八つの契約 レジュメ(18)2020年7/11
食べなきゃいけない、ではなく食べることが許された
イスラエル人も今は新しい律法のもとに
無条件契約であるアダム契約、ノア契約、アブラハム契約は今も生きている
2002年フルクテンバウム博士セミナー『聖書の八つの契約』(テキスト)を学んでいます。
ご購入はこちらから(CD9枚組)(MP3版)(テキストのみ)
フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。
以下、青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です。
(但し、ここでは新改訳2017を載せています)
紫色の聖句は参考聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。
緑色の文章はHP編者による補足説明です。
茶色の文章はDr.Arnold G. Fruchtenbaum『The Eight Covenants of the Bible』 からの補足説明です。
興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。
Ⅰ.エデン契約-条件付き契約-人類全般と
Ⅱ.アダム契約-無条件契約 -人類全般と
Ⅲ.ノア契約-無条件契約 -人類全般と
Ⅳ.アブラハム契約-無条件契約-イスラエルと
Ⅴ.モーセ契約-条件付き契約 -イスラエルと
Ⅵ.パレスチナ契約-無条件契約-イスラエルと
Ⅶ.ダビデ契約-無条件契約 -イスラエルと
Ⅷ.新しい契約-無条件契約 -イスラエルと
Ⅴ.モーセ契約 7/7
THE MOSAIC COVENANT
セミナーテキスト15ページ
D. モーセ契約のディスペンセーション(2/2)
ヘブル 8:1~13
~
ヘブル8:7 もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、~
8:9 ~わたしが彼らの先祖の手を握って
エジプトの地から導き出した日に、
彼らと結んだ契約~
彼らはわたしの契約にとどまらなかったので、
~
エレミヤ書31:31~34
エレ~
31:32 ~、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約
~
わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──【主】のことば──。
~
(預言的にはメシアの死の前に、この時点で既にモーセ契約は破棄されたと考えられていたということです。テキスト15ページ)
ヘブル人への手紙8:13
ヘブル 8:13 神は、「新しい契約」と呼ぶことで、 初めの契約を古いものとされました。
年を経て古びたものは、すぐに消えて行くのです。
エレミヤの預言とともにモーセの律法が古びたことが語られています。
エレミヤが預言した、モーセの律法の破棄されることが、メシアの死で成就します。
ですから今日、メシアの死以降生きている私たちは「律法の時代」に生きているのではなく
「恵みの時代」に生きているのです。
それがローマ人への手紙6:14
ロマ 6:14 罪があなたがたを支配することはないからです。
あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるのです。
ローマ人への手紙7:4、6
ロマ 7:4 ですから、私の兄弟たちよ。
あなたがたもキリストのからだを通して、律法に対して死んでいるのです。
それは、あなたがたがほかの方、すなわち死者の中からよみがえった方のものとなり、こうして私たちが神のために実を結ぶようになるためです。
ロマ 7:6 しかし今は、私たちは自分を縛っていた律法に死んだので、律法から解かれました。
その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
ガラテヤ5:18
ガラ 5:18 御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
これを聞いたあと大抵の人がこの質問をします。
「じゃあ、モーセの律法、十戒が有効じゃないんだったら今は盗ったり殺したりしてもいいんですか?」
答えは「そんなことしちゃいけません。」
わかっていますよね、言わずとも。
私たちはモーセの律法のもとにはいないけれど、恵みの時代は新しい別の律法のもとにいるのです。
その新しい律法とはキリストの律法と呼ばれています。
もう一つだけ付け加えておきたいと思います。
今まで学んだことがどういう意味があるのでしょうか。
大事なこと
私たちはモーセの律法の要求からは完全に解放されているということ
しかし、モーセの律法は義務ではないけれども、私たちは
モーセの律法を自分の意思で実践しようと思うならば、それは許されます。
ただし、その場合4つのことを理解していることが必要です。
モーセの律法を実行したからといって
①
神から義とされるわけではないと理解していること
②
実行する前より、より以上に聖くなるわけではないと理解していること
今日恵みの時代に生きる私たちはモーセの律法によってきよめられるのではなくて、キリストの律法によって聖められるのです。
③
ほめられるわけではないということ
私たちはキリストの律法に従うことによって神を喜ばせるのであって、モーセの律法に従うことによって神を喜ばせるのではないのです。
④
その人がよりユダヤ人ぽくなったり、ユダヤ性を高めたり、あるいは
より霊的になったりするわけではないのです。
私たちは新約聖書の恵みの原則に違反しない限りは
自分の自由意思でモーセの律法を実行するのは構わないということ。
但しその場合でも例えば今言ったように
これをやって義とされようとか
これをやったらより聖くなる
これをやったら神に喜ばれる
あるいはこれをやったらより霊的になる
わけではないということです。
ですから、食物規定や衣服に関する規定は新約時代の恵みの時代に生きている私たちにとっては中立です。
その人のご自由にということです。
他の人にこれをせねばならないと強制しない限りは、その人はやってもやらなくてもOKですね。
[この点を強調しているのは、フルクテンバウム先生はラーメンが大好きだからです。(笑)]
例)
アダムからノアまで人間が食べることを許されたのは?
