八つの契約 レジュメ(17)2020年6/27
モーセの律法はイエスの十字架の死で終わりました
2002年フルクテンバウム博士セミナー『聖書の八つの契約』(テキスト)を学んでいます。
ご購入はこちらから(CD9枚組)(MP3版)(テキストのみ)
フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。
以下、青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です。
(但し、ここでは新改訳2017を載せています)
紫色の聖句は参考聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。
緑色の文章はHP編者による補足説明です。
茶色の文章はDr.Arnold G. Fruchtenbaum『The Eight Covenants of the Bible』 からの補足説明です。
ダークアジュール色の文章はフルクテンバウム博士著『イスラエル学-組織神学の失われた環-The Missing Link in Systematic Theology』中川健一監訳/佐野剛史訳(紙版) (デジタル版) からの補足説明です。
興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。
Ⅰ.エデン契約-条件付き契約-人類全般と
Ⅱ.アダム契約-無条件契約 -人類全般と
Ⅲ.ノア契約-無条件契約 -人類全般と
Ⅳ.アブラハム契約-無条件契約-イスラエルと
Ⅴ.モーセ契約-条件付き契約 -イスラエルと
Ⅵ.パレスチナ契約-無条件契約-イスラエルと
Ⅶ.ダビデ契約-無条件契約 -イスラエルと
Ⅷ.新しい契約-無条件契約 -イスラエルと
Ⅴ.モーセ契約 6/7
THE MOSAIC COVENANT
セミナーテキスト15ページ
D. モーセ契約のディスペンセーション(1/2)
モーセ契約は律法の時代というディスペンセーションの土台になっています。
the Dispensation of Law
律法の時代は
出エジプト記20章から使徒行伝2章
つまり教会が誕生する時まで続きます。
モーセの律法を終わらせたのは
メシアの十字架の死です。
重要
律法が終わったのはメシアが到来した時ではなく、
メシアが十字架にかかった時に律法が終わったのです。
それを理解していないと、
新約聖書の適用の面で、
例えばイエスはこれをされたあれをされた、だから私たちもするんだと言うのですが、
イエスが何かをしてらっしゃるのは何のディスペンセーション?何の時代?
律法の時代です。
イエスの地上生涯の出来事は全て「律法の時代」に行われていることです。
ですからそれを現代に全て適用するのはおかしいのです。
或る人は、イエスは安息日を守られたから私たちも守るべきだと言います。
イエスさまはモーセの律法の全てを実行されました。
その理由はモーセの律法が終わったのはイエスの十字架の死によって終わったのであり、[その時までは律法の時代ですからイエスがそれに従うのは当然です。]
聖書の論理構造から言うとメシアの死をもってモーセの律法つまり613が全部終わったのです。
ところが、或る人々は大変混乱したことを言いますね。
モーセの律法の中のこの部分は終わったけれど、これは今でもいきていると、律法を二分化します。
・ある人は、十戒は生きていて、613マイナス10の603は終わったと言います。
「603はもう終わったからいいんだけど、残ってる十戒は従わなきゃいけない。」
・十戒は生きていると言う人でも、十戒のうちの一つ、モーセが要求した安息日の教えだけは取り下げて9つは生きているという言い方をします。
「残りの9つは実行してますよ。」
・モーセの律法を3つに区別する人もいます。
民法(市民法)、祭儀法、道徳法と3つに区別します。
「道徳法は今も実行しなきゃいけない。」
混乱した区別をしますね。
ところが問題は、そういう立場に立つ人同志の間で何が道徳法かという範囲に関して一致がないということです。
このような理論は後の時代になって人間が考え出した区別であり、聖書そのものはモーセの律法を二つとか三つに区分する考え方を提供してはいません。
聖書は律法をひとつの集合体 a unitとしてとらえています。
ヤコブ書2:10
ヤコブ 2:10 律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。
一つの律法を破ったら全部破ったのと同じだと教えています。
全部受けとるか全部終わったと言うか、どちらかです。
聖書の教えによれば
メシアの死とともに613の律法が全て終了しました
新約聖書で「モーセの律法はキリストの死により無効になった」と教えている聖句1/7(ロマ7:1~6)
フルクテンバウム博士著『イスラエル学-組織神学の失われた環-』中川健一監訳/佐野剛史訳 p.101
ローマ人への手紙7:5~6
ロマ 7:5 私たちが肉にあったときは、律法によって目覚めた罪の欲情が私たちのからだの中に働いて、死のために実を結びました。
7:6 しかし今は、私たちは自分を縛っていた律法に死んだので、律法から解かれました。
その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
