セミナーテキストの23ページ
患難期前の出来事レジュメ(11)2017年7/8
「たちまち、一瞬のうちに」
奥義とは
携挙は7つのイスラエルの祭りの5番目「ラッパの祭り」の成就
栄化のからだ
2014年フルクテンバウム博士セミナー『携挙・大患難時代・そしてユダヤ人の運命』(テキスト)の一部を学んでいます。
ご購入はこちらから(CD8枚組)(DVD8枚組)(MP3版)(テキストのみ)
フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。
以下、青色の聖句はテキストでみていく聖句です。
紫色の聖句は2回目の聖句または参考聖句です。
緑色の文章は補足説明です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。
興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。
患難期の前に起こる一連の出来事
THE SEQUENCE OF PRETRIBULATIONAL EVENTS
Ⅰ.順に起こる出来事
1. 第一次、第二次世界大戦(1914、1939)
2. イスラエル国家の再建(1948)
3. ユダヤ人の支配下に置かれたエルサレム(1967)
//////////// 2017年現在はここ //////////////
(以下は将来順に起こること、いつかは不明)
4. 北の諸国連合の侵攻
5. 世界統一政府
6. 10の王国
7. 反キリストの出現
8. 平和と偽の安全の時期
9. 7年の契約
Ⅱ.時間順ではない出来事
3つもしくは4つ
1回目の暗黒
エリヤの帰還
第3神殿
教会の携挙(2/3)
Ⅱ.時間順でない出来事
NON SEQUENTIAL PRETRIBULATIONAL EVENTS
セミナーテキストの23ページ
教会の携挙
セミナーテキストの25ページ
Ⅱ.教会の携挙
THE RAPTURE OF THE CHURCH
A. 携挙の出来事
The Events of the Rapture
3.Ⅰコリ15:50〜58
前回のつづき
セミナーテキストの28ページ
第一コリント15:51〜53
Ⅰコリ 15:51 聞きなさい。
私はあなたがたに奥義を告げましょう。
私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。
ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
パウロは、栄光のからだに変わるという変化がどれくらい短時間のうちに完成されるかを教えています。
「たちまち、」(in a moment)
ギリシャ語はアトモス
英語アトムatom(意味は原子)という言葉はそこから派生しています。
時間的にはアトム(原義:(これ以上)分割できない(もの))ほどの時間のうちにそれが起こるということです。
「一瞬のうちに」英語で「in the twinkling of an eye,」
まばたきをするうちにという時間ではなく、相手の人を見た瞬間に誰だと認識が与えられるという意味です。
Ⅰコリ 15:51b私はあなたがたに奥義を告げましょう。
パウロはこの全体のことを奥義だと言っています。
奥義:英語でmystery、ミステリー
奥義の定義とは
エペソ3:3〜5
エペ 3:3 先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。
3:4 それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。
3:5 この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
奥義:旧約聖書の時代には知らされていませんでしたが、新約時代になって使徒たちと預言者たちをとおして啓示された真理
エペソ3:9
エペ 3:9 また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現が何であるかを、明らかにするためです。
奥義:神のうちに世々隠されていたものが今啓示されたもの
コロサイ1:26〜27
コロ 1:26 これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。
1:27 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。
この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
奥義:多くの世代にわたって、つまり世々にわたって隠されていたけれども新約時代の聖徒たちに初めて啓示された
奥義の定義:旧約聖書では知ることができなかったが新約聖書で初めて知ることができるようになった概念
私たちは携挙とメシアの地上再臨いわゆる再臨とを別のものだと言っています。
再臨:新約聖書が語っている箇所よりも旧約聖書が再臨について預言している箇所の方がたくさんあるので、再臨は奥義ではありません。
携挙:旧約聖書のどこにも預言されてなく、ヒントも書かれていません。
ですから携挙は奥義です。
神の奥義は8つ
サタンに関する奥義は2つあります。
8つの神の奥義のうちの一つ(変貌の奥義)が携挙です。
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奥義について、ご参考までに
1 王国の奥義
(王国とは5つありますがその5番目が奥義としての王国です。
1普遍的あるいは永遠の王国
2霊的王国
3神政の王国⦅モーセ契約から「異邦人の時」の前まで⦆
4メシア的王国もしくは千年王国
5奥義としての王国:
イスラエルがイエスのメシア性を拒否した時から受容する⦅再臨直前⦆までの期間のことであり、教会⦅ペンテコステから携挙の時まで⦆はその中に存在しますがその全体ではありません)
教会の5つの奥義
2 7つの星と7つの金の燭台の奥義
(地域教会には守護天使がいます)
3 からだの奥義
(教会はユダヤ人と異邦人が一つのからだに結びあわされたメシアのからだです)
4 メシアの内住の奥義
(メシアは今すべての信者に内住します)
5 メシアの花嫁としての教会の奥義
(イスラエルは父なる神の妻として描かれていましたが、教会は子なる神の花嫁です)
6 変貌の奥義
(死の門を通らずに永遠に入っていける信者の世代が存在すること)
7 イスラエルのかたくなさの奥義
(イスラエルが頑なになったのは部分的一部的であり、異邦人の数が満ちる時までということ)
サタンに関する奥義
① バビロンの奥義
(バビロンが世界統一(にせ)宗教に発展し、患難期前半宗教的に世界を支配するという事実)
② 不法と不法の人の奥義
(現在は不法を引き止めるものがあるが、やがてサタンは不法な手段で「不法な人」を連れてきて、反キリストへの礼拝が患難期後半の宗教となること)
8 サタンの奥義 への勝利
(7つの鉢のさばきを含む第7のラッパにより神の奥義は「成就します」。不法の子によるサタンの奥義 を破壊する7つのクライマックスのさばきが起こるということ)
