ヨハネの黙示録レジュメ(10)2016年3/26
黙示録12:1〜12:5
挿入句
メシアを産んだイスラエルへのサタンの敵意と過去の戦い
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黙12:1~6 イスラエルに対する戦い(1)
以下、青色の聖句は順番にみている黙示録本文の聖句です。
紫色の聖句はその他の引用聖句です。
緑色の文章は補足説明なので、読み飛ばしていただいてかまいません。
興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。
( )内も補足説明です。
B. 大患難時代 6~18章
2. 大患難時代の中間に起こる出来事 10~14章
セミナーテキストの6ページ
f. 大患難時代のイスラエル 12章
(1)歴史的背景 12:1〜5
12章 :
イスラエルがどういう状態であるのかの解説
ここでも著書ヨハネは旧約聖書の知識に基づいて書いています。
12章のテーマ :
サタンがイスラエルを破壊しようとして、どういう計画を持ち、どのように動き回っているのか
12:1〜5 :
なぜサタンが特にイスラエル民族に対してそのような敵意を抱くのかという解説
12:1 また、大いなるしるしが天に現れた。
ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。
12:2 この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。
12:1〜2
天に二つのしるしが現れます。
最初のしるしがこれです。
多くの学者がこの女は大患難時代の教会をあらわしていると説明します。
人々が黙示録を誤解して解釈する理由は旧約聖書の知識がないからだと言いましたが、ここはそのよい例です。
この「ひとりの女」とは教会ではなく、イスラエルのことです。
背景となっているのは
創世記37:9〜11
創 37:9 ヨセフはまた一つの夢を見て、それを兄弟たちに語って言った、
「わたしはまた夢を見ました。
日と月と十一の星とがわたしを拝みました」。
37:10 彼はこれを父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめて言った、
「あなたが見たその夢はどういうのか。
ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか」。
37:11 兄弟たちは彼をねたんだ。
しかし父はこの言葉を心にとめた。
太陽 (日) :
ヤコブ(ヨセフの父の名前)のことになっています。
ヤコブ :
同時にイスラエルを表す預言的な名前
例)
イザヤ書40:27
イザ 40:27 ヤコブよ、何ゆえあなたは、
「わが道は主に隠れている」
と言うか。
イスラエルよ、何ゆえあなたは、
「わが訴えはわが神に顧みられない」
と言うか。
ヤコブがイスラエルを預言する名として使われています。
イザヤ書49:5
イザ 49:5 ヤコブをおのれに帰らせ、
イスラエルをおのれのもとに集めるために、
わたしを腹の中からつくって
そのしもべとされた主は言われる。
(わたしは主の前に尊ばれ、
わが神はわが力となられた)
エレミヤ書30:10
エレ 30:10 主は仰せられる、
わがしもべヤコブよ、恐れることはない、
イスラエルよ、驚くことはない。
見よ、わたしがあなたを救って、遠くからかえし、
あなたの子孫を救って、
その捕え移された地からかえすからだ。
ヤコブは帰ってきて、穏やかに安らかにおり、
彼を恐れさせる者はない。
月については
創世記37:9〜11
創 37:9 ヨセフはまた一つの夢を見て、それを兄弟たちに語って言った、
「わたしはまた夢を見ました。
日と月と十一の星とがわたしを拝みました」。
37:10 彼はこれを父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめて言った、
「あなたが見たその夢はどういうのか。
ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか」。
37:11 兄弟たちは彼をねたんだ。
しかし父はこの言葉を心にとめた。
月 :
ラケル(ヨセフの母の名前)をあらわしています。
ラケル :
ユダヤ人の母たちを象徴する代名詞になります。
エレミヤ書31:15
エレ 31:15 主はこう仰せられる、
「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。
ラケルがその子らのために嘆くのである。
子らがもはやいないので、
彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」。
マタイ2:18
マタ 2:18 「叫び泣く大いなる悲しみの声が
ラマで聞えた。
ラケルはその子らのためになげいた。
子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」。
十二の星というのは
創世記37:9〜11
創 37:9 ヨセフはまた一つの夢を見て、それを兄弟たちに語って言った、
「わたしはまた夢を見ました。
日と月と十一の星とがわたしを拝みました」。