私たちは律法から解放されました。
新約聖書で「モーセの律法はキリストの死により無効になった」と教えている聖句2/7
(ロマ10:4) p.102
ローマ人への手紙10:4
ロマ 10:4律法が目指すものはキリストです。
それで、義は信じる者すべてに与えられるのです。
ローマ人への手紙10:4
ロマ 10:4 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
(新改訳3)
Rom 10:4 For Christ is the end of the law unto righteousness to every one that believeth.(ASV)
新約聖書で「モーセの律法はキリストの死により無効になった」と教えている聖句3/7
(ガラ3:19)p.103
ガラテヤ人への手紙3:15~19
ガラ 3:15 兄弟たちよ、人間の例で説明しましょう。
人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。
3:16 約束は、アブラハムとその子孫に告げられました。
神は、「子孫たちに」と言って多数を指すことなく、一人を指して「あなたの子孫に」と言っておられます。
それはキリストのことです。
3:17 私の言おうとしていることは、こうです。
先に神によって結ばれた契約を、その後四百三十年たってできた律法が無効にし、その約束を破棄することはありません。
3:18 相続がもし律法によるなら、もはやそれは約束によるのではありません。
しかし、神は約束を通して、アブラハムに相続の恵みを下さったのです。
律法はアブラハム契約へ付加されました。
3:19 それでは、律法とは何でしょうか。
それは、約束を受けたこの子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたものです。
その目的は罪をより明確に示すためです。
律法が与えられたのは一時的であり、約束のメシアが来られた時には律法の果たす役割は終わったと教えています。
その約束のメシアが来られた、だから律法は終わったのだと語られています。
新約聖書で「モーセの律法はキリストの死により無効になった」と教えている聖句6/7
(ガラ3:23~4:7) p.105
律法が終わったことを3つの側面から説明されています。
ガラテヤ人への手紙の3:23~4:7
ガラ 3:23 信仰が現れる前、私たちは律法の下で監視され、来たるべき信仰が啓示されるまで閉じ込められていました。
3:24 こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。
それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。
① 律法は私たちをメシアに導く家庭教師になったということ。
3:25 しかし、信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません。
② 私たちは今やその家庭教師のもとにはいない、その家庭教師というのはモーセの律法ですね。
メシアがあらわれた今はもはや私たちはモーセの律法の下にはいないということです。
3:26 あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。
3:27 キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。
3:28 ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。
あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。
3:29 あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
4:1 つまり、こういうことです。
相続人は、全財産の持ち主なのに、子どもであるうちは奴隷と何も変わらず、4:2 父が定めた日までは、後見人や管理人の下にあります。
4:3 同じように私たちも、子どもであったときには、この世のもろもろの霊の下に奴隷となっていました。
4:4 しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。
4:5 それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。
③ ユダヤ人信者である私たちは律法から贖い出されたと言われています。
4:6 そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。
4:7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。
子であれば、神による相続人です。
新約聖書で「モーセの律法はキリストの死により無効になった」と教えている聖句5/7
(エペ2:14~15 ) p.104~
エペソ人への手紙2:11~18
エペ 2:11 ですから、思い出してください。
あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。
