練馬桜台聖書フォーラム

八つの契約 レジュメ(26)2020年 12/12

2020.12.14

カテゴリー:八つの契約, 学び

八つの契約 レジュメ(26)2020年12/12

 

私たちはモーセの律法ではなくキリストの律法に従う

 

2002年フルクテンバウム博士セミナー聖書の八つの契約テキスト)を学んでいます。
ご購入はこちらから(CD9枚組)(MP3版)(テキストのみ

 

 

レジュメもくじ

前回のレジュメ(25)

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下、青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です。
(但し、ここでは新改訳2017を載せています)
紫色の聖句は参考聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。

緑色の文章はHP編者による補足説明です。
茶色の文章はDr.Arnold G. Fruchtenbaum『The Eight Covenants of the Bible』 からの補足説明です。

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

Ⅰ.エデン契約条件付き契約人類全般
Ⅱ.アダム契約
無条件契約 人類全般
Ⅲ.ノア契約
無条件契約  人類全般
Ⅳ.アブラハム契約
無条件契約イスラエル
Ⅴ.モーセ契約
(シナイ契約)条件付き契約 イスラエル
Ⅵ.土地の契約
無条件契約イスラエル
Ⅶ.ダビデ契約
無条件契約 イスラエル
.新しい契約
無条件契約  イスラエル

 

 

セミナーテキスト20ページ

Ⅷ.新しい契約 2/4
THE NEW COVENANT

 

条項⑨のつづき

 

神さまは各々の時代、ディスペンセーションに応じて違った法体系、違った種類の律法を与えています。


例)
良心の時代」 アダム契約の条項蛇、サタンエバ、アダム
人間による統治の時代ノア契約の条項
各々のディスペンセーションに応じて違う律法が与えられていました。

それらを比較してわかってくるのは、同じ命令違う命令との両方があることです。

 

メシアであるイエスが十字架上で亡くなった時にモーセの律法は終わりました


イエス・キリストの死以降

「モーセの律法」に代わり「キリストの律法」が支配

(千年)王国の時代
「(千年)王国の律法」が支配します
(一つの契約の中に2つの律法?という疑問が寄せられました。
王国の律法という言葉も聖書にはでてきません。

ディスペンセーションが2つあるので律法も2つと考えればよいのでしょうか。
千年王国ではいけにえの祭儀法がでてきます。聖餐式の必要性はなくなります。異邦人も仮庵の祭りが義務になります。

  

「キリストの律法」が何を意味し、何を意味していないのかを確認しましょう。

 

 

 

 

キリストの律法の定義

 

モーセの律法613
イスラエルに対して適用されるもの

キリストの律法:いろいろな個別の命令
イエスが与えた命令か
使徒たちによって
新約時代の聖徒に与えられたもの
かのどちらか

新約時代に生きている私たちは今「モーセの律法」ではなく「キリストの律法」に従っています。
(イエスさまはモーセの律法に従われました。)

残念ながら「モーセの律法」と「キリストの律法」の理解に大変な混乱がありますので少し整理したいと思います。

 

 

 

 

キリストの律法に関して4つのこと
Four observations are worth noting.

 

「キリストの律法」に含まれる命令は
「モーセの律法」の命令と

 

(1)
同じものが沢山あるのです。
First, many commandments are the same as those of the Law of Moses.

  

例)
「モーセの律法」の中の十戒
10中9つまでは「キリストの律法」でも繰り返されている

9つが今もいきているからとびっくりしてはなりません。
ディスペンセーション、律法体系が変わっても、同じ命令が繰り返されると既に私たちは理解しています。

十戒の9つまで同じなので私たちは今も「モーセの律法」の或る部分には従わなくてはいけないと思い込んでしまうのです。
それが混乱の原因です。
覚えておいてください。

 

 

 

 

(2)
全く違い矛盾のように見えるものもあるのです。
But, second, many are different from the Law of Moses.

