奈良王寺聖書フォーラム

ローマ人への手紙第3回まとめ

2019.10.14

カテゴリー:ロマ書まとめ

結論(56分30秒〜)

1.「神の福音」(1節)

福音が神の作品であるということは、これを人が修正したり改善したりすることはできない、ということである。パウロは、選び分けられ、召されたという事実の重みを実感しながらロマ書を書いていた。パウロはキリストから直接聞いたこと以外を伝えようとはしていない。神様がパウロをはじめとする使徒たちに教え、使徒たちがそれを聖書に書き、私たちはそれをそのまま受け取る。これが、私たちが取るべき態度である。私たちに委ねられている福音のメッセージは、1秒後に死のうとしている人にも希望を与えることができる力を持っている。それは、福音が神の作品だからである。

2.「前から」(2節)

天地創造の前から神が福音を決めておられた。これは、神の御子(第二位格の神)であるイエス・キリストというお方が、永遠の昔から存在していたということを示している。私たちが信じているイエスというお方は、永遠の昔から存在している神ご自身である。

3.「復活により」(4節)

イエス・キリストが肉によればダビデの子孫として「生まれた」とあるが、この「生まれた」ということは、永遠なるお方が有限な時間と空間の中に人として誕生された、ということを意味している。誕生したということは、それまで存在していなかった命が、胎内に宿り、オギャーと泣いてこの世に出てきたということである。しかし、死者の中からの復活により、公に神の御子として生まれたのではなく、「示された」(宣言された)のである。つまり、このお方は、復活によって神の御子として宣言されたお方である。これは理屈として書いているのではなく、パウロ自身の体験でもあった。パウロはダマスコ途上で光に照らされて、復活のイエスに会って、全く変えられて「私たちの主イエス・キリスト」と呼ぶようになった。ここに如何にこの福音の中における「復活」の意味が重要であるかがわかる。私たちはイエス・キリストの十字架の死について語るが、復活したが故に信頼に足りるという部分が弱いことが多い。聖書の構造は、キリストの十字架と復活まで言わなければ福音を語ったことにはならない。なぜなら、復活というのは、私たちの信じるイエスが神の子であることの証拠であると同時に、私たちの罪の問題が既に解決していることの証拠であるからである。キリストを信じた人は罪の問題が解決し、永遠の命が約束された。イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目に復活されたが故に、そのことが言えるのである。この福音の三要素に頷き、そのようなお方としてキリストに信頼することによって救われるのである。福音というのは、そういうエネルギーを持ったメイド・イン・ヘヴンのグッドニュースである。それ故、私たちは、この福音を本当に大切にし、使徒たちから受けた教えとして、守り、信じ、実践する必要がある。

 

以上

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