ローマ人への手紙第4回「あいさつ(3)」ロマ書1:1〜7
イントロダクション
前回までの復習。1節でパウロは自己紹介をしている。原文の語順どおりだと、①しもべ、キリスト・イエスの②召された、使徒として③選びだされた、神の福音のために、となる。この自己紹介の後、挿入句が入る。これは、「福音」というキーワードが出てきたので、パウロの情熱がそれを説明せずにはいられなかったからである。2〜6節の中にこの福音の内容が要約されている。6節の「このパウロから」という言葉は原文にはないが、これを入れないと長い挿入句のために読者が混乱するので、補足として書かれている。今回のメッセージでは、挿入句の残りの部分(5〜6節)と、宛先へのあいさつ(7節)を扱う。
人間存在というのは、神の似姿に造られているがゆえに、名誉を傷つけられるということがいかに深刻な打撃であるかということを理解する必要がある。もし私たちが、自分に関わりのないことで責められた時に、どういう状態になるであろうか。おそらく、どんな犠牲を払ってでも、ある場合には命を捨ててでも、名誉を回復することの方が大事だという選びになる。これが人間というものである。もしそういう意識がなくなったとしたら、その人の堕落の度合いは、相当なものと言わざるを得ない。人間でさえも自らの名誉の回復のためには、命がけで闘う。それは私たちが神の似姿に造られているからである。
ロマ書は神の義の啓示である。神というお方が、その方ご自身が人間から認められるか否かに関係なく、ご自分が神であるが故に、そして、ご自分を指して誓われたが故に、「神の義」とは「神の名誉」であり、「神の栄光」である。よって、私たちはロマ書に近づく時に、これを人間の救いというレベルで捉えるだけではなく、神の義の啓示、神の名誉が如何に現れているか、という文書として捉える必要がある。その中に人間の救いがある。その視点を持つ時に、私たちの頭の上の天井が開かれて、青空を見るかのごとくに、このロマ書の世界というのが広がってくる。
今回のメッセージのゴールは、啓示された「神の義」の大枠を理解することである。
メッセージのアウトライン
1.「神の義」を宣言する器
2.「神の義」の内容
3.「神の義」に与った人々