八つの契約 レジュメ(27)2020年12/26
与る者 partakerというキーワード
2002年フルクテンバウム博士セミナー『聖書の八つの契約』(テキスト)を学んでいます。
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フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。
以下、青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です。
(但し、ここでは新改訳2017を載せています)
紫色の聖句は参考聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。
緑色の文章はHP編者による補足説明です。
茶色の文章はDr.Arnold G. Fruchtenbaum『The Eight Covenants of the Bible』 からの補足説明です。
興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。
Ⅰ.エデン契約-条件付き契約-人類全般と
Ⅱ.アダム契約-無条件契約 -人類全般と
Ⅲ.ノア契約-無条件契約 -人類全般と
Ⅳ.アブラハム契約-無条件契約-イスラエルと
Ⅴ.モーセ契約(シナイ契約)-条件付き契約 -イスラエルと
Ⅵ.土地の契約-無条件契約-イスラエルと
Ⅶ.ダビデ契約-無条件契約 -イスラエルと
Ⅷ.新しい契約-無条件契約 -イスラエルと
Ⅷ.新しい契約 3/4
THE NEW COVENANT
セミナーテキストの21ページ
C. 教会と新しい契約との関係
The Relationship of the Church to the New Covenant
今までみた聖書の引用箇所(25)(26)は全て新しい契約とイスラエルとを関連づけているものでした
それ以外の聖書の箇所では新しい契約と教会とが関連づけられているものがあります
3福音書に1回ずつでてきます
マタイ26:28
マタ 26:28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。
マルコ14:24
マル 14:24 イエスは彼らに言われた。
「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。
ルカ22:14~20
ルカ 22:14 その時刻が来て、イエスは席に着かれ、使徒たちも一緒に座った。
22:15 イエスは彼らに言われた。
「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました。
22:16 あなたがたに言います。
過越が神の国において成就するまで、わたしが過越の食事をすることは、決してありません。」
22:17 そしてイエスは杯を取り、感謝の祈りをささげてから言われた。
「これを取り、互いの間で分けて飲みなさい。
22:18 あなたがたに言います。
今から神の国が来る時まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、決してありません。」
22:19 それからパンを取り、感謝の祈りをささげた後これを裂き、弟子たちに与えて言われた。
「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。
わたしを覚えて、これを行いなさい。」
22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。
「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。
これはあなたがたのために流すわたしの血であると、新しい契約を結ぶという文脈の中で語られています。
パウロも同じような関連で2回書いています。
第1コリント11:25
Ⅰコリ 11:25 食事の後、同じように杯を取って言われました。
「この杯は、わたしの血による新しい契約です。
飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
第2コリント3:6
Ⅱコリ 3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。
文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。
文字は殺し、御霊は生かすからです。
それ以外の箇所は全部へブル書です。
へブ7:22
ヘブル 7:22 その分、イエスは、もっとすぐれた契約の保証となられたのです。
へブ8:6~13
ヘブル 8:6 しかし今、この大祭司は、よりすぐれた契約の仲介者であるだけに、その分、はるかにすぐれた奉仕を得ておられます。
その契約は、よりすぐれた約束に基づいて制定されたものです。
8:7 もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、第二の契約が必要になる余地はなかったはずです。
8:8 神は人々の欠けを責めて、こう言われました。
「見よ、その時代が来る。
──主のことば──
そのとき、わたしはイスラエルの家、ユダの家との
新しい契約を実現させる。
8:9 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って
エジプトの地から導き出した日に、
彼らと結んだ契約のようではない。
彼らはわたしの契約にとどまらなかったので、
わたしも彼らを顧みなかった。
──主のことば──
8:10 これらの日の後に、わたしが
イスラエルの家と結ぶ契約はこうである。
──主のことば──
わたしは、
わたしの律法を彼らの思いの中に置き、
彼らの心にこれを書き記す。
わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となる。
8:11 彼らはもはや、それぞれ仲間に、
あるいはそれぞれ兄弟に、
『主を知れ』と言って教えることはない。
彼らがみな、小さい者から大きい者まで、
わたしを知るようになるからだ。
8:12 わたしが彼らの不義にあわれみをかけ、
もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」
8:13 神は、「新しい契約」と呼ぶことで、 初めの契約を古いものとされました。
年を経て古びたものは、すぐに消えて行くのです。
へブ9:15
ヘブル 9:15 キリストは新しい契約の仲介者です。
それは、初めの契約のときの違反から贖い出すための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです。
へブ10:16~29
ヘブル 10:16 「これらの日の後に、わたしが
彼らと結ぶ契約はこうである。
──主のことば──
わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、
彼らの思いにこれを書き記す」
と言った後で、
10:17 「わたしは、もはや
彼らの罪と不法を思い起こさない」
と言われるからです。
10:18 罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。
10:19 こういうわけで、兄弟たち。
私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。
10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。
10:21 また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、10:22 心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。
10:23 約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。
10:24 また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。
10:25 ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。
その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。
10:26 もし私たちが、真理の知識を受けた後、進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためにはいけにえは残されておらず、10:27 ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、恐れながら待つしかありません。
10:28 モーセの律法を拒否する者は、二人または三人の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死ぬことになります。
10:29 まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するかが分かるでしょう。
へブ12:24
ヘブル 12:24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。
へブ13:20
ヘブル 13:20 永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神が、
混乱
或る聖書の箇所: 新しい契約はイスラエルと結ばれた
別の箇所 : 新しい契約が教会と関係がある
教会と新しい契約とにどういう関係があるのか?という質問がでてきます。
一番普通の説明
置換神学ちかんしんがくの説明
イスラエルがイエスをメシアとして拒否した時に、神さまはイスラエルの代わりに教会を新しくおたてになったという考え
* イスラエルに与えられていた契約は全て教会に引き継がれた
契約は教会のうちにあって、教会をとおして、教会によって成就するという教え
もちろんその理論に立つ人たちは、教会は文字通りその契約の成就になっているわけではないということは認めるのです。
ですから、これらの契約は字義通りに成就するわけではないという説明が入ってきます。
例)
土地の契約でユダヤ人たちが約束の地に再び帰ってくるという条項があります。
「約束の地というのは文字通りの土地じゃないんだ。
ユダヤ人が帰って来ると言うけれども、これは文字通りのユダヤ人じゃないんだ。」
と説明していきます。
比ゆ的に解釈し
「神さまが選ばれた信者たちを教会に連れ戻すという意味が本来の意味です。」
と読みかえていきます。
「教会は今はまことのイスラエルとなって、契約が預言していた内容を霊的な意味で成就しているのです。」
という説明になってくるわけです。
この置換神学the theology of replacement or transferenceの考え方
(旧約の契約或いは預言を霊解あるいは比ゆ的に理解していく聖書の解釈の仕方)
教会史の中では、もう4世紀から始まっているのです。
今日に至るまで、この置換神学の考え方がキリスト教界の神学体系の中心を占めています。
それ以外の説明
*新しい契約には二つの側面がある
一つの側面はイスラエルと関係し、他の側面が教会と関係するという説明
*新しい契約と呼ばれるものが2つある
新しい契約の一つが教会と、一つがイスラエルと交わされたという説明
しかし聖書を読む限りは2つの新約があるとは教えていませんし、また新約の中に2つの側面があるとも教えていません。
聖書本文に忠実に従うならば、その一見難しいと見える問題は簡単に解決します。
