい。
そこで3つの点がある
①
奥義としての王国の時代は本物の福音を語ると
すぐそばでその偽物の種が蒔かれる a false counter-sowing
②
2つの種が蒔かれているから
この2つが並んで共に成長するということ
③
この奥義としての王国の時代に裁きがやって来る
そして本物の麦と毒麦とを分ける
分けられて或る人たちはメシア的王国に
或る人たちは裁きに追いやられる
マタイの福音書25:31~46に羊と山羊を分ける裁き the judgment of the sheep and the goats というのがある
マタ 25:31 人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
25:31 人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
25:32 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、25:33 羊を右に、やぎを左におくであろう。
25:34 そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、
『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国 the kingdom を受けつぎなさい。
25:35 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、25:36 裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
25:37 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、
『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
25:38 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
25:39 また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
25:40 すると、王は答えて言うであろう、
『あなたがたによく言っておく。
わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
25:41 それから、左にいる人々にも言うであろう、
『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火 the eternal fire にはいってしまえ。
25:42 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、25:43 旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。
25:44 そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、
『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。
25:45 そのとき、彼は答えて言うであろう、
『あなたがたによく言っておく。
これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。
25:46 そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。
4番目に出てくるたとえ話が31~32節
「からし種のたとえ話」
the parable of the mustard seed
マタ 13:31 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、
「天国 The kingdom of heaven は、一粒のからし種のようなものである。
ある人がそれをとって畑にまくと、13:32 それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。
天の御国/新改訳3
マル 4:31 それは一粒のからし種のようなものである。
地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、4:32 まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥 the birds of the heaven が宿るほどになる」。
普通はからし種というのはそんなに背が高くならないがこのたとえ話では大木に成長する
そこから2つのことが言える
①
この奥義としての王国は最初は小さいが
最終的には巨大な木のような成長を遂げる
そしてその巨大な木は枝に鳥がやってきて
巣を作るほど巨大になる
②
最初のたとえ話で鳥がサタン agents of Satan だったらここでも「悪い鳥」dirty birds
この「木」というのがクリステンダム
本物も偽物も全部含んでいる
そこに宿る悪い鳥は何かというと
イエスに対する忠誠を誓いながら
本当は間違った教えを語り
カルト的な礼拝を行って
人を惑わせている人たちもそこに含まれているわけでそれが「木に宿る鳥」のこと
5番目に出てくるたとえ話
「パン種」のたとえ話
the parable of the leaven
マタ 13:33 またほかの譬を彼らに語られた、
「天国 The kingdom of heaven は、パン種のようなものである。
女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。
天の御国/新改訳3
三サトン/新改訳3
このたとえ話では
旧約聖書ですでに知られている
2つのシンボルが採用されている
①
「女」というシンボル
女というのは旧約聖書では偽の宗教を起こして
霊的な姦淫に導くしるしとして使われることが多い a religious entity
同時に「女」というのは宗教的に積極的な意味で使われる場合と
今言った否定的な意味で使われる場合と両方の意味がある
例)
積極的に言うと
イスラエルはヤハウェの或いは主の妻
Israel as the wife of Jehovah
教会はキリストの花嫁
the church as the bride of the Messiah
しかし否定的に使われる場合もある
黙示録2:20のイゼベル或いは黙示録17
[17:1~8] (著書によると17:1~18)
黙 2:20 しかし、あなたに対して責むべきことがある。
あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。
この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。
黙 17:1 それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、
「さあ、きなさい。
多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。