人の手で肉に施された、いわゆる「割礼」を持つ人々からは、無割礼の者と呼ばれ、2:12 そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。
2:13 しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。
2:14 実に、キリストこそ私たちの平和です。
キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、2:15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。
こうしてキリストは、この二つ(イエスを信じるイスラエルの民、ユダヤ人信者、メシアニックジューと異邦人信者)をご自分において新しい一人の人(普遍的教会)に造り上げて平和を実現し、2:16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
2:17 また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。
2:18 このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。
ここでは2つのことをパウロは語っています。
①
律法は「隔ての中垣へだてのなかがき 隔ての壁」となって異邦人がユダヤ人の契約に与らないようにする働きをしました。
②
しかし、この隔ての中垣つまりモーセの律法はメシアの死によって今や取り去られました。
新約聖書で「モーセの律法はキリストの死により無効になった」と教えている聖句4/7
(へブ7:11~18?) p.104
ヘブル人への手紙7:11~18
ヘブル 7:11 民はレビ族の祭司職に基づいて律法を与えられました。
もしその祭司職によって完全さに到達できたのなら、それ以上何の必要があって、アロンに倣ってではなく、メルキゼデクに倣ってと言われる、別の祭司が立てられたのでしょうか。
7:12 祭司職が変われば、必ず律法も変わらなければなりません。
7:13 私たちがこれまで語ってきた方は、祭壇に仕える者が出たことのない、別の部族に属しておられます。
7:14 私たちの主がユダ族から出られたことは明らかですが、この部族について、モーセは祭司に関することを何も述べていないのです。
7:15 もしメルキゼデクと同じような、別の祭司が立つなら、以上のことはますます明らかになります。
7:16 その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらず、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。
7:17 この方について、こう証しされています。
「あなたは、メルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である。」
7:18 一方で、前の戒めは、弱く無益なために廃止され、
レビ記に書かれている大祭司を頂点とした祭司の制度とモーセの律法の間には深い相関関係があると語られています。
つまりモーセの律法が未だ有効であるために、レビたちを中心とした祭司のシステムが存在しているわけです。
モーセの律法はレビ記の祭司たちの働きにより有効になっていくのです。
モーセの律法によれば、唯一神さまから認定を受ける祭司の制度とはレビ部族が祭司となって大祭司を中心とした祭司階級をつくっている、これのみです。
しかし、イエス・キリストはレビ部族の出身ではないのです。
ですからモーセの律法に従えば
イエスは祭司としての資格がないということになります。
詩篇110篇
メシアが、レビの祭司職ではなくメルキゼデクの祭司職に就くことが預言されています。
詩 [ 110 ]
<ダビデによる。賛歌。>
110:1 【主】(ヤハウェ、(父なる神))は私(ダビデ)の主(メシア(御子キリスト))に言われた。
「あなた(メシア)はわたし(【主】)の右の座に着いていなさい。
わたしがあなたの敵を
あなたの足台とするまで。」
110:2 【主】はあなた(メシア)の力の杖をシオン(エルサレム)から伸ばされる。
「あなた(メシア)の敵のただ中で治めよ」と。
110:3 あなたの民はあなた(メシア)の戦いの日に喜んで仕える。
聖なる威光をまとって夜明け前から。
あなた(メシア)の若さは朝露のようだ。
110:4 【主】は誓われた。思い直されることはない。
「あなた(メシア)はメルキゼデクの例に倣い
とこしえに祭司である。」
110:5 あなた(【主】)の右におられる主(メシア)は
御怒りの日に王たちを打ち砕かれる。
110:6 国々をさばき屍で満たし
広い地を治める首領を打ち砕かれる。
110:7 主(メシア)は道の傍らで流れから水を飲まれる。
こうしてその頭を高く上げられる。
ということはつまり、このヘブル書11~14節の中で
ヘブル 7:11 民はレビ族の祭司職に基づいて律法を与えられました。
もしその祭司職によって完全さに到達できたのなら、それ以上何の必要があって、アロンに倣ってではなく、メルキゼデクに倣ってと言われる、別の祭司が立てられたのでしょうか。