その矛盾を理解するためのキーワード:
英語でpartakerパーテイカー
○○にあずかる者、参加する者、そこから祝福を頂く者という意味があります。
ユダヤ人に与えられた契約は肉体的側面と霊的側面と2つの部分があったということを思い出してください。
肉体的[物理的]祝福:ユダヤ人にのみ与えられたもの
しかし創世記12章のアブラハム契約の条項の中で、
霊的祝福:いつか異邦人にまで、世界中に諸国民に広がっていく
とありました。
ですから結論的には
新しい契約は
一つしかない
イスラエルと結ばれた契約
これは確実に言えます。
答え
教会は、イスラエルと結ばれた契約の中の霊的祝福に与(あずか)るものとなる。
教会がユダヤ人の契約から祝福を受けることを教える聖書箇所3箇所(①②③)
その全てでPartaker その祝福に与る者という言葉を使っています。
セミナーテキスト22ページ
教会と新しい契約とにどういう関係があるのかという質問への
答えを説明している一つめの聖句
エペソ人への手紙2:11~16
エペ 2:11 ですから、思い出してください。
あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。
人の手で肉に施された、いわゆる「割礼」を持つ人々からは、無割礼の者と呼ばれ、2:12 そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約the covenants of the promiseについては他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。
2:13 しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。
2:14 実に、キリストこそ私たちの平和です。
キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁the middle wall of partitionである敵意を打ち壊し、2:15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。
こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人one new manに造り上げて平和を実現し、2:16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
神さまはユダヤ人たちと幾つかの契約を結ばれたとまず書かれています。
ここで契約という言葉:複数形
イスラエルと結ばれた4つの(無条件)契約を指している
(アブラハム契約、土地の契約、ダビデ契約、新しい契約)
それらの契約はイスラエルの国、イスラエルの民と結ばれた契約であると明確に書かれています。
異邦人は
12節:イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、(新改訳3)
なぜか?: モーセ契約により切り離されていた
モーセの律法(条件付き契約 モーセ契約)が隔ての中垣となり異邦人たちを遠く離していたわけです。
しかし、イエス・キリストが十字架の上で隔ての中垣、隔ての壁であるモーセの律法を完成し、その結果それを取り除かれた時に、異邦人とユダヤ人をへだてていた隔ての壁が取り去られました。
キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、2:15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。
その結果何が起こったのでしょう。
パウロが言っていないこと
異邦人信者がイスラエルの国の一部になったとは言っていないのです。
パウロが言っていること
二つのものつまりイスラエル、ユダヤ人と異邦人信者とを一人の人にたてあげたと言っているのです。
イエス・キリストが十字架で死ぬ前
人類はユダヤ人か異邦人かの二つの区別しかありませんでした。
イエス・キリストの死によって
三番目のグループ「新しい一人の人」ができました。
「イスラエルの残れる者」(イスラエルの中の信じる人たち レムナント、メシアニックジュー)
+「クリスチャン」(異邦人の中の信じる者たち)
=「信じる者たちだけから成る新しいからだ」
それが「新しい一人の人」one new manです。
「新しい一人の人」とは「キリストのからだ」です。
つまり、これが「(普遍的)教会」ユニバーサルチャーチです。
こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人one new manに造り上げて平和を実現し、2:16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
教会と新しい契約とにどういう関係があるのかという質問への
答えを説明している二つめの聖句
Partakerを使って教会がユダヤ人の契約から祝福を受けることを教える聖書箇所①
エペソ書3:5~6
エペ 3:5 この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。
3:6 それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。(新改訳2017)
異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となっ(新改訳3)たということ。それはキリスト・イエスにあって、ということです。
the Gentiles are fellow heirs, and fellow members of the body, and fellow partakers of the promise in Christ Jesus through the gospel.
