【ナオミ会トピック】(25.12.11)

2025.12.11

カテゴリー:お知らせ

本日、第20回ナオミ会を開催しました。参加者は6名(事務局1名を含む)でした。

【テーマ】  聖書的女性とは

【聖句】   創世記2:18 また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさ  わしい助け手を造ろう。」

今回は、ナオミ会の皆様の長きにわたる女性としての人生経験から、痛みや葛藤、喜びや感謝、聖書から学んだことなどを分かち合いました。

  • 聖書的女性観のまとめ(byハンナ会)
  1. 女は男の脇腹(肉と骨)から取られ、個々に別のものとして造られ、再び結び合わされて一体となる。これ    は結婚という単なる制度ではない。人としての完成形としての姿である。
  2. そして自分の父母を離れ精神的にも自立し、次なる家庭をつくり養う。
  3. 大切なことは、男も女も単独では未完成であることをわきまえ、互いに尊敬し一体であることの意味を考えること。
  4. キリストと教会の関係の型であることを理解し、仕え合う。
  5. 理想的な聖書的女性観とは、神との関係を夫に倣い、神への信仰と礼拝を通して一体となること。助け手の本質は、手助けではなく、なくてはならない一部であり、1 つのビジョンに向かって、完全なる協力関係を構築すること。
  6. キリストのくびきに繋がれ、共に喜び、共に悲しみ、人生を共に歩み切ること。

この学びを通して、新しいクリスチャン女性としての喜びある歩みができますよう、神様に期待しています。

  • 私が育った頃の時代的な背景は、平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」というようなフェミニズムが台頭した最盛期の時期でしたので、女性が男性に虐げられて理不尽なことをされても、黙って耐えていくというのが、日本女性の鏡みたいな風潮だった。たとえ2号さんを持とうが、男の甲斐性と言われ、女性は子供のためとじっと我慢してきた女性像があり、いつも母や叔母などの周りを見てきて反発を感じてきた。そして私自身は、フェミニズムの先頭を走っていったが、そのうちに私はフェミニズムにずっと騙されてきたと気づかされた。これは聖書に出会わないと悟らなかったし、私の内面の大きな変換期にもなった。その後も夫に従うとか我慢をするとかということに反発する思いが出てきてしまうことがあり、子供を育てる中に影響してしまって、今も私はその実を少し刈り取っている部分もあると思います。それゆえ神様の秩序の中で自分を築いていかないといけない。たとえカッコイイことを言っても、それは自我の現われだと分かり、騙されたことへの失望もありました。
  • 今の若い自分の娘たちを見てみると、ものすごく自由に言いたいことを言っていますが、私たちの時代はそうではなかった。年を取ってからは遠慮せずに、主人に神様のことを話すようになりましたが、人生の後半でそういう時が与えられ、本当に良かったと思っています。私はずっとローマ人への手紙8章 18節の御ことばに、励ましを受け、支えていただきました。「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。」と口ずさみながら、今に至っています。
  • 洗礼を受けても、聖書的な女性に、結局のところ成れなかった。頭でっかちで、聖書の言っている深み、永遠ということを、「美味しいねぇ」といいながら主人とご飯を食べることで表したかった。主人には申し訳なかったと、本当に悔い改めの人生です。でもなぜ私だけ残って、主人が召されたのかというのは、神様ですから、今、残されているということは、やることがあるからで、それに従って生きたいと思っています。
  • 私は子供たちに、親として聖書観、夫婦観、人としての在り方を、どう伝えていったらいいのか手探り状態です。自分がいずれ死を迎えるときに、大好きな神様って、こんな方だったよ。私が喜んでいられるのは、神様がいるからだねと伝えていきたい。このために、今、残された時間、聖書を読んでいます。私たち夫婦は、お互いが神様抜きではあり得ないという立ち位置に立たされていることは、その時に良い選びをさせて頂いた事であると思っています。どちらを選ぶかという時に、神様がこちらを選ぶように導いてくださったということが大事だと思います。私たちが亡くなった後に、その足跡は、きっと私の子供たちに理解してもらえると私は信じています。

次回のナオミ会は、2月12日(木)14:00~15:30です。

ナオミ会

幹事:山﨑 眞由美

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