練馬桜台聖書フォーラム

33の事項:位置的真理 レジュメ(5)2024年 4/27

2024.05.03

カテゴリー:33の位置的真理, お知らせ, 学び

33の事項:位置的真理についての学びレジュメ(5)2024年4/27

 

新生、聖霊の内住、聖霊のバプテスマ、聖霊の証印

 

 2011年フルクテンバウム博士セミナー
聖書が教える救いとは』の後半
33の事項:位置的真理についての学び
THIRTY-THREE THINGS:
A STUDY OF POSITIONAL TRUTH

(テキスト) (チャート)を学んでいます。


ご購入はこちらから(MP3版)

 

レジュメもくじ

前回のレジュメ

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です(セミナーでは新改訳3を使用しています)。
(ここでは原則、口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会 を使用しています)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会 

「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です。
紫色の聖句参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version  ASVです。)
黒色の文章がセミナーの説明文

緑色の文章はHP編者による補足説明
茶色の文章Dr.Arnold G. Fruchtenbaum 『A Messianic Bible Study from Ariel Ministries』
MBS110 THIRTY-THREE THINGS:  A STUDY OF POSITIONAL TRUTH からの補足説明です。

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

紙の聖書「新改訳2017」こちらをどうぞ

 

初めに
Ⅰ.贖い(REDEMPTION)
Ⅱ.和解 (RECONCILIATION)
Ⅲ.なだめ (PROPITIATION)
Ⅳ.赦し(FORGIVENESS)
Ⅴ.義認(JUSTIFICATION)
Ⅵ.栄化(GLORIFICATION)
Ⅶ.解放(DELIVERANCE)
Ⅷ.割礼(CIRCUMCISION)
Ⅸ.神に受け入れられる(BEING ACCEPTABLE TO GOD)
Ⅹ.御霊の初穂(THE FIRSTFRUITS OF THE HOLY SPIRIT)


 

セミナーテキスト7ページ(36/48)

 

Ⅹ.御霊の初穂

THE FIRSTFRUITS OF THE HOLY SPIRIT

 

第10の位置は信者は御霊の初穂を持っているということである。

 

ローマ8:23
ロマ 8:23 そればかりでなく、
御霊の初穂をいただいている私たち自身も、
心の中でうめきながら、
子にしていただくこと、
すなわち、
私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
(新改訳3)

Rom 8:23 And not only so, but ourselves also, who have the first-fruits of the Spirit, even we ourselves groan within ourselves, waiting for our adoption, to wit, the redemption of our body.

 

 

関連した5つの点

この5つは位置的真理においてはすでに実現している
5番目が実践的な内容

 

(1)

信者は、新生した。

 

新生とは
神によって霊的に新しく生まれさせていただくこと

ヨハネ3:5~6
ヨハ 3:5 イエスは答えられた、
「よくよくあなたに言っておく。
だれでも、
水と霊とから生れなければ、
神の国にはいることはできない。
3:6 肉から生れる者は肉であり、
霊から生れる者は霊である。

 

テトス3:5 
テトス 3:5 神は、
私たちが行った義のわざによってではなく、
ご自分のあわれみのゆえに、
聖霊による、
新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
(新改訳3)
聖霊による再生と刷新の洗いをもって、(新改訳2017)
再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、(口語訳)

Tit  3:5 not by works of done in righteousness, which we did ourselves, but according to his mercy he saved us, through the washing of regeneration and renewing of the Holy Spirit,

 

 

 

 

(2)
信者は、
聖霊のバプテスマによって
メシアのからだの一員となった。

 

第1コリント12:13
一コリ 12:13 なぜなら、
わたしたちは皆
ユダヤ人もギリシヤ人も、
奴隷も自由人も、
一つの御霊によって、
一つのからだとなるようにバプテスマを受け

そして皆一つの御霊を飲んだからである。

ここで言う聖霊のバプテスマは
いわゆる特定の聖霊の賜物と関係した概念ではない
聖霊のバプテスマを受けた結果
メシアのからだの一員となる
つまり普遍的教会のメンバーになる

 

この聖霊の働きがあるので
私たちはキリストのうちにあるという
位置的真理を獲得する

ローマ6:1~10
ロマ 6:1 では、
わたしたちは、
なんと言おうか。
恵みが増し加わるために、
罪にとどまるべきであろうか。

6:2 断じてそうではない。
罪に対して死んだわたしたちが、
どうして、
なお、
その中に生きておれるだろうか。

6:3 それとも、
あなたがたは知らないのか。

キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、
彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。
Rom 6:3 Or are you ignorant that all we who were baptized into Christ Jesus were baptized into his death?