A.フルクテンバウム博士著『The Footsteps of the Messiah』付録Ⅵ 新約聖書における8つの奥義 翻訳メモより
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Ⅰコリ 15:51 b私はあなたがたに奥義を告げましょう。
私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。
ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
(前回 Ⅰテサ4:16〜18で解説した携挙の7つのステップのうち)
パウロはここで④⑤⑥の携挙のステップについてカバーしています。
④ 「ラッパが鳴ると、」
ラッパが鳴ります。
⑤ 「死者は朽ちないものによみがえり、」 「 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、」
キリストにある死者がまず初めによみがえります。
⑥ 「私たちは変えられるのです。」「死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。」
生き残っている聖徒たちがかえられます。
これが携挙の時に起きることです。
この箇所も携挙がいつ起こるかについては沈黙しています。
患難期中携挙説・患難期後携挙説の立場
Ⅰコリ15:52 「終わりのラッパ」という言葉を患難期中携挙説、患難期後携挙説、両方の立場はともに黙示録にでてくるラッパのさばき(封印のさばきの7番目がラッパのさばき)の第7のラッパ(「第三のわざわい」とも呼ばれるさばきで、この中に7つの鉢のさばきが含まれています)だと解釈します。
患難期の中で第7のラッパがいつ鳴るかということはお互いに同意していませんが。
パウロがここで言う終わりのラッパとは黙示録の第7のラッパであるはずがありません。
「the last trumpet」と定冠詞がついています。
パウロが書いた終わりのラッパとはどういう意味だろうとその手紙を読んだコリント人たちが議論した時、ヨハネの黙示録を開いて11章にきて、「あ、ここに第7のラッパというのがある。これだよ。」とは言えません。
ヨハネの黙示録はこの手紙の約30年後に書かれます。
教会の聖徒たちには(黙示録の)第7のラッパに関する啓示は未だ与えられていません。
しかしパウロは定冠詞をつけてthe trumpet、the last trumpetとコリント人たちが既に知識を持っていることを前提に話をしています。
パウロはコリントという町には十分長い時間滞在したので神の教えの全貌を教える余裕があり、その中にはレビ記23章のイスラエルの7つの祭りについての教えもあったに違いありません。
レビ記23章:モーセはイスラエルが守るべき7つの祭りを時間順に並べています。
これらの祭りが意味していること、象徴していることはその順番で成就していくので時間順に並べてあります。
イスラエルの7つの祭り
2つの区分
春の祭り4つ
春の約50日間に全て連続してやってきます。
① 過越(すぎこし)の祭り
メシアの死により成就した内容です。
② 種(たね)なしパンの祭り
メシアが罪のない血を流した時に成就しました。
③ 初穂(はつほ)の祭り
メシアの復活により成就しました。
④ 七週(ななしゅう)の祭り
教会が誕生した時に成就しました。
約4か月間の中間期を経て
秋の祭り3つ
約2週間の間に全部終わります。
⑤ ラッパの祭り
のちほど説明します
⑥ 贖罪(しょくざい)の日
患難時代及び患難時代にイスラエルの民が通過する苦難により成就します。
⑦ 仮庵(かりいお)の祭り
千年王国或いはメシア的王国の設立により成就します。
メシア(イエスさま)の生涯はこの7つの祭りとの相関関係の中で展開されています。
(2001年フルクテンバウム博士セミナー『イスラエルの祭りに隠されたイエス・キリスト』(テキスト) 参照)
第一コリント5:6〜7
Ⅰコリ 5:6 あなたがたの高慢は、よくないことです。
あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
5:7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。
あなたがたはパン種のないものだからです。
私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。
パウロはイエスさまの贖いの死を過越の祭りと関連づけ説明しました。
第一コリント5:8
Ⅰコリ 5:8 ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種の入らない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。
種なしパンの祭りとイエスさまの血潮が関連づけ説明されています。
第一コリント11章〜14章
七週の祭りとイエスさまのご生涯とが関連づけ語られています。
第一コリント15:20〜23
Ⅰコリ 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
15:21 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
15:23 しかし、おのおのにその順番があります。
まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
イエスさまのご生涯と初穂の祭りとが関連づけ語られていました。
第一コリント15:50以降
Ⅰコリ 15:50 兄弟たちよ。
私はこのことを言っておきます。
血肉のからだは神の国を相続できません。
朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
15:51 聞きなさい。
私はあなたがたに奥義を告げましょう。
私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。
ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。〜
パウロは、ラッパの祭りとイエスさまのご生涯とを関連づけています。
ラッパの祭りは教会の携挙によって成就します。
逆に言うと携挙がラッパの祭りの成就であることを示しています。
終わりのラッパという言葉でパウロは何を意味したのでしょうか。
ラッパの祭りの日:
ユダヤ教のシナゴーグ(会堂)で100回ラッパ(つのぶえ)が吹かれます。
最初の99回はそれぞれ異なる長さで、1短く、2長く、3スタッカート・・・
100回目、吹いている人は息の続く限り長い音を出します。
ユダヤ教ではその長いラッパの音はイスラエルが復活してメシア的王国に入ることを象徴していると説明します。
パウロはここでその最後の長いラッパの音のモチーフを用いて、それを教会時代の聖徒たちの復活に適用しています。
ここでも携挙がいつ起こるかという説明はありません。
ただ、ラッパの祭りは携挙によって成就されるということをパウロは教えています。
携挙のタイミング
ラッパの祭りは贖罪の日の前