37:10 彼はこれを父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめて言った、
「あなたが見たその夢はどういうのか。
ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか」。
37:11 兄弟たちは彼をねたんだ。
しかし父はこの言葉を心にとめた。
十二の星 :
ヨセフの父ヤコブの12人の息子たちのことで、イスラエル12部族の始まりになります。
ですから、ずっとこの12章を通してひとりの女というのは
黙示録12:1〜2
黙12:1 また、大いなるしるしが天に現れた。
ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。
12:2 この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。
ひとりの女 :
教会ではなくイスラエルのことと言えます。
黙12:1〜2はメシア(イエス・キリスト)が誕生する前の出来事です。
教会がメシアを産んだのではなく、
イスラエルがメシアを産んだのです。
12:3 また、もう一つのしるしが天に現れた。
見よ、大きな、赤い龍がいた。
それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。
12:3
天に 別のしるし(もう一つのしるし)「大きな、赤い龍」が現れます。
赤い大きな竜(大きな、赤い龍) :
サタンのことであるとはこの章のあとになってからわかってきます。
12:4 その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。
龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。
12:4
サタンがメシアに対して戦いを挑むと書かれています。
サタンと天使たちが住んでいるのは第一の天と言われるところです。
第一の天 : 空中
創世記1章で鳥が創られ飛んでいる空間、飛行機が飛ぶ空間
第二の天 : 宇宙
創世記1章で太陽、月、星が創られ置かれたところ
第三の天 : 神の御座のあるところ
信者が死んだら引き上げられるところ
第2コリント12:1〜2
二コリ 12:1 わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。
12:2 わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。
この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――
それが、からだのままであったか、わたしは知らない。
からだを離れてであったか、それも知らない。
神がご存じである。
サタンと悪霊たちが住んでいるのは第一の天です。
エペソ書2:2
エペ 2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
エペソ書6:12
エペ 6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
サタンは第一の天に住みながら第三の天まで出入りすることが許されています。
ヨブ記1章2章(の一部)
・・・ヨブ1:6 ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。
サタンも来てその中にいた。
1:7 主は言われた、
「あなたはどこから来たか」。
サタンは主に答えて言った、
「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。
・・・
2:1 ある日、また神の子たちが来て、主の前に立った。
サタンもまたその中に来て、主の前に立った。
2:2 主はサタンに言われた、
「あなたはどこから来たか」。
サタンは主に答えて言った、
「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。
・・・
サタンが神の御座まで行き訴えている絵が書かれています。
ゼカリヤ書3:1
ゼカ 3:1 時に主は大祭司ヨシュアが、主の使の前に立ち、サタンがその右に立って、これを訴えているのをわたしに示された。
サタンは地上にも自由におりてくることができます。
ヨハネの福音書12:31
ヨハ 12:31 今はこの世がさばかれる時である。
今こそこの世の君は追い出されるであろう。
この世を支配する者(新改訳)
サタンはこの世の支配者であると教えられています。
第2コリント4:4
二コリ 4:4 彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。
ルカの福音書4:5〜7
ルカ 4:5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて4:6 言った、
「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。
それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。
4:7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。
