患難期前の出来事レジュメ(10)2017年6/24
「イエスにあって眠った人々」「キリストにある死者」とは
携挙の7つのステップ
携挙・三位一体という言葉
2014年フルクテンバウム博士セミナー『携挙・大患難時代・そしてユダヤ人の運命』(テキスト)の一部を学んでいます。
ご購入はこちらから(CD8枚組)(DVD8枚組)(MP3版)(テキストのみ)
フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。
以下、青色の聖句はテキストでみていく聖句です。
紫色の聖句は2回目の聖句または参考聖句です。
緑色の文章は補足説明です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。
興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。
患難期の前に起こる一連の出来事
THE SEQUENCE OF PRETRIBULATIONAL EVENTS
Ⅰ.順に起こる出来事
1. 第一次、第二次世界大戦(1914、1939)
2. イスラエル国家の再建(1948)
3. ユダヤ人の支配下に置かれたエルサレム(1967)
//////////// 2017年現在はここ //////////////
(以下は将来順に起こること、いつかは不明)
4. 北の諸国連合の侵攻
5. 世界統一政府
6. 10の王国
7. 反キリストの出現
8. 平和と偽の安全の時期
9. 7年の契約
Ⅱ.時間順ではない出来事
3つもしくは4つ
1回目の暗黒
エリヤの帰還
第3神殿
教会の携挙(1/3)
Ⅱ.時間順でない出来事
NON SEQUENTIAL PRETRIBULATIONAL EVENTS
セミナーテキストの23ページ
教会の携挙
THE RAPTURE OF THE CHURCH
携挙:(普遍的)教会が上に引きあげられること
ユダヤ式結婚の第二段階
教会についての学びはここでは割愛させていただきますが、まとめると
教会とは何か:
*キリストのからだ(コロ1:18)
*新しいひとりの人(エペ2:11〜16)
ユダヤ人・異邦人・第3の区分が教会
人種的アイデンティテーは保持しつつもイエスへの信仰を持つユダヤ人とイエスへの信仰を持つ異邦人の共同体
*(Ⅰコリ12:13)
教会はいつ始まったか:
*(使徒1:5)
*(使徒11:15〜16)
使徒行伝2章、ペンテコステ(聖霊降臨)の日が教会の誕生日
信者が聖霊によりバプテスマされた日。
聖霊のバプテスマ:信じたあとしばらくして起こる第2の体験、第2の祝福と言われるものではなく、聖書的には信じた瞬間に起こること。
信じた人は全員が聖霊によって教会(地域教会local church、目に見える教会ではなく、まことの信者のみで構成される普遍的教会universal church、目に見えない教会)の一員としてバプテスマ(一体化)されています。
セミナーテキストの25ページ
Ⅱ.教会の携挙
THE RAPTURE OF THE CHURCH
A. 携挙の出来事
The Events of the Rapture
1. ヨハ14:1〜3
ヨハネ14:1~3
ヨハ 14:1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。
あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
イエスさまが弟子たちと最後の過越(すぎこし)の祭りの食事をしているという文脈です。
イエスさまは、わたしはまもなくあなたがたから去っていくと言われました。
そして天に戻ると弟子たちのために場所を備え、用意ができたら戻って来てあなたがたを迎えるとイエスさまは約束されました。
ヨハネ14章の約束:やがていつかイエスさまが信者を天にあげるために迎えに来る
患難期後携挙説=患難期の次に携挙が来るという立場、はこの約束を説明できません。
天に挙げられてすぐにイエスさまとともに地上に戻ってくることになるのでこの約束が成就しないからです。
再臨
いつこの携挙が起こるかはここでは未だ明確にされていません。
セミナーテキストの26ページ
2. Ⅰテサ4:13〜18
第一テサロニケ4:13〜18
Ⅰテサ 4:13 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。
あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
4:14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。
それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
4:15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
4:18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
使徒行伝に記されているパウロの伝道方法の確認:
パウロは旅をしながら新しい町に行った時にはまずユダヤ人の会堂を訪問し、ユダヤ人に福音を語り(ジューファースト)、それから異邦人に福音を語ります。
そして信じた人々に聖書を教え、長老や執事を任命し、そこに地域教会をつくると次の町に移動して同じことを繰り返すというのがパウロの伝道法です。
しかしテサロニケという町ではそのプロセスを最後まで全うすることができませんでした。
迫害により、パウロは訓練の途中でテサロニケを去らなければなりませんでした。
重要な教理について十分な理解が得られなかったテサロニケの信者たちはパウロに質問状を送りました。
それに対するパウロの答えがテサロニケ人への手紙第一、第二です。
テサロニケの信者たちは文面から、携挙というものがあることは教えられていた様です。
携挙に関する質問:
携挙の前に信者が死んだ場合、その人は携挙の恵みからもれてしまうのか?
