結論(50分03秒〜)
1.パウロの自己認識は、神の代理人(シャリアハ)である。
パウロの関心は、神の義がいかに啓示されたかを伝えることにある。もし、私たち異邦人が救いの外に置かれているなら、神の義がなったとは言えない。異邦人が救われることは、神の義が実現することである。これが、パウロが神の代理人として一番考えていたことである。
2.パウロは、旧約聖書に啓示されていた神の義を認識していた。
旧約聖書に既に神の義が啓示されている。つまり、異邦人も救われるという義が啓示されていて、パウロはパリサイ人であるから、そんなことは幼い頃から学んできたはずであるが、暗記はしていても、そこまでは目が開かれていなかった。しかし、イエス・キリストとパウロが出会った時に、イエス・キリストご自身が旧約聖書をパウロに解き明かしたのであろう。
「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う」(創49:10)(ヤコブの預言)
シロとはメシアのことであり、国々の民とは異邦人のことである。ここで、ユダ部族からメシアが出て、異邦人がメシアに従うと書かれている。神の義が創世記で既に啓示されているが、パリサイ的ユダヤ教ではこれが見えていない。
「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える』」(詩2:7〜8)(メシア的詩篇)
これは父なる神が御子(メシア)に語っている。「国々」とは異邦人のことである。旧約聖書の詩篇の代表的なメシア的詩篇で既に、異邦人がメシアの民となることが預言されている。
かつてのパウロの目、パリサイ的ユダヤ教の目にはこの真理が隠されていたが、目に見えるようになった。
3.新約時代になって啓示された「奥義」がある。
パウロはこの手紙全体を通して、神の代理人として、神の計画の全貌を開示しようとしている。この奥義の内容の要約は次のとおりである。イスラエルの民はメシアが到来した時につまずいた。これは旧約聖書に預言されている異邦人の救いが起こり、神の義がどのように成り立つのかという神の計画のことを言っている。イスラエルの民がつまずいた結果、異邦人に救いが伝わった。それは、アブラハム契約というオリーブの木の幹に私たちが接木されたということである。異邦人が救われた時に、それを見て、イスラエルの民が妬みを起こすのである。だから、私たち異邦人の使命は、イスラエルの民に妬みを起こさせることである。そして最後、イスラエルの民が民族的に救われる。これが新約時代になってパウロに啓示された奥義の内容である。
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ロマ1:16〜17)
これがロマ書のテーマである。福音というのは神の義である。異邦人もユダヤ人も救われる。それを信じた時に、その理解が深まれば深まるほど、理解した人は信仰から信仰へと導かれていく。ここにポイントがある。信仰が深くなるためには、どうしたら良いか。神の義の内容を理解して、それに感動した時に、応答する信仰が出てくる。自然に神が信仰を育ててくださるのである。聖書研究を通して霊的覚醒が起こるという源泉がここにある。
以上