6:4 すなわち、
わたしたちは、
その死にあずかるバプテスマによって、
彼と共に葬られたのである。

それは、
キリストが父の栄光によって、
死人の中からよみがえらされたように、
わたしたちもまた、
新しいいのちに生きるためである。

6:5 もしわたしたちが、
彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、
さらに、
彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

6:6 わたしたちは、
この事を知っている。

わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。
それは、
この罪のからだが滅び、
わたしたちがもはや、
罪の奴隷となることがないためである。

6:7 それは、
すでに死んだ者は、
罪から解放されているからである。

6:8 もしわたしたちが、
キリストと共に死んだなら、
また彼と共に生きることを信じる。

6:9 キリストは死人の中からよみがえらされて、
もはや死ぬことがなく、
死はもはや彼を支配しないことを、
知っているからである。

6:10 なぜなら、
キリストが死んだのは、
ただ一度罪に対して死んだのであり、
キリストが生きるのは、
神に生きるのだからである。

私たちはメシアと一体となる

 

 

 

 

(3)

信者には聖霊の内住がある。

信者は、聖霊の宮である。

  

信じた瞬間に聖霊が心のうちに住んでくださり
その内住は永遠に続く

それがローマ5:5および8:9で教えられている
ロマ 5:5 そして、
希望は失望に終ることはない。

なぜなら、
わたしたちに賜わっている聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

 

ロマ 8:9 しかし、
神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、
あなたがたは肉におるのではなく、
霊におるのである。

もし、
キリストの霊を持たない人がいるなら、
その人はキリストのものではない。

 

 

この内住があるために
信者のからだは
単なる肉体の体から聖霊の宮に変化する
私たち自身が今物理的な意味での宮ではなく
神の宮となっている

第1コリント3:16および6:19にそれが教えられている
一コリ 3:16 あなたがたは神の宮であって、
神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。

 

一コリ 6:19 あなたがたは知らないのか。
自分のからだは、
神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、
あなたがたは、
もはや自分自身のものではないのである。

 

 

第2テモテ1:14
Ⅱテモ 1:14 そして、
あなたにゆだねられた良いものを、
私たちのうちに宿る聖霊によって、
守りなさい。
(新改訳3)

私たちは位置的に御霊の内住をいただいたので
実践面において位置的真理が成就するように歩んでいくべきであるという教え

 

ガラ 4:6 このように、
あなたがたは子であるのだから、
神はわたしたちの心の中に、
「アバ、父よ」
と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。

 

一ヨハ 2:27 あなたがたのうちには、
キリストからいただいた油がとどまっている
ので、
だれにも教えてもらう必要はない。

この油 his anointing が、
すべてのことをあなたがたに教える。

それはまことであって、
偽りではないから、
そのが教えたように、
あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。

 

一ヨハ 3:24 神の戒めを守る人は、
神におり、
神もまたその人にいます。

そして、
神がわたしたちのうちにいますことは、
神がわたしたちに賜わった御霊によって知るのである。

 

 

 

 

(4)

信者は、聖霊の証印を押されている。
永遠の保証をいただいている。


信者には永遠の安全が保証されている。

 

聖霊によってシールされていると
3回聖書で教えられている

 

第2コリント1:22
二コリ 1:22 神はまた、
わたしたちに証印をおし、
その保証
として、
わたしたちの心に御霊を賜わったのである。
2Co 1:22 who also sealed us, and gave us the earnest of the Spirit in our hearts.

