死後の世界 レジュメ(21)2019年7/13
死後の世界セミナー受講者による質問第二弾
2012年フルクテンバウム博士セミナー
『聖書が教える死後の世界
ー個人的終末論ー』(テキスト)
(チャート 死者の場所(13の用語))
(ホワイトボード)を学んでいます。
ご購入はこちらから(MP3版)
(CD、DVD、テキストは販売終了)
フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。
以下、青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です。
紫色の聖句は参考までにレジュメ筆者が載せた聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。
緑色の聖句や文章は補足説明です。
興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。
死後の世界Q&A(2/3)
Q11:
2点質問します。
チャート死者の場所(13の用語)を見ていると①〜⑥、⑩⑪(死者の場所)が地球の中に存在しているように見えます。
私たちの住んでいるこの地球の次元の違う所にあるという理解でいいでしょうか?
(中川健一牧師による、以下(中川師))
死者の場所が地球の一番中心にあることの意味の説明を求めている質問ですね。
言い換えると、①シオールや②ハデスという霊的領域が地球の真ん中にあるとはどういう意味なのか?これは比ゆ的言葉なのか?という質問だと思います。
A11:(フルクテンバウム博士による、以下(F博士))
おそらく、こういう質問がでてくるのは私たちの文化的背景で、霊的世界と物質的世界を分けて、両方が共存するということにあまり理解がないのだと思います。
例えば、神は霊ですね。
神が物質的な世界をお創りになり、今も神は物質的な世界に臨在しています。
創 1:3 神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。・・・
そのこと自体がもう霊的現実が物質的な世界にある、ということを示しています。
天使も霊的存在ですが、イエスの墓の石を動かすことができたように、現実世界に関与した働きをしています。
マタ 28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。28:2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。28:3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。28:4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。28:5 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。28:6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
私の身体を見てください。
これは肉体的な身体ですよね。
しかし、この肉体の中に霊魂が宿っているのです。
また、信者になった時に御霊が私たちの身体の中に宿ります。
これも、物理的な世界に霊的存在があるということです。
Ⅰコリ 3:16 あなたがた(信者のこと)は神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられる〜
テトス 3:5 神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。3:6 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
3:7 それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。
つまり、霊的領域のシオールとかハデスという部分が、物理的な地球の真ん中にあるということはちっとも矛盾ではないし、おかしいことではありません。
Q11-2:では、⑧ゲヘナとか⑨火の海はどうなるのでしょうか?
A11-2:(F師)
将来、永遠の秩序において「新しい天と新しい地」ができます。
黙 21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。 以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
ゲヘナ=火の池は新しい天と新しい地にはないどこかそこから離れたところに存在するようになります。
火の池はすでに存在しています。
火の池は今のところサタンと悪霊のために用意されています。
この地球が続いている間は、反キリスト(にせもののキリスト、不法の者、獣)とにせ預言者(にせものの聖霊)だけが1千年間そこ火の池、ゲヘナで苦しみます。
(その千年王国の間、サタンは底知れぬ所、アビスに一千年間投げ込まれ、解き放された後に永遠の住みかとして火の池へ投げ込まれます。)
どこにあるかわからず、肉の目では見えませんが、どこかにあるということはわかります。
聖書はどこにあるとは言っていません。
Q12:
思い違いをしていましたが、イエスさまが十字架で死なれたと同時に[昇天の時ですね]パラダイスは天に上げられ義人も同時に天にあげられたのではなく、イエスさまは一度地球上のパラダイスに行かれたのですね。
それは、十字架の死だけでは罪の贖いは終わっていなくて、復活されて初めて贖いが完了するからでしょうか?
A12:(F博士)
贖いということ
血を流すことによって贖いが行われますから、十字架上で死んだ時に贖いのわざは完成しています。
イエスさまが「完了した」と言われましたから、その段階で贖いは終わっています。
ヨハ 19:30 イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。
そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。
しかし、それ以降のみわざが続くわけですね。
再臨、地上に千年王国をもたらす、あるいは死んだ人を復活させる、そういうわざが続きます。
そういう意味では未だそれは完了していません。
罪の贖いに関して言えば、イエスさまが死んだ段階で全部完成しています。
Q13:
流産した赤ちゃんは死後、地獄に行くのですか?