 

例)
血の犠牲

モーセの律法:罪のための犠牲のささげ物を捧げなければ呪われた
キリストの律法:血のささげ物を捧げる必要はなく、持ってきたら罪を犯すことになる
(罪を犯すとは、イエスさまが完全な贖いをなされたにもかかわらず再度いけにえを捧げるということは十字架の死を無効と考えることになるからでしょうかという意見がフォーラムでだされました。)

 

安息日

モーセの律法安息日を守れという規定
キリストの律法:安息日の規定は新約では繰り返されていない
十戒の中の9つまでは同じ命令で、もれている一つが安息日の規定です。

ローマ人への手紙14:5
ロマ 14:5 ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。
それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。

コロサイ2:16
コロ 2:16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批判することがあってはなりません。

この2箇所の聖句は安息日の規定からはもう縛られていないことを教えています。

 

 

では、新約時代の私たちはどうすればいいのでしょうか。
個人と、教会全体とを区別しておく必要があります。

個人として
或る日を特別な日と決めてもいいし、思わなくていいということです。
土曜日に働いても、日曜日に働いても、それは罪を犯していることではないのです。
(子どもたちが日曜に試合がある部活には入れないと日曜礼拝との板挟みで苦しんでいる、映画「炎のランナー」について等意見がだされました。)

地域教会として
キリストの律法:教会の人々は定期的に集まり礼拝をささげるよう神さまから命じられている
ヘブル 10:25 ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。
その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。

しかし、一週間のどの日に集まって礼拝をするかはその教会の自由なのです。

安息日に礼拝をせよという命令は教会には与えられていません。
モーセの律法安息日とは礼拝の日ではなく休息の日

安息日に礼拝をせよという規定がないのと同じように、日曜日に集まり礼拝をせよという規定もないのです。
日曜日を「新しい安息日」と聖書はよんでいません。
また、聖書によれば日曜日を「主の日」とさえ呼んでいません。
主の日とは旧新約聖書で大患難時代を表す最も一般的な言葉)
日曜日を主の日と呼ぶのは、キリスト教界の伝統でそうなりました。
(イエスさまが復活された曜日だからでしょうか。)

地域教会が何曜日に礼拝するかは完全に自由に選ぶことができるのです。
例)
アリエルミニストリーズ(F博士の主催する団体):世界各地にメシアニックジュー(ユダヤ人クリスチャン)の会衆を建てる働き
金曜日の夜礼拝、土曜日の朝礼拝、日曜日の朝礼拝、水曜日礼拝
同じだけの権利があり、同じように許されている

「キリストの律法」による命令は定期的に集まり礼拝をしなさいということであり、何曜日にするかは地域教会の選びに任されています。

 

  

今日、食物規定もありません。

マルコ7:19
マル 7:19 それは人の心には入らず、腹に入り排泄されます。」
こうしてイエスは、すべての食物をきよいとされた。

イエスさまは全ての食物はきよいと言われました。


ローマ人への手紙14:20
ロマ 14:20 食べ物のために神のみわざを台無しにしてはいけません。
すべての食べ物はきよいのです。
しかし、それを食べて人につまずきを与えるような者にとっては、悪いものなのです。

 

「モーセの律法」と「キリストの律法」の命令とは、このような違いがあります。

 

 

 

 

(3)
同じ規定でも、特に強調して、より強く命令をされているものがあります
Third, some commandments in the Law of Moses are intensified by the Law of the Messiah.

 

例)
モーセの律法ではあなたの隣人をあなた自身のように愛しなさいという規定があります。

レビ記19:18
レビ 19:18 あなたは復讐してはならない。
あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。
あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい
love your neighbor as yourself
わたしは【主】である。
イエスさまは、これがモーセの律法で第二に大事な戒めだとおっしゃいました。

もちろん、その内容そのものは素晴らしいです。
しかし、自分を愛するようにというのがその愛の限界です。
自分自身を憎んでいる人がいるわけですから、逆に、あなたが自分を憎むように隣人を憎みなさい、ということも成り立ち得るわけです。

 

新しい契約の律法「キリストの律法」になるとその命令がより強くなります。

例)
ヨハネの福音書15:12
ヨハ 15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
love one another, even as I have loved you
キリストが愛したように互いを愛する、と愛の命令が高められます。

「私」がその基準ではなく「イエス」が基準になっています。
イエスはご自分の命を捨てるほどに私たちを愛してくださいました。

 

 

 

 

(4)
この律法を守るために新しい動機付けが与えられました
Fourth, the Law of the Messiah provides a new motivation.

