ヨハネの黙示録レジュメ(20)2016年9/17
黙示録20:7〜20:15
千年の終わりに解き放たれたサタンはまだ性懲りもなく・・・
死はなくなり、千年王国は終わりをむかえる
大きな白い御座のさばき、いのちの書、第二の復活
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黙20:7~15 白い御座の裁き
以下、青色の聖句は順番にみている黙示録本文の聖句です。
紫色の聖句はその他の引用聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。
茶色の文章はフルクテンバウム博士著『The Footsteps of The Messiah』第21章からの要約で、
水色の聖句はその中の引用聖句です。
緑色の文章は補足説明です。
セミナーテキストの10ページ
E. その後の出来事 20:7〜15
1.最後の反乱
20:7〜10
20:7 千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。
20:7
千年王国の終わりにサタンが解き放たれます。
20:8 そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。
その数は、海の砂のように多い。
20:8
サタンのわざは偽り、騙し、欺くことであり、それを行います。
イザヤ書65:20
イザ 65:20 わずか数日で死ぬみどりごと、
おのが命の日を満たさない老人とは、 もはやその中にいない。
百歳で死ぬ者も、なお若い者とせられ、
百歳で死ぬ者は、のろわれた罪びととされる。
千年王国が始まる時、そこにいるのは信じている人たちだけです。
* 復活した人々(栄光のからだにかえられた旧約、新約、患難期に死んだ全ての信者たち):
もはや嫁いだりめとったりしません
* 信じて(患難期を)生き延びた(肉体をもつ)異邦人たち:
結婚し、子供を産みます
* その子たち:
(今の私たちと同じように)罪の性質をもって生まれます
千年王国で生まれた人(異邦人)は100歳になるまでは信じるチャンスが与えられます。
信じた人は一千年間生き続け、一千年の終わりに新しいからだが与えられるようになります。
千年王国の最後の100年間になると、信じていない人たち(異邦人)がいるわけです。
その信じていない最後の世代に、サタンが再び欺きのわざを行い神の地位につこうとします。
20:9 彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。
20:9a
もう一度神の都エルサレムに攻め上ってきます。
すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。
20:9b
しかし、天からの火によってその侵略者たちは滅ぼされます。
20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。
そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。
20:10
サタンは火と硫黄の池に投げ込まれます。
そこは獣(反キリスト:にせものの御子)も、にせ預言者(にせものの聖霊)もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受けます。
にせの三位一体の全てが火と硫黄の池にいることになります。
反乱の扇動者(サタン)は彼の第六のすみか、最後かつ永遠のすみかである火の池に投げ込まれ、サタンの活動はついにここで終わります。
第一コリント15:24〜28
一コリ 15:24 それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
(1コリ 15:24 それから終わりが来ます。
そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。 新改訳3)
15:25 なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
15:26 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
15:27 「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。
ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
15:28 そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。
それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。
(これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。 新改訳)
この最後の反乱で千年王国が終わり、メシアから父なる神へ権威の委譲が起こるのです。
2.大きな白い御座の裁き
20:11〜15
20:11 また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。
天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
20:11
さばき主がいますが、誰かは書かれていません。
ヨハ 5:22 父はだれをもさばかない。
さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。
ヨハネの福音書5:22によれば、イエスが白い御座に着座されている王だということがわかります。
ここに至って、創世記のはじめから人類に入り込んできた罪が完全に取り去られます。
このさばきの座にいるのはあらゆる時代の罪人たちだけです。
このさばきは彼らが救われているかどうかを確定する裁きではありません。
人は死ぬと、
その人が本当の信者だったかどうかはすぐに明らかになります。
白い御座のさばき: 不信者のみが受ける
火の燃える池で受けるさばきの厳しさを確定する為
すべての不信者が火の池に投げ込まれますが、全ての不信者が同じ程度の苦しさを経験するわけではありません。
マタイ11:20〜24
マタ 11:20 それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。
11:21 「わざわいだ、コラジンよ。
わざわいだ、ベツサイダよ。
おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。
11:22 しかし、おまえたちに言っておく。
さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。
11:23 ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。
黄泉にまで落されるであろう。
おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。
11:24 しかし、あなたがたに言う。
さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。
ある人のほうが他の人よりも耐え易いであろうと書いてあります。
ルカ12:47〜48
ルカ 12:47 主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。
12:48 しかし、知らずに打たれるようなことをした者は、打たれ方が少ないだろう。