草食
ノアの時代になって肉を食べることが許されました。
食べなきゃいけないのではなく
食べることが許されたということ。
ですから、菜食主義の生活もOKですよ。
他の人に菜食主義のみが聖書的生き方であると言わない限りはOK。
今、恵みの時代に生きる私たちにとってモーセの律法というのはそれと同じです。
私は一つラビの或る物語を思い出しました。
ドイツのある小さな村で…
この苦笑するショートラビジョークは割愛させていただきます。
モーセ契約Q&A
セミナー参加者によるモーセ契約についての質問と中川牧師による回答です。
アブラハム契約についてのQ&Aも一緒になっていました。
この時間から、私とフルクテンバウム先生の教え方は、よりユダヤ的になります。
ということは座って教えるということです(笑)
ユダヤ人の会堂では聖書、トーラーを読む時だけ立ちます。
教える時は座ります。
イエスさまも教える時は座って教えていらっしゃいます。
~
M-Q1
今のユダヤ人社会では安息日にシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)に集まります。
安息日は礼拝する日ではなく家で休む日ということを聞きましたが、ユダヤ人は安息日の礼拝、安息日にシナゴーグに集まることをどのように考えているのでしょうか?
M-A1
これはラビ的ユダヤ教
ラビたちが考え出した方法で、モーセの律法に書かれてある方法ではありません。
ユダヤ人はモーセの律法に書かれてあるとおりに信仰を実行していると私たちが思うなら、これは大きな誤解です。
紀元70年に神殿が崩壊して以降こんにちまでの時代、ラビ的ユダヤ教となります。
ユダヤ教は
モーセの時代
それからダビデの時代
捕囚に行った前後
イエスさまの時代
全部形が変わってきています。
今あるユダヤ教がラビ的ユダヤ教です。
これは新約聖書でいうとパリサイ人たち、いわゆる律法学者たちがリーダーシップをとって形成されてきたユダヤ教です。
ですから、私たちが今「ユダヤ教の人は皆これをやっている。だからこれは聖書的だ。」と思うのは、よく吟味しないとどこまでが聖書的でどこまでがラビ的ユダヤ教なのかわからなくなります。
例)
ユダヤ人は頭にキッパというかぶり物をかぶります。
キッパはモーセの律法のどこにもでていません。
これは中世にラビ的ユダヤ教ででてきたものです。
この質問は、ラビ的ユダヤ教の中でシナゴーグに集まって礼拝をすることがでてきたということ。
よろしいですか。
M-Q2
罪の贖いの為の動物と食べる動物の区別はどうしていたのですか?
M-A2
贖いの為に献げる動物は全部
種類としては食べることができます。
ただ、食べる動物で贖いのために用いられないものがあります。
例えば鹿、鶏とかは献げませんね。
~
M-Q3
ささげ物の動物はどこかで特別に飼育していたのですか?
M-A3
レビ人たちが、献げるための傷もしみもない動物を育てることはしていました。
新約聖書の時代、旧約時代もそうですね。
神殿が建ちそれが機能している時は、祭司階級がそれをしていました。
特にイエスさまの時代は神殿でしか買えない。
ですから高いお金がかかったわけですね。
M-Q4
安息日が休息の時ならばこれは良い話ではないですか。
新約で、日曜日とか安息日とか教会に行くことがどういう風になるのでしょう?
M-A4
これは新しい契約まで待ってください。
どんな話がでてくるかですね。
(フルクテンバウム博士著『イスラエル学-組織神学の失われた環-The Missing Link in Systematic Theology』中川健一監訳/佐野剛史訳(紙版) (デジタル版) B.現在のイスラエル 4.モーセ契約とモーセの律法 c.安息日(7)新約聖書における安息日(8)日曜日p.129~p.146 もどうぞ)
これはねえいい質問ですね、これもね。
他の質問もいい質問ですよ。(笑)
M-Q5
旧約は全部終わったこととして、今の人々は新約に力を入れて学べばいいというようなことがよく日本の教会で言われていますが、それはどうなんでしょうか?
M-A5
この講義をとおしてわかるのは、旧約聖書で終わったと言われているのはモーセの律法(モーセ契約)です。
或いはエデン契約が終わったのです。
ところが
アダム契約
ノア契約
アブラハム契約
は依然として生き続けていますから
この理解なくしてイエス・キリストの十字架とそれ以降の世界の歴史の展開を読み取ることは難しいのです。
旧約が終わったというのは
旧約聖書の中の「律法の時代」が終わった。
そのディスペンセーションが終わった。
モーセの律法が終わった。
しかし、それ以外の無条件契約は今も生き続けていますから、それを理解しなければ新約聖書を理解することにはならないということです。
よろしいですか?
二人位しかうなずきませんね。
この意味わかりますか?