17:2 地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。
17:3 御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。
わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。
その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。
17:4 この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、17:5 その額には、一つの名がしるされていた。
それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
17:6 わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。
この女を見た時、わたしは非常に驚きあやしんだ。
17:7 すると、御使はわたしに言った、
「なぜそんなに驚くのか。
この女の奥義と、女を乗せている七つの頭と十の角のある獣の奥義とを、話してあげよう。
17:8 あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。
地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。
17:9 ここに、知恵のある心が必要である。
七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。
17:10 そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。
それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
17:11 昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。
17:12 あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。
17:13 彼らは心をひとつにしている。
そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。
17:14 彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。
また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。
17:15 御使はまた、わたしに言った、
「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
17:16 あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
17:17 神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。
17:18 あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。
②
もう一つ旧約から借りてきているイメージは
「パン種」というイメージ
このパン種は新約聖書でもそうだが
例外なしに罪の象徴
第1コリント5:6~8
一コリ 5:6 あなたがたが誇っているのは、よろしくない。
あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。
5:7 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。
あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。
わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
5:8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。
マタイの福音書16:6、11~12では
マタイはパン種をもっと具体的に
「間違った教え」として語っている
マタ 16:6 そこでイエスは言われた、
「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。
マタ 16:11 わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。
ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。
16:12 そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。
「奥義としての王国」の中に
間違った教理という形でパン種が持ち込まれ
悪影響を及ぼすというのがこのたとえ話の内容
このたとえ話は「女が三サトンの粉を取って」と言う
[サトンというのはこの計量の単位 約40L]
異端も含めたこのキリスト教世界が3つに区分されるようになる
ローマ・カトリックの陣営
東方正教会の陣営
プロテスタントの陣営
この3つにキリスト教世界が分類できるようになる
この3つはどこかの団体が100%正しいということはなく
必ずその中にはどこかしら間違った教えが含まれる
6番目に出てくるたとえ話
「隠された宝」のたとえ話
the parable of the hidden treasure
マタ 13:44 天国 The kingdom of heaven は、畑に隠してある宝のようなものである。
人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
天の御国/新改訳3
旧約聖書では
この「宝」というのはイスラエルのこと
例)
出エジプト記19:5
出 19:5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。
全地はわたしの所有だからである。
申命記14:2
申 14:2 あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。
主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。
詩篇135:4
詩 135:4 主はおのがためにヤコブを選び、イスラエルを選んで、おのれの所有とされた。
Psa 135:4 For Jehovah has chosen Jacob unto himself, And Israel for his own possession.
詩 135:4 まことに、主はヤコブを選び、ご自分のものとされ、イスラエルを選んで、ご自分の宝とされた。(新改訳3)
このたとえ話のポイントは
イスラエルは罪を犯す Israel’s rejection of Messiahship of Jesus が
それにもかかわらず神さまは
イスラエルの残れる者つまりレムナントをご自分のものとして手に入れられるということ
7番目に出てくるたとえ話
「真珠」のたとえ話