A13:(中川師)
これは、幼児の時と同じですね。
聖書は、胎児の死あるいは幼児の死については、どこに行くとも言っていません。
ですから私たちは、神さまが愛であり、義であり、完璧な判断がなされているというところに信頼を置いたらいいと思いますね。
Q14:セミナーテキスト24ページ13.新しいエルサレム。
新しいエルサレムの中の6つの存在について先生は話しました。
もう一度教えてください。
A14:(中川師)
ヘブル 12:22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。ヘブル 12:23 また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、12:24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。
新しいエルサレムには
1 父なる神
2 子なる神
3 堕落していない天使たち
4 旧約聖書の聖徒たち(全うされた義人)
5 教会時代の聖徒たちがいて
6 メシアの血がそこにあります
これは文字どおりの血です。
イエスさまが十字架にかかり、天にのぼった時に、ヘブル書によれば「ご自分の血によって」とありますが、これは文字どおりの血です。
ヘブル 9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。 nor yet through the blood of goats and calves, but through his own blood, entered in once for all into the holy place, having obtained eternal redemption.
イエスさまがサタンによって汚された天をきよめるためにご自分の血をもってそれをふりかけます。
ですから、文字どおりそこに血がある、と解釈します。
これが6つの存在です。
全てのものをリストアップしているわけではなく、この他にもあります。
Q15:セミナーテキスト16ページ
ヨナはシオールにくだったということは一度死んだということでしょうか?
A15:(F博士)
そうです。
ヨナは一度死んでいます。
ヨナ書を読むと、ヨナが船から海に投げ込まれています。
1:12 ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」
・・・
1:15 こうして、彼らはヨナをかかえて海に投げ込んだ。すると、海は激しい怒りをやめて静かになった。
・・・
1:17 【主】は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。
ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。
2:1 ヨナは魚の腹の中から、彼の神、【主】に祈って、2:2 言った。
「私が苦しみの中から【主】にお願いすると、
主は答えてくださいました。
私がよみ(シオール)の腹の中から叫ぶと、
あなたは私の声を聞いてくださいました。
2:3 あなたは私を海の真ん中の深みに
投げ込まれました。
潮の流れが私を囲み、
あなたの波と大波がみな、
私の上を越えて行きました。
2:4 私は言った。
『私はあなたの目の前から追われました。
しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです』と。
2:5 水は、私ののどを絞めつけ、
深淵は私を取り囲み、
海草は私の頭にからみつきました。
2:6 私は山々の根元まで下り、
地のかんぬきが、
いつまでも私の上にありました。
しかし、私の神、【主】よ。
あなたは私のいのちを
穴から引き上げてくださいました。
2:7 私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、
私は【主】を思い出しました。
私の祈りはあなたに、
あなたの聖なる宮に届きました。
2:8 むなしい偶像に心を留める者は、
自分への恵みを捨てます。
2:9 しかし、私は、感謝の声をあげて、
あなたにいけにえをささげ、
私の誓いを果たしましょう。
救いは主のものです。」
2:10 【主】は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。
最初は波の上を漂っていますがやがて沈んで溺死しています。
神は彼のからだを魚に呑み込ませて保存しますが、彼の霊魂はシオールの良い部分に行っています。
シオールから彼は祈りますが、セカンドチャンスを求める祈りではなく、自分が召された働きを全うさせて欲しいという祈りです。
彼の霊魂が魚の中のからだに戻ります。(蘇生)
その段階で魚が彼を吐き出し、ヨナは海岸にたどり着きました。
・・・・・・・・・
お刺身ジョークは割愛させて頂きます。
Q16:
死後、信じない者に与えられる刑罰が永遠に続くにもかかわらず、信じるチャンスが一瞬に過ぎないこの世だけにしか与えられないのは何故でしょうか?