 

テキスト7ページ Ⅹの(4)訂正
誤:エペソ1:3~
正:エペソ1:13

 エペソ1:13~14
エペ 1:13 あなたがたもまた、
キリストにあって
真理の言葉、
すなわち、
あなたがたの救の福音を聞き、
また、
彼を信じた結果、
約束された聖霊の証印をおされたのである。
1:14 この聖霊は
わたしたちが神の国をつぐことの保証
であって、
やがて神につける者が全くあがなわれ、
神の栄光をほめたたえるに至るためである。
Eph 1:13 in whom you also, having heard the word of the truth, the gospel of your salvation, -in whom, having also believed, you were sealed with the Holy Spirit of promise,1:14 which is an earnest of our inheritance, unto the redemption of God’s own possession, unto the praise of his glory.

 

エペソ4:30
エペ 4:30 神の聖霊を悲しませてはいけない。
あなたがたは、
あがないの日のために、
聖霊の証印を受けた
のである。
Eph 4:30 And grieve not the Holy Spirit of God, in whom you were sealed into the day of redemption.

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

『聖書が教える救いとは』チャート

「もう一度私の芸術的センスをお見せする機会が与えられたことを感謝しております。」

 

私たちが信じて位置的真理として御霊の初穂というポジションになる前に
いくつかのことが起こる

 

救いの前に起こること

最初
CONVICTION
聖霊によりコンビクション 
認罪 罪を認めることが与えられる
罪を示されるということ
聖霊が福音の内容を明確に理解させ
救われるためには何を信じなければいけないかを教えること

 

赤で書いているのが十字架 

未信者の場合はキリストが外にいる
ホーリースピリット聖霊 H.S. も外にいる

____________

信じた途端に位置的な立場が変わる
これは全部同時に起こる
この順番は理論的順番であり時間の順番ではない

 

次の段階で起こること

REGENERATION
新生
リジェネレイション 
福音を信じた瞬間にその人は新しく生まれ変わる

その時にキリストはその人の内側にいる
しかし聖霊はまだ外側

 

次に
INDWELLING
聖霊の内住 がくる
聖霊が私たちの内側に宿ってくださるという状態

 

その次に来るのが
BAPTISM

聖霊のバプテスマと言われているもの

これが今私たちが学んでいる IN CHRIST
キリストのうちにあってと言っている位置的真理のこと
聖霊のバプテスマによって
私たちはキリストのうちに
つまりキリストのからだ(普遍的教会)に属するものになる
(個人は内側にキリストを内住し聖霊の内住もある

 

そして
SEALING
聖霊の証印を押される
つまり聖霊によってシールされる
封印される 
このキリストのうちにあるという状態
あるいはキリストのみからだなる教会に属したという状態から落ちていくことはない
これが永遠の保証の根拠になっている

 

絵の線から向こう(絵の左側)が救われる前の状態
認罪 CONVICTION 

それ以降(絵の右側)
1新生 REGENERATION
2聖霊の内住 INDWELLING
3聖霊のバプテスマ BAPTISM
4聖霊の証印 SEALING

この四つ(理論的な順番)は
同時に起こること
であり
これらすべてが位置的真理を教える要因になっている

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 

 

 

(5)

信者は、
聖霊に満たされている。
奉仕のための力。

 

これは日々の歩みをどうするかという
適用に関する言葉
エペソ5:18は聖霊に満たされなさいと教えている
エペ 5:18 また、
酒に酔ってはいけません。

そこには放蕩があるからです。
御霊に満たされなさい。
(新改訳3)
Eph 5:18 And be not drunken with wine, wherein is riot; but be filled with the Spirit;

ギリシャ語でこれは現在形の命令
現在形: くり返しとか継続を教えている
「満たされなさい。」というよりは
満たされ続けなさい。」と訳した方が正確

ぶどう酒に酔うよりは聖霊に満たされなさいという対比がなされている
アルコールを飲んで酔うと人格がアルコールに支配された状態になる
聖霊に満たされるとは聖霊によってその人の人格が支配されている状態

だから私たちは霊的歩みを通して
一度だけでなく何度も満たされるべき
[だから霊的生活においては一度だけ満たされていいというのではなく継続して聖霊の支配のもとを歩むということ]

これが私たちの位置に一致した実践
[自らの実践を位置的真理に近づけていくというクリスチャン生活の内容]

 

使徒行伝で使徒たちは3度聖霊に満たされている
これは決して聖霊の満たしが無くなったので
再び満たされるということではなく
彼らの生活の領域で今まで聖霊の支配が無かったところにまでそれが行き届いて行くということを表している