迫害が激しく殉教者もでてくる彼らにとって、これは単なる知的興味からではない現実的な質問でした。
パウロの答え:
死んだ聖徒たちはその恵みからもれることはないばかりか、生きている人たちよりも先にその恵みを受けるようになる。
Ⅰテサ 4:13 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。
死んだ状態を「眠る」と表現するのは、信者の死に関してのみの使用法です。
信者が死ぬと肉体は活動を停止しますが霊魂は活動していて神さまの臨在の前ではっきりとした認識があるということです。
4:14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。
それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
4:15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
次にパウロは携挙がどういうステップで起こるのかについて解説しています。
4:16 主は、
号令と、
御使いのかしらの声と、
神のラッパの響きのうちに、
ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
4:18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
ここで解説されている携挙の7つのステップは連続して短時間のうちに起こる出来事です。
① 主は、・・・ご自身天から下って来られます。
父なる神の右に座しておられるキリストが、いつかその場を離れて再び地上に戻って来られます。
第一の天と言われる、鳥が飛んでいる空間、大気圏にキリストが戻って来られます。
② 号令と、
ギリシャ語でこの言葉は軍の総司令官が発する命令の声のことです。
パウロはこの携挙を説明する際の用語として軍事用語を使っていますが、それは軍の司令官が命令を発した時に軍が動き出す様に、キリストの号令によって何かが起こり始めるということを強調します。
天の総司令官が下って号令を発する時に携挙のプロセスが始まります。
③ 御使いのかしらの声と、
神さまはよく天使を用いてご自分の計画を実行にうつされます。
ここでもまた軍事用語のモチーフが継続されています。
総司令官が命令を出すと副官がそれを復唱するというのが普通の軍隊の習慣です。
ここではイエスがまず命令を出され、その内容を天使長であるミカエルが復唱し、そして携挙の計画が現実に動き始めるというイメージです。
④ 神のラッパの響きのうちに、
これもまた戦争というイメージを抱かせます。
総司令官が号令を出し、副官がそれを復唱し、ラッパを吹く兵士がその命令の内容をラッパの音に置き換えて全軍に指示をだします。
そのラッパの音で兵士たちはどのように行動すべきかを間違いなく理解します。
天使長ミカエルがキリストの号令をリピートして、続いてラッパの響きが鳴った時に神さまの計画どおりに携挙のプロセスが進んでいきます。
⑤ それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり
(ジョークは割愛させていただきます)
キリストにある
パウロは「キリストにある」という言葉を神学的専門用語として使っています。
例:
in Christ, in Jesus, in Jesus Christ, in Christ Jesus, in Him, in whom, in the Lord キリストにあって、イエスにあって、イエス・キリストにあって、キリスト・イエスにあって、この方にあって、何々されるところのお方にあって、(おいて)等々
(2011年フルクテンバウム博士セミナー『聖書が教える救いとは』(テキスト)後半の「33の事項:位置的真理についての学び」 参照)
この表現は教会時代の聖徒に適用される表現です。
イエス・キリストを信じ、聖霊により(普遍的)教会の一員として(普遍的)教会にバプテスマされた人たちのことを「キリストにある」聖徒と呼ぶのです。
「キリストにある死者が、まず初めによみがえり」とは教会時代の聖徒のことであり、旧約時代の聖徒たちはこの時には未だ復活しません。
セミナーテキストの27ページ
⑥ 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ
最近、携挙の教理、特に患難期前携挙説はキリスト教界で非常に攻撃を受けていて、 携挙という教えそのものまで否定するような傾向がでてきています。
北アメリカを伝道旅行していると携挙は信じないという人たちとよく出会います。
彼らは聖書の中に携挙、ラプチャーという言葉はでてこないじゃないか、と言います。
そのとおりです。
英語訳聖書のどこを見ても携挙raptureという言葉はでてきません。
聖書の原典(へブル語、アラム語、ギリシャ語)には英語なんか一言もでてきません(笑)
ほとんどの場合、彼らはいわゆる主流派main line denomination、ちゃんとした信仰をもつ人たちですから、逆に私は質問をし返します。
「あなたは三位一体、トリニティーを信じますか?」
「もちろん信じています。」
「英語訳聖書の中にはトリニティーという言葉は一回もでてこないのに何故信じているのですか?」
携挙の語源になっているギリシャ語は聖書にでてきますが、三位一体という言葉はへブル語、アラム語、ギリシャ語、どこにもでてきません。
三位一体 Trinity の意味:
唯一の神が3つの位格において存在していること
聖書は父なる神は神、子なる神も神、御霊(みたま)も神と呼んでいます。
しかし私たちは3つの神を信じているのではなく神は唯一だと信じています。
そういう概念を神学用語として三位一体、トリニティーと呼んでいます。
聖書にその言葉はありませんが、その言葉が表現しようとしている概念は聖書の中にあるのです。
2007年フルクテンバウム博士セミナー『三位一体』(テキスト)
携挙 rapture の意味:
ギリシャ語harpazoハルパゾウは動詞で「上にあげる」という意味です。
(フォーラムメンバーによるとこのギリシャ語は「つかみとる」「かすめとる」「略奪する」等、わしづかみ、こちらの意思とは関係ないというイメージだそうです。)
ラテン語はrapturoラプトゥロー
英語のraptureはラテン語から来ています。
生きている聖徒が突如天にあげられて天でキリストと出会うということを表現しています。
その概念は聖書の中に啓示されています。
それが⑥でした。
⑦ 空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
最後のステップです。
生きている人は生きている状態でからだが栄化され、死んで復活した聖徒とともに空中で主と出会います。
空中で主と会ったのち私たちはどこへ行くのでしょうか?
