三位一体についての学びレジュメ(10)2025年4/5
Q&Aは質問も回答も大変興味深いです。
2007年フルクテンバウム博士セミナー
『三位一体とは何か』についての学び
THE TRINITY
(テキスト)
ご購入はこちらから(CD)(テキスト)(MP3・PDF)
フルクテンバウム博士のメッセージを
中川健一牧師がわかり易く通訳してくださった
セミナーの内容を基に作成しています。
以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です
(セミナーでは新改訳3を使用しています)
(ここでは原則 口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会 を使用しています)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
「新共同訳」とは聖書 新共同訳©共同訳聖書実行委員会j
「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です
黒色の文章がセミナーの説明文
緑色の文章はHP編者による補足説明
紫色の聖句は参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version ASVです)
興味のある箇所はリンク先もご覧になってみてください。
紙の聖書「新改訳2017」はこちらをどうぞ
三位一体
イントロダクション
定義 アリウス主義 サベリウス主義 ソッツッーニ主義 ユニテリアン主義 三神論
Ⅰ.神の位格の複数性
A.旧約聖書において
1.エロヒムという複数形の名詞
2.エロヒムに使われる動詞が複数形になっている箇所
3.エロヒムが二位格に適用されている箇所
4.ヤハウェが二位格に適用されている箇所
5.アドナイという複数形の名詞
6.複数形の代名詞
7.複数形の形容詞
8.主の御使い
9.神の子
10.神人という概念
11.聖霊
B.新約聖書において
Ⅱ.神の位格の単一性
A.旧約聖書において
1.われわれに似るように、われわれのかたちに
2.複数形の名詞と単数形の動詞
3.エルとエロヒムの同時使用
4.集合体としての単一性(申命記6:4)
a.エハッド b.ヤヒッド
5.ヤハウェ自身の宣言
B.新約聖書において
Ⅲ.三位一体
A.旧約聖書において
B.新約聖書において
1.三位格だけが神と呼ばれている。
2.三位格だけが神の特性を持っている。
3.三位格だけが神の働きをしていいる。
Q&A 1/2
Q&A 1/2
内容が多岐にわたる
Q1
私の教会では三位一体を人に説明するのに水にたとえる
水は気体液体固体
それは間違っている部分 合っている部分があるか?
またもっといい例えがあれば教えてほしい
A1
(フルクテンバウム博士による回答)
この水のたとえもそうだが他にもいろいろな例えがある
長所弱点いろいろある
しかしどの例えをとっても三位一体を説明できるものは何もない
水の場合は気体液体固体でもH2Oという本質は同じだという部分だけは説明できる
しかしお互いが独立している人格であるという部分が欠落している
そして水は気体になったら気体
気体液体固体の状態で同時に存在することはできない
そういう意味で不十分
よってどのような例えを使ってもそれは厳密に見ればどこか弱点が出てくる
(中川健一牧師による回答)
三位一体を表現する例えは地上にはないということ
自分が子どもに説明する時にお父さんは家ではお父さん会社ではサラリーマンで奥さんには夫というように同じ人が3つの役割を演じていると言うがどうだろうか
これはほとんど異端に近い
何故かというと本質は1つだがあらわれ方が3つあるというあの様態論の異端に近い
同時にお父さんとご主人と会社員がそこに存在してその3人が同時に一人だというならわかるがこれも難しい
だから三位一体を説明するたとえはない
Q2
御子の全知について
イエスは終わりの日についてわたしは知らない 父のみが知っておられると言っている
それは御子の全知とどう関係があるのか?
マタ 24:36 その日、その時は、だれも知らない。
天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。
A2
御子の全知性と言う時には神の子としての
要するに神としての部分を言っていてイエスの人間性のことを言っていない
御子イエスが受肉された時に神としての性質に人間性をプラスされた
その時点以降イエスは神であり人であるという状態になる
一つの人格であるが性質が神としての素質と人としての性質を持つようになる
だからイエスは二つの性質を持って生き判断し活動する時と一つの性質だけの時とがでてくる
神としての性質によればいつ自分が戻ってくるかについても知っていただろう
しかし人間性に関してはその知識を自ら制限され知らないことがある状態にされた
またその神としての性質においては全能であることが御子の性質だが
人としての性質においては空腹になり喉が渇きまた死ぬことさえできた
神さまはお腹がすいたり喉が乾いたりしない
また神さまは死ぬことができない
受肉したイエスを見る時にそこには神としての性質と人としての性質がそれぞれ100%あった
人としての性質をおとりになった時には自ら能力を限定するという生き方をなさった
(当時のユダヤ式結婚式を思うと花婿が花嫁を迎えに行く時を決めるのは花婿の父親であるから…という意見が出されました。)
Q3
三位一体の働きについて
働きはそれぞれと言われたが三位格が創造に関わっている時
創造は父なる神が主として関わっていたのか
つまり御子と御霊は補助的な役割をされたのか?