 

聖霊の満たしを繰り返す必要があるのは
私たちの古い肉の性質が聖霊を追い出して
自分で自分の人生を支配し始める傾向があるので
その時には再びそれを聖霊に明け渡す必要がある
それが聖霊に再び満たされるという意味

使徒たちの場合は今まで気がついていなかった
明け渡していなかった部分をさらに聖霊に明け渡したという意味で
繰り返し聖霊に満たされたという言葉が使われている

例)
私たちが新生して聖霊に満たされる
つまり聖霊の支配のもと歩み始める

しばらくして余暇の時間の使い方が聖霊の支配の下に無いとわかり
それも聖霊にお返ししていく
その時に再び聖霊に満たされたということが言える

あるいは成長するに従って
経済生活が聖霊の支配に従っていないとわかってくる
職業生活の部分が聖霊の満たしに合致していない
夫婦関係が聖霊の支配のもとにない

その時に聖霊に委ねると聖霊に満たされる

 

聖霊のうちにあって
霊的成長のプロセスを通過して行くと
何度も聖霊の満たしを経験する

その結果2つのことが起こる
1.自分の実践が位置的真理に近づいていく
2.神が与えてくださった奉仕の仕事を完成させる力が与えられる

その結果
私たちは御霊の初穂という位置的真理を成就する

 

 

 

聖霊のバプテスマについて

 

Q:
聖霊のバプテスマを受けたしるしは
異言で話すことだと教えるグループもある
それはどうなのか

A:
そういう教会では異言の賜物のない人は聖霊のバプテスマは受けてない


第1コリント12:13
で私たちは皆同じ御霊によってバプテスマを受けたと言われている
Ⅰコリ 12:13 なぜなら、
私たちはみな
ユダヤ人もギリシヤ人も、
奴隷も自由人も、
一つのからだとなるように、
一つの御霊によってバプテスマを受け

そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
(新改訳3)

1Co  12:13 For in one Spirit were we all baptized into one body, whether Jews or Greeks, whether bond or free; and were all made to drink of one Spirit.

信じた人は全員聖霊のバプテスマを受けている
その結果キリストのからだ(普遍的教会)に属するものになっている
これが聖書的定義での聖霊のバプテスマ

 

そして同じ第1コリント12章でパウロは
全ての人が聖霊のバプテスマを受けているが
すべての人が異言で語るわけではないと言っている
[聖霊のバプテスマと異言の賜物はイコールではない]

 

第1コリント12章が教えている
6つの真理

 

①全ての信者は聖霊のバプテスマを受けている
その結果
からだ(普遍的教会)の一員となっている

②すべての信者は最低一つは聖霊の賜物を受けている
  一つ以上を受けている人もいる

③どの聖霊の賜物をとっても同じ賜物を全員が所有していることはない
全員が耳になったり目になったり足になったりはしない
どの賜物を頂き
からだのどの部分を自分が演じるかは
すべて聖霊の意志による
だからパウロは
すべての人が預言をしたり教えたり或いは異言を語ったりするわけではないと言っている

④全ての賜物をひとりの人が所有していることはない
神さまはお互いが共生しあうように召しているから
もし皆さんが賜物全部有り私も賜物全部あると
お互いがお互いを必要としなくなる
神さまはみからだをそのようにおつくりにはなっていない
皆さんは私が必要としている賜物を持っていて
私も皆さんが必要としている賜物を持っている

⑤賜物はすべて等しく重要であるわけではない
賜物の重要性は並べられる
一番重要でない賜物が異言の賜物(どよめき)

この5つを頭に入れておくと6番目の結論が出てくる

もし皆さんが異言で語れない(異言の賜物を持っていない)なら
それ以外の自動的に異言よりも上の賜物を一つは持っていることになる
だから異言で語れるか語れないかは全然心配する必要がない

 

 

よく私に「先生は異言 tongueで話しますか?」
という質問する人がいる

「いつも話す時は tongue 舌を使っている。」
と自分は答える(ワードプレイ)

 

 

 

  

 

33の事項:位置的真理(6)2024年5/11へ
.神の永遠の計画の中に
(IN THE ETERNAL PLAN OF GOD)

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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