旧約聖書におけるメシア預言
レジュメ(15)2026年1/31
このセミナー(2007年)の後に天使論…(2010年)、
死後の世界(2012年)のセミナーがもたれた
2007年フルクテンバウム博士セミナー
『旧約聖書におけるメシア預言』
THE MESSIAH OF THE OLD TESTAMENT
By Dr. Arnold Fruchtenbaum
(テキスト)
ご購入はこちらから(CD)(テキスト)
フルクテンバウム博士のメッセージを
中川健一牧師がわかり易く通訳してくださった
セミナーの内容を基に作成しています。
以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句箇所です
(セミナーでは新改訳3を使用しています)
(このHPでの引用聖句は原則 口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
「新共同訳」とは聖書 新共同訳©共同訳聖書実行委員会j
「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です
黒色の文章がセミナーの説明文
緑色の文章はHP編者による補足説明
紫色の聖句は引用聖句や参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version ASV)
興味のある箇所はリンク先もご覧になってみてください。
紙の聖書「新改訳2017」はこちらをどうぞ
旧約聖書におけるメシア預言
イントロダクション
Ⅰ.律法
A.「女の子孫」
B.「アブラハムの子孫」
C.「ユダの子孫」
D.「バラムの預言」
E.「モーセのような預言者」
F.律法のまとめ
Ⅱ.預言書
A.イザヤ書7:1~21 処女から生まれる
1.ダビデの家に対する脅威 イザヤ7:1~2
2.アハズ王へのメッセージ イザヤ7:3~9
3.解放のしるし イザヤ7:10~17
a.しるしの提供 7:10~11
b.しるしの拒否 7:12
c.ダビデの家に対するしるし 7:13~14
ヘブル語の「アルマー(乙女)」
d.アハズに対するしるし 7:15~17
4.アッシリヤの侵攻 イザヤ7:18~21
結論
B.イザヤ52:13~53:12 受難の僕
ユダヤ教の見解
1.見よ、わたしのしもべは栄える。52:13~15
2.私たちの聞いたことを、だれが信じたか。53:1~3
イザヤ52章~53章のまとめ
1.見よ、わたしのしもべは栄える。52:13~15
2.私たちの聞いたことを、だれが信じたか。53:1~3
3.まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
53:4~6
4.彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。
53:7~9
5.しかし、彼を砕いて、痛めることは【主】のみこころであった。
53:10~12
Q&A
Q&A
メシア預言Q1:
創世記6:2と4「神の子たち」
(質問では)「神の子」と書いているが
「神の子たち」複数形
「神の子」と言うとこれはまた意味が違ってくる
①「神の子たち」これは堕落した天使だ
という説明があった
そこで質問は
多くの場合「神の子たち」とは本物の信仰を持っていた人たちのことを指しているのではないかと皆考える
そのように教えられてきたから
②もう一つは
天使に生殖機能があったのか?
天使がなぜ人間と結婚できるんだ?と言う疑問
③その堕落した天使たちはどこかに閉じ込められているという説明があったように記憶しているが
今この世にいるサタンは悪霊とは別のものなのか?
