奈良王寺聖書フォーラム

ローマ人への手紙第1回まとめ

2019.09.25

カテゴリー:ロマ書まとめ

 結論

1.    ローマ人への手紙の歴史的意義(40分27秒〜)

わずか16章しかないロマ書が人類の歴史に膨大な影響を与えてきた。古代キリスト教世界で最大の影響力を持つ神学者アウグスティヌスは、非常な放蕩生活の後、紀元386年にミラノの自宅で、隣家の子供から「取って読め」という声を聞き、近くにあったロマ書を読んだ。その時、「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、妬みの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません」(ロマ13:13〜14)を読んで、彼は完全に変わった。彼の回心がなければ、その後のキリスト教界は大きく変わっていたであろう。

マルティン・ルターは聖アウグスチノ修道会の修道司祭であった。彼はロマ書に出てくる「神の義」の思想に捕らえられ、やがて「信仰義認」の真理に目覚めた。現代において、ロマ書といえば信仰義認という理解を持つのは、ルターをはじめとする宗教改革者たちの霊的遺産を引き継いでいるからである。ルターがいなければキリスト教界は大きく変わっていたであろう。

メソジスト派創始者であるジョン・ウェスレーは、伝道はしていたが燃えるような確信がなかった。そして、1738524日にロンドンのアルダースゲート街で開かれたモラヴィア派の集会に出席した。そこで司会者が朗読するルターの「ロマ書講解」序文を聞いているうちに、不思議な回心体験をした。その時彼は、信仰義認という真理によって自分の心があやしくも熱くなるのを覚えた。もしジョン・ウェスレーがいなければ、その後のキリスト教の歴史は大きく変わっていたであろう。

内村鑑三は、19211月から翌年10月まで(61歳から62歳にかけて)、60回にわたって大手町でロマ書のメッセージを講演した。彼は明治から大正にかけて日本に大きな影響を与えた。

2.    ローマ人への手紙の現代的意義(49分59秒〜)

パリサイ派の学びをしたラビであるパウロが書いたロマ書は、ユダヤ的文書である。よって、ロマ書には随所にラビ的論法やパリサイ派のラビとして学んできたことの表現が出てくる。そのことを理解していなければ、ロマ書を解き明かすことは難しい。その点、現代はユダヤ的視点が回復されてきているため、内村鑑三の時代に比べ、アドバンテージがある。

次に、ロマ書の執筆目的としての、「ユダヤ人信者と異邦人信者の対立の解決」という視点が現代になって浮き彫りになった。ペンテコステの日に救われたユダヤ人信者がローマに帰還して伝道したことで誕生したローマの家の教会であるが、紀元49年に皇帝クラウデオがユダヤ人をローマから追放したことでユダヤ人信者がいなくなった。その中にパウロの同労者となるアクラとプリスキラがいた。こうしてローマ教会は異邦人信者が中心となった。その後、迫害が弱まり、多くのユダヤ人信者がローマに帰還したが、彼らは大多数を占める異邦信者と意見が合わないだけでなく、社会的・神学的にも対立するようになった。パウロはその解決策としてロマ書を提示した。現代においては、数が増えてきたメシアニックジューと異邦人教会の間に神学的壁、溝が出来つつある。それに対してロマ書が明確な解決案を示してくれることを期待しなければならない時代になってきた。

現代は、紀元1世紀のユダヤ教について以前より遥かに情報を持つようになった。ルーター、カルバン、ツゥイングリをはじめとする宗教改革者たちは、ロマ書を「個人の救い=信仰義認」(人は信仰により恵みにより救われるという教え)を教える書簡として理解し、発展させてきた。そして、パウロは律法主義的ユダヤ教(律法を守ることによって救われるという教え)と戦っていたという解釈が今までの常識だった。しかし、紀元1世紀のユダヤ人たちは、「律法を守ることによって救われる」とは信じておらず、「ユダヤ人(アブラハムの子孫)であれば救われる」と信じていた。それが紀元1世紀のパリサイ派の神学であった。彼らが律法を守るのは、選ばれた神の民としての地位を守るため、あるいは、天国での地位を保証するためであった。山上の垂訓での「広い門」とは「ユダヤ人であること」であり、「狭い門」とは「信仰によって救われること」として対比されている。パリサイ派のラビであり、自らはユダヤ人であるが故に既に救われていると信じていたニコデモに対し、イエス・キリストは「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」と言われた。ここからも、紀元1世紀のユダヤ教では律法を守ることによって救われるとは思っていないことが分かる。パウロは律法主義と闘っていたのではなく、「救いはイスラエルに限定されており、異邦人と分かち合うものではない」というユダヤ教の『排他主義』であった。これが、パウロがロマ書で展開している教理であり、現代的課題である。

ロマ書の中心的テーマは、個人的救いではなく、信仰義認でもなく、『神の義の啓示』である。福音は、初めにユダヤ人に提示され、次に異邦人に提示された。そして神の義の本質的な内容は、「信仰による義」である。これがパウロの論理である。

 

以上

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