 

論理構造

 

モーセの律法
これをしなさい。
それはあなたが祝福を受けるためです。
Do, in order to be blessed.
条件付契約であるモーセ契約が土台なので

 

新しい契約キリストの律法
あなたがたは既にあらゆる霊的祝福を受けたのです。
だから応答するためにこれをしなさい

You have been and are blessed, therefore, do.
無条件契約である新しい契約が土台なので

イエスさまは、もしあなたがたがわたしを愛するならばわたしの戒めを守ります、と言われました。
ヨハ 14:15 もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

ヨハ 14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」

ヨハ 14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

これが全く新しい動機付けになります。

 

 

 

 

 

復習

律法の規定で同じものが沢山あることについて

同じものがあるために混乱があるのです。
或る方々は「モーセの律法」を細分化し(祭儀法、市民法、道徳法)いきていると言わなければいけないように追い込まれてしまうのです。
私たちは「モーセの律法」は十戒も含めてイエス・キリストの十字架の死によって全部成就した、終わったことをみました。
私たちが今従っているのは「キリストの律法」です。
「モーセの律法」と同じ部分がかなりありますが「モーセの律法」の或る部分がいきて次のディスペンセーションに紛れ込んできたという結論にはならないのです。

 

例)
アメリカの州法による交通規則のたとえで説明

 

もし私が今盗んだり人殺しをしたら、「モーセの律法」に違反しているのではなく「キリストの律法」に違反しているのです。

例)
おいしい日本のサシミを食べることは私(ユダヤ人)には今もう許されているのです。

 

モーセの律法613は十戒も含め全部キリストの死により完了した
キリストの律法:私たち新約時代の信徒に適用されている

 

  

 

 

他の契約同様、新しい契約も聖書で再確認されます。

 

未だあげてない聖句

イザヤ書55:3
イザ 55:3 耳を傾け、わたしのところに出て来い。
聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
わたしはあなたがたと永遠の契約を結ぶ。
それは、ダビデへの確かで真実な約束である。

未来形が使われ、わたしはあなたがたととこしえの契約を結ぶであろう将来、となっています。

  

エレミヤ書32:40
エレ 32:40 わたしが彼らから離れず、彼らを幸せにするために、彼らと永遠の契約を結ぶ。
わたしは、彼らがわたしから去らないように、わたしへの恐れを彼らの心に与える。

神がイスラエルと新しい契約を結び、その結果イスラエルは国家的救いを経験するようになります。


エゼキエル書16:60
エゼ 16:60 だが、わたしは、あなたが若かった日々にあなたと結んだ契約を覚えて、あなたと永遠の契約を立てる。
神はイスラエルと新しい契約を結び、それがイスラエルに祝福、救いをもたらします。

 

ローマ人への手紙11:25~27
ロマ 11:26 こうして、イスラエルはみな救われるのです
「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。
11:27 これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。
新しい契約ではやがてイスラエルは全て救われると預言されています。

 

 

 

 

 

契約の重要性
The Importance of the Covenant

 

土地の契約(パレスチナ契約):
アブラハム契約の土地の部分をより広げた契約アブラハム契約の第2の条項

ダビデ契約
アブラハム契約の子孫に関わる部分をより詳しく説明した契約同上第1の条項

新しい契約
アブラハム契約の祝福特に救いに関わる祝福の側面を拡大したもの同上第8の条項

やがてアブラハムの子孫に与えられる祝福が異邦人にも及ぶようになるという側面がありました。

新しい契約はそれがどのように可能になるのかを教えています。
次回につづく

 

 (千年王国のあとにくる「永遠の秩序」においてはサタンもいないし、人が罪を犯す可能性もなくなる。
契約は守る、守らないというものだが、契約を守れないということもなくなる。
だから永遠の秩序においては契約はなく(聖書にそのことについての言及はありません)、この「新しい契約」が最後の契約になるのか、との興味深い感想も寄せられました。)

                                                                                          

                         

 

(詳しくは中川健一著ディスペンセーショナリズムQ&A』書籍のみ1528円)(CD5枚組書籍付き3000円) 24 新しい契約とはどのようなものか をどうぞ。)

               

                                                                                            

八つの契約(272020年12/26
Ⅷ.新しい契約(3/4)
C.教会と新しい契約との関係

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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