贖罪の日は大患難を通過するイスラエルが最後に民族的救いを経験することを預言、象徴するので、その前にラッパの祭りがあるということは、携挙は患難期の前にあるということを示しています。
祭りの順番:ラッパの祭り、そして贖罪の日
成就:まず携挙、それから患難期が来る
という患難期前携挙が正解であり、患難期後携挙は間違っていると言えます。
携挙の時、私たちはメシア的王国に入るために栄光のからだに変化します。
携挙、或いは復活する時にどういうからだを持つのでしょうか。
第一コリント15:42〜49
Ⅰコリ 15:42 死者の復活もこれと同じです。
朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、15:43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、15:44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。
血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
15:46 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。
御霊のものはあとに来るのです。
15:47 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
15:48 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
15:49 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
セミナーテキストの29ページ
6つのこと
①
15:42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
朽ちないからだです。
②
15:43a 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、
栄光のからだです。
ピリピ3:21にも同じことが教えられています。
ピリ 3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
③
15:43b弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
復活の力によるからだです。
④
15:44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。
血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
15:46 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。
御霊のものはあとに来るのです。
御霊(みたま)のからだです。
⑤
15:47 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
15:48 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
15:49 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
天上のからだです。
⑥
Ⅰコリ15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
朽ちないからだです。
私たちが将来受ける復活のからだ、栄光のからだがどういうものか余り情報がありませんが、イエスさまの復活のからだと比較すると多少理解が進むかもしれません。
ただし、ここは注意深く学ぶ必要があります。
イエスさまは単なる人ではなく、人であり神であるお方なので、復活のからだだからできるのか、神だからできるのか、その区別が難しいです。
聖書にある復活のイエスさまのからだの特徴は私たちの復活のからだの特徴であるかもしれないし、そうではないかもしれません。
ヨハネ20:16
ヨハ 20:16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
メシアの声は地上生涯の時と同じだったので聞き分けることができました。
私たちも復活後は同じ美声かもしれません。
復活後はへブル語を話すわけですが、日本語アクセントのあるへブル語かもしれません。
ヨハネ20:26〜29
ヨハ 20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。
戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
ヨハネ21:7
ヨハ 21:7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。
すぐではないにしても最終的には認識可能だということです。
携挙でからだがかえられた人も、復活した人も、ともに昔のからだの特徴を保持します。
ヨハネ20:17
ヨハ 20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」
ヨハネ20:27
ヨハ 20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
復活したからだは肉と骨をもつからだなので触れることが可能です。
それは今の私たちのからだと共通している点です。
ルカ24:31
ルカ 24:31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
突如消えることができました。
しかしこれはイエスさまが神だからできた可能性があり、私たちがそうなるかどうかはわかりません。
ヨハネ20:19
ヨハ 20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
壁を通過することができましたが、これも神だからできたことなのかもしれません。
ルカ24:41〜43
ルカ 24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
復活後イエスさまは食べることができました。
私たちも食べることができます。
肉体を保持するためではなく、食べること自体が喜びになります。
教会はキリストの花嫁で未だ婚姻が待っています。
食べたいものを食べたいだけ食べても太らないのはグッドニュースです(笑)
Ⅰコリント15:54〜58
Ⅰコリ 15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
アダムの堕落がもたらした死という呪いが完全に解決されます。
私たちは朽ちるものから朽ちないものへかえられます。
死から不死へかえられます。
そして死に勝利した段階、栄光のからだをもった段階で永遠に生きるようになります。
これがグッドニュースです。
患難期前の出来事レジュメ(12)2017年8/26
Ⅱ時間順でない出来事 教会の携挙(3/3) B.携挙の時期 へ