the parable of the pearl
マタ 13:45 また天国 The kingdom of heaven は、良い真珠を捜している商人のようなものである。
13:46 高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
天の御国/新改訳3
さきほど宝のシンボルを断定した
ところが真珠が何を指しているかはそれほど明確には断定できない
私はおそらくこれは異邦人を指しているという理解に立っている
その理由が2つある
①
この奥義としての神の国の中には
イスラエルと異邦人両方含まれている
イスラエル Jews は宝によって表現されているとするならば
残りの異邦人は真珠によって表現されると考えることができる
②
真珠というのは海からとる
旧約聖書で「海」は異邦人世界を指している
それがダニエル7:2~3
ダニ 7:2 ダニエルは述べて言った、
「わたしは夜の幻のうちに見た。
見よ、天の四方からの風が大海をかきたてると、7:3 四つの大きな獣が海からあがってきた。
その形は、おのおの異なり、
黙示録17:1、15
黙 17:1 それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、
「さあ、きなさい。
多くの水 many waters の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。
黙 17:15 御使はまた、わたしに言った、
「あなたの見た水The waters、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
だからこの真珠のたとえ話では
イスラエルだけではなく
異邦人もまた神の救いの御手の中に集められるということを表している
8番目に出てくるたとえ話
「網」
the parable of the net
マタ 13:47 また天国 The kingdom of heaven は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。
13:48 それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。
13:49 世の終りにも、そのとおりになるであろう。
すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、 13:50 そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
天の御国/新改訳3
ここでも「海」という言葉が出てくる
これは異邦人世界の象徴
ここでもまた言われていることは
この「奥義としての王国」の終わりの時に
異邦人は裁かれる
義なる者はメシア的王国に
そうでない者はそこから追放される
マタイの福音書25:31~46(3にて上述)に
異邦人のさばきのことが書かれてあるが
それと同じことがこの網を使ったたとえ話で言われている
9番目に出てくるたとえ話
「家の主人」
the parable of the householder
マタ 13:51 あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。
彼らは
「わかりました」
と答えた。
13:52 そこで、イエスは彼らに言われた、
「それだから、天国 The kingdom of heaven のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。
天の御国/新改訳3
ここでは2つのポイントがある
①
この奥義としての王国の特徴の中にはそれ以外の4つの王国と似たような点がたくさんあるということ
②
しかしよく見てみると他にはない
新しい特徴がある
それゆえにこれは「奥義」と言われる
最初のたとえ話から順番に
どのようにイエスさまの奥義としての王国の考えが進んでいっているのかを短い言葉で要約していく
第1番目のたとえ話
この「奥義としての王国」の時代に
福音宣教の種がずっとまき続けられるということ
第2番目のたとえ話
そして蒔かれた種は自然に成長する力を宿しているということ
第3番目のたとえ話
けれども間違った種も蒔かれるということ
そして4と5のたとえ話は第3のたとえ話の結果
第4番目のたとえ話
この王国は巨大な木のように成長する
第5番目のたとえ話
誤った教理が特徴となる王国である
そしてたとえ話の6と7は第1と第2のたとえ話の結果
第6番目のたとえ話
神さまはイスラエルの残れる者を手に入れる
第7番目のたとえ話
異邦人からも信じる者が起こされるということ
第8番目のたとえ話
この王国の最後に行われる異邦人のさばきによってメシア的王国に入る者と入らない者とが区別される
第9番目のたとえ話
それまであった4つの神の王国と
似た性質もあるが全く新しい性質もその中にあるということ
この「奥義としての王国」が特に持っている
特徴について少し見てみよう
1「永遠の王国」との違い
5「奥義としての王国」は
時間の制限がある
ユダヤ人 イスラエルがイエスを拒否して以降
再びイエスを受け入れるようになるまでの期間の王国
これは1「普遍的な王国」でもない
5「奥義としての王国」は
この地上で起こることだけを指している
2「霊的な王国」は信者だけを含んでいた
5「奥義としての王国」は麦も毒麦も信者も
未信者も含んでいる
3「神政政治の王国」は
イスラエルの上にのばされる神の支配
これと5「奥義としての王国」は違う
5「奥義としての王国」は
ユダヤ人も異邦人も対象にした概念
4「 メシア的千年王国」というのは
旧約聖書にたくさん預言されている
もし預言されていたならば奥義ではない
5「奥義としての王国」は
預言されていないものを言っている
今イエスさまは父なる神の右の座に座して5「奥義としての王国」を支配されている
4「メシア的王国」の時はまさに
地上のエルサレムのダビデの王座に座して全世界を統治される
「教会」とも違う
5「奥義としての王国」は
教会よりも広い
教会はその中に含まれている概念
5つの概念は1つがあれば2つ目はないというのではなく
時代的にも場所的にもオーバーラップしている
だからこの概念をよく理解してほしい
マタイの福音書のたとえ話は
「奥義としての王国」を表現するたとえ話であるという理解に立つならば
フルクテンバウム先生が教えてくださったように非常に分かりやすく理解することができるようになる
でなければ何のことを言っているのかよく分からない
今回現在のイスラエルを理解するための背景の話をした
次回
イスラエルがイエスのメシア性を拒否した結果どういうことが起こったのかを学ぶ
イスラエル学(12)2026年8/29へ
Ⅱ.現在のイスラエル
B.イスラエルのメシア性の拒否と、その結果と成り行き
このセミナーの内容はこの本の一部とかぶります。
ゼヒお読みください。
アーノルド・フルクテンバウム博士著
中川健一監訳/佐野剛史訳
『イスラエル学-組織神学の失われた環-THE MISSING LINK IN SYSTEMATIC THEOLOGY』
(書籍)(電子書籍)
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ出版部