キリストの愛を考える時、腑に落ちないです。教えてください。
これでは伝道のモチベーションが愛や喜びではなく、恐怖心や強迫観念からのものになってしまいそうです。
A16:(中川師)
愛や喜びというのは、その人の最善を願うことでしょう。
恐怖心や強迫観念という言葉は少しキョウハク的な言葉ですが、恐怖心のない愛はあるのでしょうか。
愛と、この人が信じなかったら大変だあ、という思いとは切り離せない、表裏一体です。
また、一瞬に過ぎないというのは私たちの感覚であり、神さまの視点から見るとその人が生きた期間ずっと一般啓示に応答すれば福音を受け入れるチャンスがあったのです。
何故、こうなのかということ。
今地上で私たちが生きていて、神さまの視点では考えられないから、感情的にこういうものがでてくることはすごくわかります。
けれども、神さまの視点に最終的に立った時にこれは全てそうだということがわかると思います。
Q17:
洗礼を受けていてクリスチャンなのですが離れてしまい、自分の価値観で生きています。
将来戻ってくるかどうかわかりませんが、このまま離れたままだと天国に入れるのでしょうか?
A17:(F博士)
この質問に答えるということは別の質問に答えることなのです。
この人はホントに救われているかどうかです。
ホントに救われているのでしたら救いを失うことはありません。
救いを獲得するためにできる人間のわざというのはなく、私たちは神の愛を信じて応答するだけですね。
神が全部くださっているわけですから、救いを失うことも私たちにはできないのです。
例)
ダビデ王は殺人と姦淫の罪を犯しました、信者でありながら。
聖書はこれについてどう教えているのでしょうか。
神さまは罪の中に信者が生き続けることを容認されるお方ではありません。
もしその人が(神さまに)告白しない罪の状態で生き続けるならば、神はその人を裁かれます。
その場合、3つの方法でそれをされます。
1コリント11:28〜30
11:28 ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。
11:29 みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。
11:30 そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
聖餐式の時、主の食卓で酔っ払って大混乱している人に、或る人は病気になり、ある人は弱くなり、ある人は死んだ、とパウロは言っています。
この3種類が主がその人の罪を裁く方法です。
ヘブル12:7
ヘブル 12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。
神はあなたがたを子として扱っておられるのです。
父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
もし信者が罪を犯して、父から訓練を受けないとするならば、その人はもともと信者ではなく、神がその人を子どもとしては扱ってないということです。
ですから、もしその人が罪の中にずっと住んでいて、神さまからの訓練、さばきを受けてないならば、その人は最初から救われていないと考えたほうがいい場合も多いと思います。
しかし、もし信者であるならば神の訓練を受けます。
時々、或る人がこう言います。
「私は救われた。永遠に救われているということは今何をしてもいいんですか。」と。
答えは「やってごらんなさい。Just try it.」
神さまはそれを忍耐されないよ、ということですね。
Q18:
死んだ人は地上の生きている私たちを見ることができるのでしょうか?
A18:(F博士)
聖書には、死んだ人の魂が生きている人を見ているという教えはどこにもありません。
私の予想では、きっと死んだ人は地上の様子をもう見たくないのだと思いますよ(笑)
Q19:
生きたまま天に上げられたエリヤだけが栄光のからだであらわれたとのことですが、メシアであるキリストが全てにおける初穂なのに、エリヤのほうが先に栄光のからだであらわれたというのはどういうことでしょうか?
A19:(中川師)
これは復活と変化トランスレイションとを混同しています。
エリヤは死なないで栄光のからだに変えられています。
ですから、イエスさまが復活した初穂だということと矛盾しないのです。
死んでよみがえるのが復活です。
エリヤのようなかたちは携挙の時に生きている人に起こるのです。
生きたままで栄光のからだに変えられるのは復活ではありません。
英語でtranslation
日本語で適当な訳がないのですが、変えられる、変化する、状態が瞬間的に変わることですね。
Ⅱ列王 2:11 こうして、彼ら(エリヤとエリシャ)がなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。 2:12 エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。〜
マタ 17:1 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。17:2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。17:3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。
Q20:
反キリストが例外的にアビスにとどまるという説明の時に、反キリストはサタンによって人間の女から生まれると言われましたが、聖書箇所はどこですか?
A20:(中川師)
創世記3:15
創 3:15 わたしは、おまえと女との間に、
また、おまえの子孫と女の子孫との間に、
敵意を置く。
彼は、おまえの頭を踏み砕き、
おまえは、彼のかかとにかみつく。」
女の子孫と誰が戦いますか?