(中川師)
サタンは悪霊の親玉
その下にいるのが悪霊たち堕落した天使
創世記6章に出てくる堕落した天使たちはその後どこかに閉じ込められているのかという質問に切り替える
メシア預言A1:
①新約聖書で「神の子たち」というと
信者のこと
旧約聖書では違う
そこのところをよくわけておいて
ベネイ エロヒム
今日(Ⅰ.A.2.c..)説明した
これは堕落していてもしていなくても
天使を指す言葉
「神の子ら(新改訳3)」「神の子たち(口語訳)」
という言葉は必ず天使をさすと皆言う
ただ創世記6章だけは例外をつくってそうではないと言い始める
普通の意味に対して例外を作るのはよほど釈義上の理由があれば別だが
ここではそういう理由がないのでこれは天使
堕落した天使としか取りようがない
②天使は霊的存在だが
霊的存在は肉体的な行為を行うことができる
イエスさまの墓石を動かしたのは天使
天使は霊的存在
霊的存在が物理的な行動を起こしている
天使が人の前に現れる時には
例外なしに青年の姿
老人であったり女性であったりしている例はない
創世記6:2と4で
魅力的な男性の青年の形をした堕落した天使が
女性の娘を誘惑して結婚をしネフィリムという
怪しげな存在を生み出した
これが聖書が教えている内容
創 6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
創 6:4 そのころ、またその後にも、地にネピリム The Nephilim がいた。
これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。
彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
ネフィリム(新改訳3)というのは洪水によって滅ぼされた
③今その時に罪を犯した堕落した天使たちは
タータラス ギリシャ語
という所に閉じ込められている
第2ペテロ2:4
二ペテ 2:4 神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界 hell におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。
この地獄(新改訳3ほか)(口語訳では下界)と訳されている言葉がタータラス Tartarus
これ(創6章の悪霊)が堕落した天使たちのこと
アーノルド・フルクテンバウム博士著/佐野剛史訳
『メシア的キリスト論
ー旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯ー』
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ出版部
p.186~194 テーマ別バイブルスタディ付録1 神の子ら
(書籍)(電子書籍) をぜひお読みください
メシア預言Q2:
①死後「第二のチャンス」(第二の機会
セカンドチャンス)があるか?
②イエスは死んだ人のところに行って
福音を宣べ伝えたのではないか?
これQ&A1と関連がある
メシア預言A2:
②イエスさまが福音を宣べ伝えたとは
言っていない
ギリシャ語の言葉 keirusso は
福音を宣べ伝えるという言葉ではなくて
「宣告をする」ということば
ルカの福音書16章では
「アブラハムのふところ」Abraham’s Bosom
という言葉があり
苦しみの場所にいる人がいい場所にいる人と
会話ができる状態が描かれている
そこでイエスさまは死んだあと
ノアの時代に罪を犯して閉じ込められていたこの堕落した悪霊たちに裁き
イエス自身の勝利を宣言し
彼らに解放の時は来ないということを
宣言している
①だから地上生涯を終えて肉体の死を迎えたならばそれ以降「第二のチャンス」はない
聖書には第二のチャンスは教えられていない
もし第二のチャンスがあるとしたら死んだ後
それを聞いて否定する人なんか誰もいないだろう
(中川師)
どう?死んだあと
もう1回チャンスがあると言ったら全員が救われる
そうしたら地上で伝道する意味はどこにあるの
メシア預言Q3:
①ヘブル人の手紙6章や10章で
救われても将来あとずさりして
救いを失う可能性があるかのような箇所がある
ヘブル 10:25 ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。~
②それと関連して洗礼を受けたクリスチャンが
何らかの理由で教会に来なくなる
他の宗教を信じたのではなくて教会に来なくなる
あるいは聖書を読まなくなる
祈らなくなる
その場合その人は永遠の命を失ったのか
というきわめて具体的な切羽詰った質問
メシア預言A3:
①ヘブル書6章の話だが
ヘブル書5:11がその文脈の始まり
ヘブル 5:11 このことについては、言いたいことがたくさんあるが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。
5:12 あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。
あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。
5:13 すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。
5:14 しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。