7:12 祭司職が変われば、必ず律法も変わらなければなりません。
7:13 私たちがこれまで語ってきた方は、祭壇に仕える者が出たことのない、別の部族に属しておられます。
7:14 私たちの主がユダ族から出られたことは明らかですが、この部族について、モーセは祭司に関することを何も述べていないのです。
新しいメルキゼデクの位に着く祭司、つまりイエスが大祭司になられる時には、新しい律法体系が生まれなければできないことを解説しています。
7:15 もしメルキゼデクと同じような、別の祭司が立つなら、以上のことはますます明らかになります。
7:16 その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらず、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。
7:17 この方について、こう証しされています。
「あなたは、メルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である。」
モーセの律法はもはや無効なものとなったが故に、イエスが大祭司として私たちのとりなしをなさるようになったのです。
補足説明
モーセの律法の或る一部が有効であると主張することは論理的矛盾なのです。
それを言うならば、レビ記の大祭司、祭司たちの制度は今も機能していないとおかしいわけですね。
イエスが大祭司として来られた。
イエスはユダ部族出身
モーセの律法では許可されない形の大祭司職がイエスによって確立した:
モーセの律法がその時代が終わり
新しい律法の時代が生まれたことを意味する
ですから、モーセの律法は全て終わったと理解しなければ論理的矛盾になるわけです。
新約聖書で「モーセの律法はキリストの死により無効になった」と教えている聖句7/7
(2コリ3:2~11) p.105~
第2コリント3:2~11
Ⅱコリ 3:2 私たちの推薦状はあなたがたです。
それは私たちの心に書き記されていて、すべての人に知られ、また読まれています。
3:3 あなたがたが、私たちの奉仕の結果としてのキリストの手紙であることは、明らかです。
それは、墨によってではなく生ける神の御霊によって、石の板にではなく人の心の板に書き記されたものです。
3:4 私たちはキリストによって、神の御前でこのような確信を抱いています。
3:5 何かを、自分が成したことだと考える資格は、私たち自身にはありません。
私たちの資格は神から与えられるものです。
3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。
文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。
文字は殺し、御霊は生かすからです。
3:7 石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。
そうであれば、3:8 御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。
3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます。
3:10 実にこの点において、かつては栄光を受けたものが、それよりさらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているのです。
3:11 消え去るべきものが栄光の中にあったのなら、永続するものは、なおのこと栄光に包まれているはずです。
特に十戒に焦点をあてています。
十戒が、多くのクリスチャンたちが今でも有効で、これを守りたいと思っている類のものです。
ここでパウロが石に書かれた律法(3節、7節)というのは十戒のことです。
十戒に関してパウロは二つのことを言っています。
7節:「死の務め(新改訳3)」死に仕える務め
9節:「罪に定める務め」
もし十戒が今でも有効なら、人を死に定める、人を罪に定める、役割が与えられているのです。
7節と11節:カタルゲオという言葉
無効になることをあらわすギリシャ語
メシアが十字架で死んだ時にモーセの律法は、全て終わり無効になりました。
第2コリント3:7~11
モーセの律法に代わるものとしてキリストの律法というものが与えられます。
ガラ 6:2 互いの重荷を負い合いなさい。
そうすれば、キリストの律法を成就することになります。
ロマ 8:2 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。
次回につづく
(詳しくは中川健一著『ディスペンセーショナリズムQ&A』(書籍のみ1528円)(CD5枚組書籍付き3000円) 13「律法の時代」とは、どのようなものか 21シナイ契約とはどのようなものか をどうぞ。)
八つの契約(18) 2020年7/11へ
Ⅴ.モーセ契約(7/7) D.モーセ契約のディスペンセーション(2/2)
モーセ契約のQ&A
1.ユダヤ人は安息日にシナゴーグで礼拝しているが休む日では?
2.捧げものの動物と食べる動物の区別は
3.捧げものの動物の飼育は
4.新約で日曜に教会に行くことは
5.今は新約だけ学べばいい?
6.親孝行すると長寿になる?