おまえの子孫 :サタンの子孫(種)。
ですから基本的にはこの原福音と言われるところに既に、メシアは神から女の子孫をとおして生まれ、反キリストはサタンから女をとおして生まれるということが預言されています。
Q21:
創世記6章の堕天使たちはタータラスに行きますが、人間の女との間に生まれた子たち[これはネフィリムだね]は、ハデスか、タータラスか、アビスか、どこに行くのですか?
A21:(F博士)
ノアの洪水で死んだわけです。
ネフィリム、人間の女と悪霊によって生まれた子に、私たちが言うような意味での霊魂があったのかどうか。
死後霊魂の状態で生き続けたかどうか聖書は沈黙しているのでわかりません。
もし、魂があるとしたら一番考えられる場所はタータラスです。
ノアの時代の悪霊たちがそこに行っていますから。(次のQ22参照)
アバドン、あるいは地獄という所に行っている可能性もなくはありませんが、わかりません。
創 6:1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、 6:2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。6:3 そこで、【主】は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。6:4 神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。
Q22:セミナーテキストの19ページ
タータラスの推論の6つ目は何ですか?
A22:(中川師)
(1)タータラスというのは否定的な言葉
(2)堕天使の場所
(3)(2)の堕天使とはノアの時代の堕天使
(4)ユダの手紙6〜7節の堕天使と同じ
ユダ 1:6 また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。1:7 また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。
(5)セミナーテキストの4番*後半の文章「これらの堕天使は創6章の「神の子ら」と同一。」を5番にしてください。
ですからその前半「*2ペテ2:4とユダ6〜7の関係から考えて、」というところを5番にしてもいいのです。
フルクテンバウム先生のナンバリングと私(中川師)が用意したナンバリングと若干ずれているわけです。
(6)セミナーテキスト20ページの5番目「シオール(ハデス)の中にあって、創6章の堕天使を閉じ込める場所。」
これが6番目です。
Q23:
信者は救われますが、不信者は救われません。
死後にこのような世界があるということを、我々はもっともっとまわりの人たちに伝える使命があるのではないでしょうか。
特に、先に救われた者としての責任を強く感じます。
A23:(中川師)
そのとおりです。
ですから、伝道の動機づけ、伝道の意欲を与えられるために私たちはこの学びをしているわけで、この方のおっしゃるとおりです。
これは質問というよりは提言ですよね。この方はもう書かざるを得なかったのでしょう。
Q24*:
福音、自分たちは信じているからいいのですが、一生そのようなチャンスがないまま亡くなった方がとても気になります。
A24*:(中川師)
これは繰り返しでてくる質問で、冒頭でフルクテンバウム博士に答えてもらいました。
Q24:
長寿を全うした場合ではなくて、 例えば3・11で、あの自動車事故で、バスに乗っていて・・・亡くなった場合はかわいそうな気がします。
そういう人には若干割引があるのではないですか?
A24:(中川師)
ありません。
ある人が何故若くして事故にあい死ぬのか、ある人は何故○○歳位まで生きるのか、わかりません。
それはわからないです。
それぞれに与えられている寿命というのがあり、その中でそれぞれが神さまに応答するように召されています。
Q25:
新しいエルサレムは新しい地ができるとそこに下ってくることはわかりましたが、新しい地はどこにできるのですか?
それは今の第一の天をもつこの地にできると理解すればいいですか?
それとも全く別ですか?
A25:(中川師)
千年王国が終わると、今私たちが見ている天と地は滅びます。
そして、新しい地というのは全く新しくできます。
それはおそらく、創世記の最初、サタンが堕落する前の状態の地。
創1:1 初めに、神が天と地を創造した。
イメージとしては依然として地球です。
けれども、サタンが堕落する前にできていた完璧な地。
サタンの堕落以降、海ができました。
海は堕落の象徴のように聖書では論じていますから、海のない、宝石に満ちた素晴らしい天と地ができます。
ですから、この(今の地の)延長線上にはないわけですね。
それが新しい地ということの意味です。
次回の予告
ラザロが実話だとするとアブラハムの言葉は
幽霊の正体
クリスチャンの自殺
霊魂とは
へブ12:1の意味
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
パラダイスとエデンの園
エホバの証人等と私たちの動機の違い
天と天国の違い
マタイ25章、山羊と羊のたとえ
イエスさまが死んだ時、人々が生き返った理由は
海外の奇跡について
死後の世界レジュメ(22) 2019年8/24
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