ヘブル 6:1 そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。
今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、 6:2 洗いごとについての教と按手、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。
6:3 神の許しを得て、そうすることにしよう。
6:4 いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、6:5 また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、6:6 そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。~
実は文脈は
ユダヤ人信者たちが大変な迫害にあって
もう一度後戻りしようとしているのがこの文脈
このヘブル人の手紙の著者は
そういう後ずさりするような結論というのは
考えてみればあり得ないんだということを伝えようとしている
①ユダヤ教に後戻りして
その結果神さまが与える神の懲らしめを受けるようになる
これが一つの道
②ユダヤ教と完璧に手を切って
霊的成熟を目指して進んで行くという
この二つの選び
ここで著者が言っているのは
もし後ずさりしてユダヤ教に戻るならば
マタイ12章に書かれていた
ユダヤ人の罪
赦されない罪と自分とを一つにしてしまう
そこに逆戻りしてしまうという警告
そういう人は地上においては神の訓練
神のお叱りを受け
死んでからは
千年王国の時に与えられる神からの報酬ご褒美(1コリ3:10~15)を頂けなくなるということ
ここではこの著者は
霊的に永遠の命が失われる
ということを論じているのではなく
地上での生涯において
神の裁きがくだるということを論じている
ヘブル書では五つの警告が実は出てくる
その一つがここ
これはその警告はすべて
地上における物理的肉体的な神さまからの訓練であり
また死に関すること
旧約聖書でイスラエルの民が罪を犯した時に
神からの訓練を受けたように
後ずさりした信者は
この地上生涯においてそのような訓練を受ける
決して永遠の命が奪い去られたという意味ではない
悔い改めるというのは心を変えるということ
そしてユダヤ教では心を変えるということは
もう取り消すことのできない決心になる
もしユダヤ教に帰るということをしたなら
そこで霊的な成長をもう自分はしなくなる
という選びをしてしまったので
霊的な祝福を将来受けられなくなる
そして同時にさっき言った
肉体的な神さまからの訓練に自分をさらすことになる
後半の質問
②誰も救われるのは
洗礼を受けたから救われるのでもなく
教会に行ったから救われるのでもなく
行動わざによって何かをしたから救われているのではない
救いを受けた後
人々は教会に行ったり聖書を読んだり当然すべきなのだが
だからといってこれが救いの条件になるものではない
つまり救いは信仰によって恵みによるのだから
わざをやったかやらないかによって
救いが失われるものではない
ということはつまり二つしか可能性はない
1.もしその人が教会に来なくなる
聖書が読まなくなる人がいたとしたら
その人は最初から救われていなかった
という可能性がある
2.もしその人が本当に救われていたとしたら
神さまはいつまでもそういう状態でその人が留まることを許さないで
どこかの段階で介入して
その人を訓練するようになる
もし信仰告白をした人がそれから落ちていき
神さまがその人を裁いたり訓練したりしていなかったとしたら
最初から救われていない可能性が非常に強い
ヘブル書12章のテーマだが
5節以降ヘブル書の著者はこう言っている
ヘブル 12:5 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、
「わたしの子よ、
主の訓練を軽んじてはいけない。
主に責められるとき、弱り果ててはならない。
12:6 主は愛する者を訓練し、
受けいれるすべての子を、
むち打たれるのである」。
~
まことの信者であれば父が懲らしめる
それは自分の子供だから
懲らしめられていないとしたら
それは本当の子供ではないんだと言っている
もしまことの信者になっていれば
神さまは必ずその人を懲らしめ訓練をする
その訓練は時にはその人の命を奪う
というほどの訓練でもある
メシア預言Q4:
紀元70年以降レビ族を除いて
全ての部族が消えていったとあった
(神殿が滅びて以降は系図がなくなった)
旧約聖書の中でそれは預言されていたのか?
メシア預言A4:
それは間接的に預言しているだけ
メシアが来るまではユダ部族 ダビデの家はアイデンティティを保つと言うのだから
逆に読めばメシアが来たらアイデンティティがもう分からなくなってくるという意味
そういう意味で預言されていた
メシア預言Q5:
ダビデの子孫という人たちが時々エルサレムに集まって何かしたとかある
(中川師)
これはイスラエルトゥデイにこのあいだ記事が出た
イスラエルトゥデイは聖書ではない
起こったことをレポートしているだけ
この人たちがダビデの子孫だと言っているのではない
そこは注意して
そういう出来事があったということをレポートしている
メシア預言A5:
こんなニュースも知らない
こういうことはどういう根拠でそう言ったのかさえ分からない
2026年2/14へ
旧約聖書におけるメシア預言
まとめメッセージ(南知之)






