旧約聖書におけるメシア預言
レジュメ(1)2025年5/24
聖書の奥深さを垣間見ることができます。
2007年フルクテンバウム博士セミナー
『旧約聖書におけるメシア預言』
THE MESSIAH OF THE OLD TESTAMENT
(テキスト)
ご購入はこちらから(CD)(テキスト)
レジュメもくじ
フルクテンバウム博士のメッセージを
中川健一牧師がわかり易く通訳してくださった
セミナーの内容を基に作成しています。
以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句箇所です
(セミナーでは新改訳3を使用しているので説明文では新改訳3)
(このHPでの引用聖句は原則 口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
「新共同訳」とは聖書 新共同訳©共同訳聖書実行委員会j
「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です
黒色の文章がセミナーの説明文
緑色の文章はHP編者による補足説明
紫色の聖句は引用聖句や参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version ASV)
茶色の文章はDr. Arnold G. Fruchtenbaum『A MESSIANIC BIBLE STUDY FROM ARIEL MINISTRIES』MBS012 THE MESSIAH OF THE OLD TESTAMENT翻訳メモからの補足説明です
興味のある箇所はリンク先もご覧になってみてください。
紙の聖書「新改訳2017」はこちらをどうぞ
旧約聖書におけるメシア預言
イントロダクション
イザ 7:14 それゆえ、
主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。
見よ、
おとめがみごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルととなえられる。
セミナーテキスト1ページ(3/15)
イントロダクション
INTRODUCTION
今回の学びの内容
旧約聖書で
メシアに関する預言がどのように語られてきたか
私たちは普通新約聖書をとおしてイエスキリストが約束のメシアであると学び証明しようとする
それと同じことが旧約聖書をとおしてもすることができる
使徒行伝の中に
使徒たちは全地を行き巡り聖書を用いてイエスがメシアであることを証明したという表現があったとすると
その聖書を用いてという聖書は
新約聖書ではなく旧約聖書
新約聖書が未だ書かれていない時代
ヨハネ3:16を引用しようにもそれ自体が存在していない時代
ユダヤ人伝道においては旧約聖書からイエスのメシア性を証明できなかったら新約聖書には入っていけない
だからまずイエスの弟子たちがイエスのメシア性を証明するのに旧約聖書を用いて説明したところから学びを開始したい
A. 新約聖書における
このテーマの扱い方
ルカ24:25~27、44~48
ルカ 24:25 そこでイエスが言われた
「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
24:26 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
24:27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
エマオ途上の弟子たちとイエスの会話
25節
イエスはこう言っている
「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
(以下説明文内の聖句はすべて新改訳3)
イエスの弟子たちはイエスが裁判にかかりそして十字架にかけられたことに非常に驚いた
そういったことが何も予告されていなかったかのように驚いたのだが
26節
キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。
と復活のイエスがおっしゃっている
つまり旧約聖書に預言されていたということ
27節
メシアが十字架にかかり死にそして復活する
メシアが死んだということはイエスのメシア性を否定するのではなく逆にそれを証明している
そのことは旧約聖書全部に預言されていたと
復活のイエスがおっしゃっている
同じことを44~46節で主がなさっている
ルカ 24:44 それから彼らに対して言われた、
「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。
すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。
24:45 そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて24:46 言われた、
「こう、しるしてある。
キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。
ヘブル語旧約聖書は三つの部分に普通区分される
①律法と呼ばれる部分
②預言者或いは預言書と呼ばれる部分
③諸書
44節
ここでイエスさまはモーセの律法と預言者と詩篇
この詩篇とは諸書に出てくる一番冒頭の書なので諸書の代わりに詩篇という言葉がでている
旧約聖書の3区分を全部用いてメシアに起こったことは全部預言され成就されることだと説明している
45節
ルカ 24:45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
ここで言う聖書とは旧約聖書のこと
46節
その聖書の中にはキリストが死ぬこと3日目に
よみがえることが預言されているという説明
福音書の中でよみがえりのイエスがなさったのと同じことを使徒たちもまた使徒行伝の中で行うようになる
使徒8:26~39
使 8:26 しかし、主の使がピリポにむかって言った、
「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」
(このガザは、今は荒れはてている)。
8:27 そこで、彼は立って出かけた。
すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、
8:28 その帰途についていたところであった。
彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
8:29 御霊がピリポに
「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」
と言った。
8:30 そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、
「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」
と尋ねた。
8:31 彼は
「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」
と答えた。
そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。
8:32 彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、
「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、
また、黙々として、
毛を刈る者の前に立つ小羊のように、
口を開かない。
8:33 彼は、いやしめられて、
そのさばきも行われなかった。
だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、
彼の命が地上から取り去られているからには」。
8:34 宦官はピリポにむかって言った、
「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。
自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。
8:35 そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。
8:36 道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、
「ここに水があります。
わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。
8:37 〔これに対して、ピリポは、
「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」
と言った。
すると、彼は
「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」
と答えた。〕
8:38 そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
8:39 ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。
宦官はよろこびながら旅をつづけた。
エチオピアの宦官がエルサレムから母国に帰る途中で馬車の上でイザヤ書53章を読んでいる箇所
35節
伝道者ピリポは口を開き、この聖句から始めて、
つまりイザヤ書53章から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。と書かれてある
伝道者ピリポがイザヤ書から始めてイエスのメシア性を証明した箇所
使徒17:1~4
使 17:1 一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。
ここにはユダヤ人の会堂があった。
17:2 パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、17:3 キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。
17:4 ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。
その中には、信心深いギリシヤ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。
パウロがテサロニケに行って伝道しているところ
2節
聖書に基づいて彼らと論じた。とある
ここでパウロが使っている聖書とは旧約
未だ新約はできていない
3節
キリストの受難と復活は旧約聖書に預言されていたことで必ず成就しなければならない内容である
イエスこそメシアである
という結論をパウロは導き出している
アポロという人をみてみよう
使徒18:27~28
使 18:27 それから、アポロがアカヤに渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、先方の弟子たちに、彼をよく迎えるようにと、手紙を書き送った。
彼は到着して、すでにめぐみによって信者になっていた人たちに、大いに力になった。
18:28 彼はイエスがキリストであることを、聖書に基いて示し、公然と、ユダヤ人たちを激しい語調で論破したからである。
彼は聖書によって、イエスがキリスト
キリストというのはメシア(救い主)という意味
イエスがメシアであることを証明して、力強く公然とユダヤ人たちを論破したとある
ここでもアポロは旧約聖書を使っている
聖書と書かれてあるとこの時代は旧約聖書のこと
最後の例
使徒28:23
使 28:23 そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。
パウロがローマに行きローマの獄中で伝道してるところ
モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。
パウロは朝から晩まで語り続けた。とある
今見たように新約聖書では
イエスも弟子たちも旧約を用いてイエスのメシア性を証明しようとしている
この学びのゴールは私たちも同じことをすること
B.メシア預言の四類型
メシア預言を四つに分類した
1.初臨のみ
第一番目の類型はイエスキリストの初臨
英語ではfirst coming
イエスキリストの初臨について預言してある箇所
イエスが赤子として誕生しそして公生涯を終え十字架に
かかり墓に葬られ3日目によみがえった
その一連の出来事のことをまとめて初臨と言う
ミカ書5:2
ミカ 5:2 しかしベツレヘム・エフラタよ、
あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、
イスラエルを治める者があなたのうちから