A3
父なる神が中心であと二つの位格が補助的であるとは私は言わない
おそらくこういう風に表現した方が正しいだろう
トータル的なデザインは父なる神がなさり
それを作り上げる作業を御子なる神がなさり
そして最後に美しく仕上げるところを聖霊なる神がなさったと表現した方が聖書が言っている天地創造と三位一体の神の関係にふさわしいと思う
子なる神は父なる神の援助役でいるのではない
父なる神は御子をとおして天地を造られたという時に御子自身が天地を形づくっているということ
Q4
セミナーテキスト9~10ページB.3三位格だけが神の働きをしている。という項目でa.宇宙での創造 b.人間の創造 c.霊感の働きが挙げられていた
b.人間の創造はa.宇宙での創造に含まれるのではないか
だから特に分けるほどのことでもないのではないか?
それよりは罪の赦し贖い罪人の救いこそ神のわざとしてあげられるべきだと思うがどうか?
A4
この質問をされた方がこれをお教えになる場合は罪の赦し贖い罪人の救いを神だけができるというポイントにして教えることは充分可能でありそのようになさればいいと思う
私はあの天地創造と人間の創造とは区別したほうがいいと判断した
3つで形良くポイントを挙げて終わった
もしこれを挙げられた方が罪の赦しという事を挙げるとしたら相当テクニカルなポイントになる
もちろん罪の赦し救いは神のみができるというのはそのとおり
例えばしかし人間の場合でも私たちに罪を犯す者を私たちが許すという意味での許しがある
それを神の赦しと区別するという作業がまず入ってくる
あるいは教会の中で罪を犯した兄弟がいた場合にその兄弟を悔い改めに導くステップが聖書に書かれてあり その時に地域教会がその兄弟の罪を赦すということをする
それもまた区別して論じなければならない
だから罪の赦しという言葉を使った時にはそれは救いという意味に限定して神のみができるという言い方をしていかないと
私が今日お教えした内容は三位一体の三位格が神のみができる働きを三者ともしているという点を明確にすることで
全ての神の働きをリストアップしたわけではない
これは研究してみないと分からないが救いという意味での罪の赦しを論じた時に聖書はおそらく父なる神 子なる神 聖霊なる神が各々赦すという形では論じて無いような気がするので三位一体という文脈の中で罪の赦しを取り上げるということは相当難しいかもしれない
これは調べてみないとわからないことだが
Q5
創世記18章に出てくる3人は誰か?
A5
創世記の18章19章を見るとこの3人は三位一体の三位格ではない
一人は神
あとの2人はロトを助ける為に送られた天使
創 19:1 そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。
そのときロトはソドムの門にすわっていた。
Q6
テキスト8ページの4
イザヤ書48:12~16についての質問
イザ 48:12 わたしに聞け。ヤコブよ。
わたしが呼び出したイスラエルよ。
わたしがそれだ。
わたしは初めであり、また、終わりである。
48:13 まことに、わたしの手が地の基を定め、
わたしの右の手が天を引き延ばした。
わたしがそれらに呼びかけると、
それらはこぞって立ち上がる。
48:14 あなたがた、みな集まって聞け。
だれがこれらの事を告げたのか。
【主】に愛される者が、
主の喜ばれる事をバビロンにしむける。
主の御腕はカルデヤ人に向かう。
48:15 わたしが、このわたしが語り、
そして彼を呼んだのだ。
わたしは彼を来させ、
彼の行うことを成功させる。
48:16 わたしに近づいて、これを聞け。
わたしは初めから、隠れた所で語らなかった。
それが起こった時から、わたしはそこにいた。」
今、神である主は私を、
その御霊とともに遣わされた。
(新改訳3)
イザヤ書48:16の一番後半で今、神である主は私を、その御霊とともに遣わされた。とあるが
この「私」という言葉がひらがなから漢字になっている
しかも16節の真ん中で引用符が閉じている
この訳しかたでは16節の後半は話者は神から人間に変わっているがそれで正しいのか?
それとも
ここでの「私」はメシアか?
・・・
新改訳聖書は神自身が一人称で「わたし」という場合はひらがなで
人間が言っている場合は「私」と漢字で書くと決めて表記している
・・・
A6―1
(中川健一牧師による回答)
この人はメシア自身
Q6―2
この人は12節のヤコブやイスラエルのことではないか?
A6―2
それはおかしい
わたしに聞け。ヤコブよ。と言っているわけだから
「わたし」とヤコブは別の人物
A6―1
(フルクテンバウム博士による回答)
日本語の訳ではそのように判断されたのだろうがヘブル語を読む限りそういうチェンジはない
また英語でもそういうチェンジをしていない
(中川健一牧師による回答)
だからこれは翻訳者あるいは翻訳委員会がそのように判断されたことで
ヘブル語のテキストをベースにして読むと12節の「わたし」も16節の「私」も同じ「わたし」だと考えるのが正解
Q7
旧約聖書で「神の使い」the angel of God と言う言葉はすべて子なる神 son of God だと考えていいか?