サタンはこの世の支配者であるが故にその栄華をだれでもあげたいと思う人にあげることができる、とイエスに言いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
A. 神の御座 B. 宝石で覆われたエデンの園 C. 宇宙空間 D. 地上 E. アブソス(底知れぬ所) F. 火の池
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黙示録12:4にもどります。
黙 12:4 その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。
12:4a
竜(龍)のしっぽが天の星の三分の一を引き寄せて、それらを地上に投げたと書かれてあります。
神さまが創られた天使のうち、堕落したのが3分の1いたとここからわかります。
龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。
12:4b
普通サタンは悪霊どもを全世界に派遣して自分のわざをおこなっています。
この聖句を見ると、その堕落した天使つまり悪霊どもを、サタンはイエスが誕生した時にその地域に召集したことがわかります。
赤子が産まれた時に、その赤子を食い尽くす為であったと書かれています。
ベツレヘムで赤子が殺された記事(イエスの誕生を知ったヘロデ王はベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させました)がここに書かれてあることです。
しかしその時だけでなくてイエスの公生涯の間中、サタンはイエスを間違ったタイミング、間違った方法で殺そうとしました。
時 : イエスはあの過ぎ越しの祭りの間に死ななければ人類の罪の贖いは達成されませんでした。
ですからサタンは、それ以外の時、間違った時、神さまが定めた時以外の時、つまり過ぎ越しの祭りの前か後に殺そうとしていたのです。
イエスは死にさえすれば良かったのではありません。
もしそうだとするならば、2歳以下の時に殺されていれば罪の贖いができたという論理になります。
方法 : イエスが十字架以外の方法で死んだとしたら罪の贖いは達成されませんでした。
ですからサタンは、それ以外の間違った方法、神さまが定めた以外の方法、つまり剣や石投げという十字架以外の方法でイエスが死ぬようにと願っていたのですが、その試みは必ず失敗しました。
聖書に時がまだ来ていなかったからであると繰り返しでてくるのはそういう意味です。
イエスは(旧約預言とイエスさまが語られていた受難予告どおり)、神さまの定めた時に、神さまが定めた方法で亡くなりました。
12:5 女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。
この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。
12:5
イエスは(復活後)オリーブ山から天にのぼられました(昇天)。
以上の黙示録12:1〜5は過去に起こったことで、これから述べるサタンとイスラエルの戦いを理解する背景となっています。
サタンがイスラエルを憎む第一の理由
イスラエルがメシアを産んだ民族だから
福音書にでてくる特徴的な現象
約4千年位の人類の歴史を扱う旧約聖書ですが、その中に悪霊の働きは数か所しか出てきません。
福音書(イエスの生涯が書かれた新約聖書の最初の4巻)になると突然悪霊の働きがあちこちに出てきて、イエスさまが活動される時はどこに行っても悪霊との対決が起こってきます。
ところが、使徒行伝(福音書の次の書、使徒たちの働き)つまり教会の初期の歴史の書に入ると、悪霊の活動は再び旧約聖書ほどのレベルに落ちます。
新約聖書の中で一番長い書ですが、悪霊の働きは4回しかでてきません。
ということは、福音書の期間にのみ悪霊の働きが集約した形ででてきているということです。
この黙示録の箇所を読むと、何故それがおこってくるのかが理解できます。
サタンは世界中に散らばされていた悪霊どもをイエス・キリストの地上生涯、初臨の時にはイスラエルに召集して、集中して活動させたということです。
イエスの初臨の目的を破壊するために悪霊を召集したということです。
そのサタンの試みが失敗すると、サタンは再び悪霊どもを世界中に散らばらせました。
最近の霊の戦いの教えに関して
悪霊に関心をいかせ過ぎています。
メシアが地上生涯を歩まれていた時期は特別な時代ですから、
福音書の記事を私たちが採用すべき標準的な基準としてみてはなりません。
福音書の前(食物規定はノア契約で更新されましたがアダム契約、ノア契約)および終わって以降のこと(使徒2章~、書簡)こそ今の時代に適用される標準です。
黙示録のこの箇所から、大患難時代に入ると再び悪霊どもの活動が活発になることがわかります。
今度はイエスの再臨を妨げようとする悪霊の力が働くからです。
ヨハネの黙示録レジュメ(11)2016年4/9
黙12:6〜17 イスラエルの逃避(不信仰のままの帰還、ボツラ・ペトラ)、地上に投げ落とされるサタン(サタンの5つの呼び名)、イスラエルに対するサタンの戦い(反ユダヤ主義の背後にあるサタンの理屈、再臨の前提条件、大鷲の翼) へ
引用聖句は日本聖書協会『旧約聖書 1955年改訳、新約聖書 1954年改訳』(口語訳)を使用しています。