(患難期後携挙説Posttribulationismのように)Uターンして即地上に戻って来るのでしょうか。
ヨハネ14章の約束によると、イエスさまは私たちを天に連れていってくださることになっています。
患難期前携挙説Pretribulationismであれば、空中で主と出会ったのち私たちは天に引き上げられて、そこで或る期間主とともに過ごすことになります。
この第一テサロニケ4章の聖句も携挙のタイミングについては何も書かれていません。
これは愛する者を失った信者たちに慰めの言葉として書かれています。
教会時代の死んだ聖徒たちがまず復活して、生きている者より先に携挙に与る、という慰めの教えです。
ですから「4:18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」とパウロは勧めているのです。
3. Ⅰコリ15:50〜58
この聖句も携挙の内容を解説していますが、携挙のタイミングについては何も語っていません。
第一コリント15:50
Ⅰコリ 15:50 兄弟たちよ。
私はこのことを言っておきます。
血肉のからだは神の国を相続できません。
朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
血肉のからだ:今私たちがもっているからだのことで、やがて朽ちていきます。
神の国、永遠の御国に住むためには朽ちないからだをもたなければいけません。
ですから、どこかの段階でからだが栄光のからだに変えられる必要があります。
携挙の時、死んでいた者(聖徒、信者)は復活します。
生きている者はその過程で、英語でtranslation、からだがかえられるという経験をします。
背景
創世記2:17
創 2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。
それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
アダムとエバはこの木の実を食べてすぐに肉体的に死んだわけではありません。
しかし、霊的にはその瞬間に死にました。
私たちはイエスさまを信じて新生した時に霊的にはすでに復活しました。
しかし肉体の復活は未だ起こっていません。
肉体はアダムの罪の影響を受けた状態で生きています。
展開
創世記3:17〜19
創 3:17 また、人に仰せられた。
「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。
あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。
あなたはそこから取られたのだから。
あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
堕落の結果幾つかの呪いがきましたが、特に注目したいことは肉体的な死がいつか来るということです。
聖書の論理は、現在私たちがアダムの罪の影響、堕落の影響をこうむっている責任はエバではなくてアダムにあると教えています。
よくジョークではエバが悪いように言ったりしますが・・・
2つのジョークは割愛させて頂きます。
アダムにはまず霊的死が来、肉体的死は時間差で(後から)きました。
私たちがクリスチャンになった時もまず復活するのは霊的復活で、肉体の復活は時間差をおいて来ます(それが携挙の時)。
ローマ5:12〜14
ロマ 5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、──それというのも全人類が罪を犯したからです。
5:13 というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。
しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。
5:14 ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。
人類は全て死刑判決を受けて生きている人たちだということです。
私たちは有限な朽ちていくべきからだを持って生きています。
死が来た時にからだは朽ちていきます。
神さまの特別な介入がない限り人間は必ず死にます。
例外:
1. エノクという人の場合
創 5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。
ヘブル 11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。
2. 預言者エリヤの場合
Ⅱ列王 2:9 渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」と言った。2:10 エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」 2:11 こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。
例外的に死を通過せず、次の栄光のからだの段階に入りました。
携挙の時に、生きている人たちは死を通過しないで栄光のからだにかえられます。
永遠の世界に入るためには朽ちるものは朽ちないもの、有限のものは無限のものにかえられなければなりません。
つづきは
患難期前の出来事レジュメ(11)2017年7/8
Ⅱ時間順でない出来事 教会の携挙(2/3) A.携挙の出来事 奥義、終わりのラッパ、イスラエルの祭り へ