本日、第19回ナオミ会を開催しました。参加者は6名(事務局1名を含む)でした。
【テーマ】 アガペー4 クリスチャンの適応
【聖句】 ローマ人への手紙 5章3〜5節、ローマ人への手紙 8章38〜39節、
マタイによる福音書 24章36節、黙示録 19章〜22章、
マタイによる福音書 22章37〜40節、コリント第一の手紙 13章2〜7節
今回は、ナオミ会の変わらぬテーマの元に、今回も皆さんと共に神の愛を分かち合いました。
- 日常で上手くいっている時よりも、大きな打撃(裏切り)を受けた時が人生に何度もある。ナオミ会の姉妹方の話しを聞いても、その通りである。私も、信じていた人から長年の裏切りを受けていた。しかし、「自分が信じたのが悪かった」ではないのがクリスチャンであり、最初は何日も泣いていたが、悔い改めることだと思って何週間も祈っていたら、神に寄り頼んだかという思いが与えられ、はっとした。口では神様にお任せしますと言っても、本心でお委ね出来なかった。このことに気づかされた時、神様の途方もない大きな愛を悟った。その打撃(ショック)を私にくれた人へも神の愛があるわけで、もう神にお任せするしかないと思い、吹っ切れた。そして平安が戻り、笑えるようになった。この平安を頂いたときに、10年滞っていたアガペーの愛についての仕事が、やっと訳せるなと思えるようになった。このことを本日証しさせて頂きます。
- アガペーは神様の愛で、私たちにはない。イザヤ書1章18節「たとえ罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、虹のように赤くても、羊の毛のようになる。」。私たちは生まれながら罪があり、クリスチャンになっても、口に出さなくても、心の中で悪く思ったりすることがあると思います。それでもイエス様は、こんな私を赦してくださったことが心底分かり、私も赦そうという思いになり、神様は私の心を変えてくださった。
- このような手(骨折)になって痛いなと思いつつ、いろんな人たちのお世話になり、そのヘルプのことを思うと、この痛みを支払っても、得たもののほうが多いなと感じている。たくさんの方にお祈りしていただき、一人暮らしなので、姉妹方が具体的な助け手でした。そして、この痛みを通して、神様の前に、残されている者に対して、私に与えられている使命を少しで果たせる機会が与えられるようにと思わされたことに感謝しています。ナオミ会の皆さんのお祈りにも感謝しています。
- 面識のない人に個人攻撃を受けました。家に帰って悶々と悲しい気持ちで泣いていた。その時、神様から祈りなさいと言われ、誰に祈るのか、そして誰と共に祈るのかについて教えられた。そして祈りの中で、その方を赦す気持ちが与えられ、私も知らずに同じことをしているかもしれないという思いが湧いてきた。これも、主が生きて働いてくださっているからであり、また聖霊のお働きで、その方のために祈ることで、受けた心の傷が消え去った。これは神様の御業であり、人間にできることではない。全ての栄光を主に帰することを学ばせて頂いている。
- 1.ローマ人への手紙 5章3〜5節
苦難→忍耐→練られた品性→希望と連鎖していますが、ここでは「神の栄光にあずかる望みを喜ぶ」という背景に、苦難の中に価値を見いだし、神の働きを見出すという積極的な意味があります。また 聖霊によって神の愛が私たちの心に広く注がれ、神の愛が限定的でなく、拡散的に働く力になっていくという力強さを感じました。2.ローマ人への手紙 8章38〜39節
どのような被造物も神の愛から私たちを引き離すことはできないと宣言されています。ここでは、神の愛の絶対的な確かさと、キリストにある関係性が堅固であることの保証となっています。3.マタイによる福音書 24章36節
終末の時を神のみが知っておられる、創造主だからこそ知っておられる。
人間が理解し得ない神の知識と愛の奥深さの前に、信仰者には神への信頼と忍耐を求められる箇所だと思います。4.黙示録 19章〜22章
神の最終的な裁きを通して、神の栄光の中で住まう愛の永遠性と完成を描いています。アガペーの愛は、救いと正義を兼ね備え、永遠の慰めと交わりをもたらす愛であることがわかります。5.マタイによる福音書 22章37〜40節