これ非常に重要ですよ。
この点を良く理解しておいてください。
今ちょっとこの話が出たついでに少し
このディスペンセーション主義(私たちの立場 Dispensationalism「ディスペンセーション神学」)と対抗するのがCovenant Theology「契約神学」というものです。
少し触れましたが、契約神学は(実体は)一つしか契約がありません。
それが「恵みの契約 covenant of grace」で、一貫してそれで説明しようとします。
契約が一つしかないので契約の受け手も一つしかない。
旧約時代はイスラエル、新約時代は教会。
「教会」が「新しいイスラエル」になったと言うのはそのCovenant Theology 契約神学の人たちの当然の結論としてでてくるのです。
契約の民は一つしかないのですから。
(詳しくは中川健一著『ディスペンセーショナリズムQ&A』(書籍のみ1528円)(CD5枚組書籍付き3000円)
03契約神学はどのように発展したのか
04契約神学の3つの契約とは、どのようなものか をどうぞ。)
普通、神学的背景のある人と話しているとすぐに
「ディスペンセーション主義はおかしい。」
(私も言われたことがあります。)
「どこがおかしいんですか?」
「ディスペンセーション主義だからおかしい。」と言われる場合が多いのです。
その第一の理由は、これが比較的新しい神学体系だから。
(同上26ディスペンセーショナリズムは新しい神学体系か)
二つ目の理由は、十分に聖書の釈義をしていないのです。
今、フルクテンバウム先生をとおして聖書の一つひとつの語句を吟味しながら、どの体系が一番調和をもって聖書の救いを説明できるかに私たちはチャレンジしているわけです。
(同上05ディスペンセーショナリズムの基本的要素とは何か
06ディスペンセーションの定義は何か
077つのディスペンセーションとは、どのようなものか
087つのディスペンセーション説以外に、どのような説があるか
25ディスペンセーションと聖書的契約の関係とは)
大抵契約神学の人がディスペンセーショナリズムを否定する時は、十分な釈義をしないで自分の枠組みを当然のこととして受け入れた上で議論をしているということ。
二つ目は、十分なディスペンセーショナリズムに対する議論なくしてレッテルを貼り、ダメだと言っている場合が多いということ。
これをよく覚えておいてください。
「教会」が「新しいイスラエル」「霊のイスラエル」であるという考え方は聖書的ではない、という神学者たちの見方が今すごくでてきています。
私は個人的にユダヤ人伝道、イスラエルの役割ということに対して非常な確信を持っています。
イスラエルが神さまから契約を受けた民であり、将来、終末時代において非常な役割が与えられている。
新約時代の教会は「新しいイスラエル」ではない。
教会とは、救われた異邦人とイエスを信じたユダヤ人が、ふたつが一つになって新しいからだになったものだということを信じていますから、イスラエルのことを調和をもって神学的に説明しようとすると、契約神学ではあまりにも矛盾が多すぎて、私はもう対応できないのです。
(同上30ディスペンセーショナリズムと契約神学の違いとは)
フルクテンバウム先生のこのシステムは、ユダヤ人の位置づけを最も調和をもって説明でき、尚且つ黙示録に至るまで終末論に至るまできちんと説明ができます。
(同上29ディスペンセーショナリズムが神学に与えた影響とは)
異邦人の教会の歴史の中で異邦人が構築してきた神学というのはやはりユダヤ人を排除した上で構築してきたのです。
ですから、「契約神学」が主流になったわけですね。
かなりテクニカルな話になっていますが、「教会は新しいイスラエルである。」という発言をした人は、大抵神学校で受けてきた教育は「契約神学」、その名前を教えられようが教えられまいが、体系的にはそれです。
一つの契約しかない、契約の民は旧約新約一つしかない、その考え方で聖書を読もうとしておられます。
ちょっと難しい話になりましたね。ごめんね。
M-Q6
十戒の中で親孝行する者は日が長くなるという言葉がありますが、これも無効になるのですか?
M-A6
出エジプト記20:12
出 20:12 あなたの父と母を敬え。
あなたの神、【主】が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。
これは、個人的に両親を敬えばあなたは長生きするよという約束ではなく
共同体として、両親を大事にすればユダヤ民族が神が与えてくださる約束の地で長く祝福の生活を営むことができるという約束です。
モーセの律法の規定ですから、今、これも無効になり、この時代も終わったと言えます。
今はユダヤ人にとっても「恵みの時代」、キリストの律法に従う時代です。
これは個人的に長生きするよという約束ではなく
民族に約束の地での生活の祝福が長く続くかどうかを約束した言葉です。
エペ 6:1 子どもたちよ。
主にあって自分の両親に従いなさい。
これは正しいことなのです。
6:2 「あなたの父と母を敬え。」これは約束を伴う第一の戒めです。
6:3 「そうすれば、あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く」という約束です。
(書簡のこの聖句は「キリストの律法」として今も生きています。byリーダー と思います。)
(詳しくは中川健一著『ディスペンセーショナリズムQ&A』(書籍のみ1528円)(CD5枚組書籍付き3000円) 13「律法の時代」とは、どのようなものか 21シナイ契約とはどのようなものか をどうぞ。)
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Ⅵ.土地の契約(1/2) A.契約に与る者 B.パレスチナ契約の条項