岡山聖書フォーラム

コロサイ2章16-23節「コロサイの異端」

2019.12.01

カテゴリー:コラム

2019年12月1日(日)は、コロサイ2章16-23節から「コロサイの異端」と題して、学びました。

Ⅰ、ユダヤ主義(16-17節)

コロサイ教会では、律法にある食物規定や祭儀を守らないということで信者が批評されることがあったようです。パウロは、律法の規定は「次に来るものの影」に過ぎず、本体であるキリストが現れたのだから、影にこだわる必要はないし、批評されても気にする必要はないと語りました。

Ⅱ、御使い礼拝(18-19節)

グノーシス主義者たちは、神ははるか遠くにおられるからと、偽りの謙遜によって近づこうとせず、色々な地位の御使いを通してのみ神に近づくことができるからと、御使いを礼拝していました。また、幻を見たことを拠り所として、自分たちは深遠な秘密の奥義を知っていると主張して誇っていました。それに対してパウロは、彼らはかしらであるキリストに結びついていないことを指摘して、コロサイの信者たちに、キリストに堅く結ばれることの大切さを教えました。

Ⅲ、禁欲主義(20-23節)

パウロは、コロサイの信者たちに、人間が作り出した禁令は賢いもののように見えるけれども、肉の欲望に対しては何の役にも立たないものであり、用いれば滅びるものであると教えました。また、信者は、キリストとともに死んだのであるから、この世の幼稚な教えから離れた者であるということを再確認させました。

※まとめとして、形式主義、体験主義、律法主義などの誤った教えは、私たちを束縛するものであることを覚え、私たちはキリストにあって自由にされた者であることを確認しました。

岡山聖書フォーラム

代表:皆尾 公司

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