多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。
沢山打たれる者とわずかばかりですむ者と違いがあります。
ヨハネ19:11
ヨハ 19:11 イエスは答えられた、
「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。
だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい」。
罪というのは全部同じではなく、重い罪も軽い罪もあります。
白い御座の前にいること自体が信仰がないまま死んだということですが、どの程度のさばきを受けるかは、その生き方によって定まってきます。
20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。
かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。
これはいのちの書であった。
死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
20:12
二つの書物の名がここにあげられています。
いのちの書とかずかずの書物です。
3つ目の本は書かれていませんが、この違いを区別しておく必要があります。
① いのちの書
生まれた人の名前が全部書かれてあります。
詩篇139:16
詩 139:16 あなたの目は、
まだできあがらないわたしのからだを見られた。
わたしのためにつくられたわがよわいの日の
まだ一日もなかったとき、
その日はことごとくあなたの書にしるされた。
(詩 139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、
あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、
しかも、その一日もないうちに。 新改訳)
その人が信者になった時には、いのちの書の名前はそのままとどまります。
黙示録3:5
黙 3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。
わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。
また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
けれどもその人が信じないままで死んだなら、その名はいのちの書から消し去られます。
詩篇69:28
詩 69:28 彼らをいのちの書から消し去って、
義人のうちに記録されることのないようにしてください。
いのちの書から名前が消されるということは可能なのです。
これは救いを失うということではなく、名前が消される人はもともと救われていなかったということです。
いのちの書に名前がない:
白い御座のさばきに立つ必要のある人
② かずかずの書物
一人ひとりがどのように生きたかを記録してある本です。
これは各人物の自叙伝のようなもので、裁きの度合いを決めるものです。
1.どの程度の知識を持っていて拒否したのか
2.罪の深さ
その二つによって(不信者の)裁きの度合いが決まってきます。
③ 小羊のいのちの書
霊的に生まれた人の名前、つまりクリスチャンとなった人の名前が記されている本です。
黙示録13:8
黙 13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
信じた時に名前が書かれるのではなく、天地の創られる前から(世の初めから)その名前が小羊のいのちの書に書かれてあるのです。
神さまは誰が救われるかをご存じで、その人の名を天地が創られる前から記してくださっています。
黙示録17:8
17:8 あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。
地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。
詩篇69:28
詩 69:28 彼らをいのちの書から消し去って、
義人のうちに記録されることのないようにしてください。
これは義なる者の本とも言われます。(2行目?)
黙 20:13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
20:13
不信者たちの復活がでてきます。
これが「第二の復活」と言われるもので、この復活も2つの段階があります。
第二の復活の2段階
① 千年王国が起こる前に、反キリストがよみがえります
② 他の不信者たちは千年王国が終わってから、よみがえります
20:14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。
この火の池が第二の死である。
(黙 20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。
これが第二の死である。 新改訳)
20:15 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
20:14〜15
彼ら(不信者)はよみがえった後、彼らの永遠の住まいである火の池に投げ込まれます。
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これはセミナーの内容ではありませんが、再度のせます。
コリント人への第一の手紙15章1節から4節
一コリ 15:1 兄弟たちよ。わたし(パウロ)が以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。
15:2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。
15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。
すなわちキリストが、
聖書に書いてあるとおり、
わたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、
三日目によみがえったこと、
火の池で永遠を過ごしたくない方は次の3つのことだけを信じてください。
福音の三要素
① キリストは私たちの罪のために死なれたこと
② 墓に葬られたこと
③ 三日目に復活されたこと
この3つのことを理解し、受け入れ、信じ、イエスさまだけに信頼を置くならば信者です。
将来、一緒に天から地上の千年王国に戻って来ましょう。
ロマ 3:27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。
全くない。
なんの法則によってか。
行いの法則によってか。
そうではなく、信仰の法則によってである。
3:28 わたしたちは、こう思う。
人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
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ヨハネの黙示録レジュメ(21)2016年10/8
黙21:1〜22:21 永遠の御国
過ぎ去る古い世界と出現する新しい世界、 聖なる都エルサレム:都の出現、都の描写( 栄光、城壁、門、土台、都の大きさ、材質、入城、いのちの水の川、いのちの木、住民、栄光)、結論(立証、黙示録が光であることの宣言、第一の保証、招き(福音の三要素)、警告、第二の保証、祝祷) へ
引用聖句は日本聖書協会『旧約聖書 1955年改訳、新約聖書 1954年改訳』(口語訳)を使用しています。