第1の戒めが、「心を尽くし、知性を尽くし、創造者なる主を愛する」という命令ですが、ここは神への愛を全人的に捉えていて、むしろ神の側が私達のすべてを知り尽くした上で包み込むような愛を示されていること(ヨハネの手紙第1 4:10)。
同じように「隣人を愛することも自分自身を愛するように愛する」というのが第二の戒めであると言っています。
その2つは人の目には不可能でも 神の目から見て同質であり、これが律法と預言者全体にかかっているということは、旧約聖書で神が説いていることは、イエスキリストの愛、アガペーの愛によって成就した。ということになるのではないでしょうか。
つまり、私も隣人も、イスラエルも異邦人も、神の愛によって紐付けられているということです。これは、私の今回の学びの中で大発見でした。6.コリント第一の手紙 13章2〜7節
ここでは、愛について単なる感情的な愛ではなく、人格的で実践的な愛を表しています。忍耐と優しさを備えた愛。神のもっておられる無限の愛の御性質を説き、それは途絶えることがない。
こうしてみると、アガペーの愛とは、定義や概念ではなく、流動性と広がりをもたらす、救いの力そのものであり永遠性を持っている。神から人へと注がれ、私達の心に浸透していく働きがあることが分かります。このことから私の中に愛がないことを知ると同時に、キリストを信じてバプテスマされたと同時に神の愛の蛇口は開かれ、閉じることのない圧倒的な神の愛の広がりがすでに始まっていることを知り、勇気づけられました。次回のナオミ会は、12月11日(木)14:00~15:30です。
ローマ人への手紙 5章3〜5節苦難→忍耐→練られた品性→希望と連鎖していますが、ここでは「神の栄光にあずかる望みを喜ぶ」という背景に、苦難の中に価値を見いだし、神の働きを見出すという積極的な意味があります。また 聖霊によって神の愛が私たちの心に広く注がれ、神の愛が限定的でなく、拡散的に働く力になっていくという力強さを感じました。2.ローマ人への手紙 8章38〜39節どのような被造物も神の愛から私たちを引き離すことはできないと宣言されています。ここでは、神の愛の絶対的な確かさと、キリストにある関係性が堅固であることの保証となっています。
3.マタイによる福音書 24章36節
終末の時を神のみが知っておられる、創造主だからこそ知っておられる。
人間が理解し得ない神の知識と愛の奥深さの前に、信仰者には神への信頼と忍耐を求められる箇所だと思います。
4.黙示録 19章〜22章
神の最終的な裁きを通して、神の栄光の中で住まう愛の永遠性と完成を描いています。アガペーの愛は、救いと正義を兼ね備え、永遠の慰めと交わりをもたらす愛であることがわかります。
5.マタイによる福音書 22章37〜40節
第1の戒めが、「心を尽くし、知性を尽くし、創造者なる主を愛する」という命令ですが、ここは神への愛を 全人的に捉えていて、むしろ神の側が私達のすべてを知り尽くした上で包み込むような愛を示されていること(ヨハネの手紙第1 4:10)。
同じように「隣人を愛することも自分自身を愛するように愛する」というのが第二の戒めであると言っています。
その2つは人の目には不可能でも 神の目から見て同質であり、これが律法と預言者全体にかかっているということは、旧約聖書で神が説いていることは、イエスキリストの愛、アガペーの愛によって成就した。ということになるのではないでしょうか。
つまり、私も隣人も、イスラエルも異邦人も、神の愛によって紐付けられているということです。これは、 私の今回の学びの中で大発見でした。
6.コリント第一の手紙 13章2〜7節
ここでは、愛について単なる感情的な愛ではなく、人格的で実践的な愛を表しています。忍耐と優しさを備えた愛。神のもっておられる無限の愛の御性質を説き、それは途絶えることがない。
こうしてみると、アガペーの愛とは、定義や概念ではなく、流動性と広がりをもたらす、救いの力そのものであり永遠性を持っている。神から人へと注がれ、私達の心に浸透していく働きがあることが分かります。このことから私の中に愛がないことを知ると同時に、キリストを信じてバプテスマされたと同時に神の愛の蛇口は開かれ、閉じることのない圧倒的な神の愛の広がりがすでに始まっていることを知り、勇気づけられました。
次回のナオミ会は、12月11日(木)14:00~15:30です。