A7
天使のことではないと理解していい
Q7
天使の場合は例えばダニエル書の中にあるようにガブリエルとかミカエルとか名乗っていると天使と解せばよろしいか?
A7
(フルクテンバウム博士による回答)
天使を指す場合は複数形
神の子たち the sons of God という言い方
天使の場合は son of God と呼ばれている場所は一か所もない
ヘブル語聖書では「神の子」と単数形になっていれば必ず神の第二位格 子なる神を指している
ヘブル語の聖書で単数形か複数形かは非常に注意深く書かれているので間違えることはない
(中川健一牧師による回答)
この方の質問に答えるなら天使ガブリエルとかミカエルとか名前が出てくれば天使
また複数形で出てくれば天使
神の使い the angel of God 主の使い the angel of Jehovah はすべて第二位格の神
Q8
父子御霊それぞれ遍在していると
で私たちの内側におられるキリスト 内住のキリストという言い方がある
また聖霊がうちに宿るという言い方もある
そうすると人間の心の中に宿るのは三位一体の神全部なのか或いはキリストだけなのか聖霊だけなのか誰なのか?
A8
私たち信者は三位一体の神の中に住んでいる
と同時に三位一体の神はすべて私たちの内側に臨在している
Q8-2
では内側にいる三位一体の神の働きの違いはどうか?と追加質問した
A8-2
例えば内住している御霊の働きは私たちが御子イエスにさらに近くなるため
また私たちに与えられている聖霊の賜物を使うように力を与えてくださるのが父なる神
そして御子なる神が私たちが地域教会に属した時に与えられている賜物が使えるように私たちを特別な場所においてくださる
Q9
東京で何回か出た質問
祈りと三位一体の神の関係について
最近よく祈りの中で聖霊なる神さまと呼びかける祈りがある
これは聖書的に見てどうなのか?
A9
子なる神あるいは聖霊なる神に祈るということは必ずしも罪だとは思わないが
聖書の標準的な祈りのパターンではないことは確か
三位一体の3つの位格が祈りに関わっているという観点から見るならば
私たちの祈りは父なる神に対して御子をとおして聖霊の力によって祈る
これが聖書の標準的なパターン
(3分でわかる!聖書 Q326祈りは誰に向かってすべきですか。)
Q10
神が人となることがキリスト教の本質だと思うが(これはイエスの受肉のことをおっしゃっているわけですね。)
イエスという人の中に神性を認めることは神の至高性尊厳性を引き下げることになるという批判をよく聞く どう答えられるか?
(イエスの中に神性があると言うと神性が引き下げられたように感じるという批判があると
それをどう思うか?)
A10
この質問をした方に逆にどうしてイエスの中に神性を認めたならば神の至高性尊厳性が引き下げる結果になるのかと逆に質問したいと思う
神が神である限り神は何をしてもそれがご自由に出来る方
たとえご自分の神としての性質に反することであってもなさるはず
もし神が人の形をとることを選んだとしたらそれは神の至高性尊厳性を引き下げているのではなくて逆に神はそのようなことさえもすることができるという意味で神の至高性を逆に表現していると思う
だから神が人となることの中には神の至高性を壊すものは何もなくて逆に神の至高性を表現するものがあると考えるべきだと思う
こういう質問は非常に主観的な質問
だからその主観性に対して逆に質問すべき
なぜあなたはそうすることが神の至高性を引き下げると思っているのか?という質問をするならその人は答えられなくなると思う
三位一体(11)2025年4/26へ
Ⅲ.三位一体の神
Q&A 2/2
11. 神が持っている権威と牧師に与えられている権威の違いは?
12. 聖霊に逆らう罪は赦されないとは?
13. イザヤはイザヤ書48:12~16を理解して書いたのか?
14. 復活のイエスさまが現れた500人以上の人だけが救われた人なのか?
15. 主と神の違いについて
16. イエスの内住と聖霊の内住は同じか?
17. 悪魔あるいはサタンは人の心を読み取ることができるのか?遍在か?大物だけに入るのか?
18. 2人でも3人でも集まる所にいらっしゃるとは第二位格のイエスさまがいてくださるのか?
19. 人間は過去に遡っての永遠はないとのことだが信者は天地創造の前から救いに入れられている?どう考えればいいか?
20. イエスさまは神なのになぜ父なる神にお祈りされたのか?公生涯で神としての権威を用いたことがあったか?
21. イエスさまはバプテスマ前聖霊の内住はなかったのか?ペンテコステ前に聖霊の内住を経験した信者はいたのか?