ですから教会は、イスラエルがもっていた祝福に取り替わる役割をしたのではなく、その祝福に参加する、あずかる者となったということです。
これが異邦人がユダヤ人の霊的祝福に対する<引継ぎ人>ではく、共同相続人である理由です。
エペソ書2章(前述)
イスラエルに与えられていた契約の霊的祝福に異邦人があずかるようになったということ
その霊的祝福の内容:
メシアを信じる信仰によって救われる
Partakerを使って教会がユダヤ人の契約から祝福を受けることを教える聖書箇所②
ローマ人への手紙11:16~24
ロマ 11:16 麦の初穂が聖なるものであれば、こねた粉もそうなのです。
根が聖なるものであれば、枝もそうなのです。
11:17 枝の中のいくつかが折られ、野生のオリーブであるあなたがその枝の間に接ぎ木され、そのオリーブの根から豊かな養分をともに受けているのなら、11:18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。
But if some of the branches were broken off, and thou, being a wild olive, were grafted in among them, and didst become partaker with them of the root and fatness of the olive tree; ~
たとえ誇るとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。
11:19 すると、あなたは「枝が折られたのは、私が接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。
11:20 そのとおりです。
彼らは不信仰によって折られましたが、あなたは信仰によって立っています。
思い上がることなく、むしろ恐れなさい。
11:21 もし神が本来の枝を惜しまなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。
11:22 ですから見なさい、神のいつくしみと厳しさを。
倒れた者の上にあるのは厳しさですが、あなたの上にあるのは神のいつくしみです。
ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り取られます。
11:23 あの人たちも、もし不信仰の中に居続けないなら、接ぎ木されます。
神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。
11:24 あなたが、本来野生であるオリーブから切り取られ、元の性質に反して、栽培されたオリーブに接ぎ木されたのであれば、本来栽培された枝であった彼らは、もっとたやすく自分の元のオリーブに接ぎ木されるはずです。
For if thou wast cut out of that which is by nature a wild olive tree, and wast grafted contrary to nature into a good olive tree; how much more shall these, which are the natural branches, be grafted into their own olive tree?(ASV)
オリーブの木のたとえがでてきます。
オリーブの木:イスラエルのことではない
イスラエルは栽培種の枝によってあらわされています。
イスラエルは枝です。
イスラエルがこの木を所有していますが、木そのものがイスラエルではありません。
オリーブの木:異邦人信者のことでもない
野生種の枝が異邦人信者だと言われています。
オリーブの木:ユダヤ人の(無条件)契約に含まれている霊的祝福のこと
ロマ11:17
ロマ 11:17 もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、(新改訳3)
Romans 11:17: But if some of the branches were broken off, and you, being a wild olive, were grafted in among them, and did become partaker with them of the root of the fatness of the olive tree;
ここでパウロはオリーブの木の養分、その豊かな樹液に二つの枝があずかっていると言うのです。
二つの枝
野生種のオリーブの枝:異邦人信者
栽培種のオリーブの枝:ユダヤ人信者
ここで強調されていること
霊的な祝福に異邦人信者があずかる
異邦人はオリーブの木の祝福にあずかっているわけですが、このオリーブの木そのものは今でもイスラエルの所有物です。
ロマ11:24
ロマ 11:24 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。(新改訳3)
Rom 11:24 For if you were cut out of that which is by nature a wild olive tree, and were grafted contrary to nature into a good olive tree; how much more shall these, which are the natural branches, be grafted into their own olive tree?
日本語に訳すと少し意味が弱くなりますが
自分の台木つまり台木のオリーブそのものはイスラエルの所有物だとこれでわかります。
イスラエルが木を所有しているのですからこの木をイスラエルと言うとおかしいですよね。
例)
私が車を所有してます。
この車は私のものです。
でも車は私ではありません。
私が皆さんを大阪から東京まで乗せてあげますと言ったとします。
皆さんは私の車が提供する利便性をそこで体験しているわけですが、車そのものはそれでも私のものです。
まとめ
異邦人信者はオリーブの木が提供する霊的祝福を今楽しんでいますが、そのオリーブの木そのものは私たち異邦人信者のものではなく、イスラエルの所有物です。
ここでもキーワードは、その祝福にあずかる者という言葉です。
教会は霊的祝福と約束の共同相続人であるが、物質的・肉体的祝福は相続しない。
次回D.契約の恩恵に与る者 にて再度
Partakerを使って教会がユダヤ人の契約から祝福を受けることを教える聖書箇所③
ローマ人への手紙の15章は次回に
物質的祝福と霊的祝福とを分けて説明している非常にいい箇所です。
詳しくは中川健一著『ディスペンセーショナリズムQ&A』(書籍のみ1528円)(CD5枚組書籍付き3000円) 24 新しい契約とはどのようなものか をどうぞ。
八つの契約(28)2021年1/9へ
Ⅷ.新しい契約(4/4)ラスト
D.契約の恩恵に与る者 D.新しい契約のディスペンセーション