わたしのために出る。
その出るのは昔から、いにしえの日からである。
預言者ミカはメシアがベツレヘムで生まれることを預言している
初臨がこのメシア預言という学びで
私たちが取り扱うテーマ
2.再臨のみ
第二の類型は
キリストの再臨のみを預言している聖句
イザヤ書63:1~6
イザ 63:1 「このエドムから来る者、
深紅の衣を着て、ボズラから来る者はだれか。
その装いは、はなやかに、
大いなる力をもって進み来る者はだれか」。
「義をもって語り、救を施す力あるわたしがそれだ」。
63:2 「何ゆえあなたの装いは赤く、
あなたの衣は酒ぶねを踏む者のように赤いのか」。
63:3 「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。
もろもろの民のなかに、
わたしと事を共にする者はなかった。
わたしは怒りによって彼らを踏み、
憤りによって彼らを踏みにじったので、
彼らの血がわが衣にふりかかり、
わが装いをことごとく汚した。
63:4 報復の日がわが心のうちにあり、
わがあがないの年が来たからである。
63:5 わたしは見たけれども、助ける者はなく、
怪しんだけれども、ささえる者はなかった。
それゆえ、わがかいながわたしを勝たせ、
わが憤りがわたしをささえた。
63:6 わたしは怒りによって、もろもろの民を踏みにじり、
憤りによって彼らを酔わせ、
彼らの血を、地に流れさせた」。
この再臨のテーマに関してはまた別のセミナーで扱う
(黙19:11~13参照)
3.初臨と再臨
三番目の類型は
初臨と再臨が同時に預言されている
隣り合わせに預言されているがその間にどれ位の時間の
ギャップがあるかが明確に描かれていない場合
初臨と再臨が一緒に出てくる預言がある
初臨と再臨のあいだに時間があるというのは
他の預言の箇所からわかること
この部分だけを見てもわからない
(フォーラム参加者よりClarence Larkinの素晴らしいイラストが紹介されました。)
ゼカリヤ書9:9~10
ゼカ 9:9 シオンの娘よ、大いに喜べ、
エルサレムの娘よ、呼ばわれ。
見よ、あなたの王はあなたの所に来る。
彼は義なる者であって勝利を得、
柔和であって、ろばに乗る。
すなわち、ろばの子である子馬に乗る。
9:10 わたしはエフライムから戦車を断ち、
エルサレムから軍馬を断つ。
また、いくさ弓も断たれる。
彼は国々の民に平和を告げ、
その政治は海から海に及び、
大川から地の果にまで及ぶ。
9節
メシアがろばの子に乗ってエルサレムに入城するというこの預言は初臨の時に成就した
10節
メシアがエルサレムに入ると
全ての戦争の為の武器が取り去られるという預言で
初臨ではなく再臨がなければ成就しない預言
初臨の時には戦争はなくならなかった
武器が全部取り去られて平和になるとは
再臨の時にのみ起こる出来事
ゼカリヤ書9:9~10は初臨と再臨がすぐ隣同志にくっついて出てくる預言だが
ここを読んでいるだけではその間に時間の経過があるということが判断できない
それは他の箇所から判断しなければならない
実はこのゼカリヤ書以外にもかなりの数
初臨と再臨が一緒になっている預言が旧約聖書にはでてくる
4.贖いの業のすべて
四番目の類型は
主の贖いの業のすべてをカバーしている預言
どういうものを含んでいるかというと
①初臨に関する預言
②初臨の後時間の経過があると告知されている
③その後で再臨があると予告されている
④再臨のあとでメシア的王国(千年王国)が確立されるという予告がある
詩篇110篇
[ 110 ]
ダビデの歌
詩 110:1 主はわが主に言われる、
「わたしがあなたのもろもろの敵を
あなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。
110:2 主はあなたの力あるつえをシオンから出される。
あなたはもろもろの敵のなかで治めよ。
110:3 あなたの民は、あなたがその軍勢を
聖なる山々に導く日に
心から喜んでおのれをささげるであろう。
あなたの若者は朝の胎から出る露のように
あなたに来るであろう。
110:4 主は誓いを立てて、み心を変えられることはない、
「あなたはメルキゼデクの位にしたがって
とこしえに祭司である」。
110:5 主はあなたの右におられて、
その怒りの日に王たちを打ち破られる。
110:6 主はもろもろの国のなかでさばきを行い、
しかばねをもって満たし、
広い地を治める首領たちを打ち破られる。
110:7 彼は道のほとりの川からくんで飲み、
それによって、そのこうべをあげるであろう。
これは今言った
初臨そして
時間の経過(インターバル)
再臨
メシア的王国
という四つの要素を全部含んでいる預言
メシア預言には四類型がある
ただしこのセミナーではこの四類型の中のおもにこの一番目の初臨のみを扱う
C.重要性
今から学ぼうとしているこのテーマがなぜそんなに重要なのかを確認してみよう
単純化を避けるために
旧約聖書が教えていること教えてないことをしっかりと区分けする必要がある
つまり物事を単純化してはいけないということ
単純化の例2つ)
①私がイエスさまを信じて救われた当時いろいろな教師から
イエスキリストの初臨は旧約聖書の300以上の預言を成就した出来事であると繰り返し聞いていた
しかしその300以上の預言がどれなのかというリストアップはしていない
300以上とは単純化あるいは誇張した数字で
実際にカウントしてみると50から60位の預言が成就したと言うべき
それだけで大変な数なので更に数字を誇張して言う必要はない
②旧約時代の人々がどのようにして救われたかということに関して
旧約聖書はメシアの死を待ち望み新約聖書はメシアの死を振り返っているという言い方をする
これもまた単純化であり事実を言い当ててはいない
新約聖書は一世代の間に完了した書だが
旧約聖書は始まりから完成までに何千年間かかかっている
神さまは一挙に啓示を与えたのではなく
長い時間に渡り少しずつ必要な量だけ啓示を与え積み重ねていかれた
これを漸進的啓示ぜんしんてきけいじと言う
漸進的 徐々に進むということ
その時代の人たちが救いに関して或いは神さまに関してどの程度の知識があったかというのは
その時代に啓示がどれ位与えられていたかによって決まる
メシアが私たちの罪のために死んでくださるという預言が最初にあらわれるのはいつか
イザヤ書53章
イザヤ書53章が書かれる前に人類の歴史は長い時間が経過していて
メシアに関する預言はいくつも与えられているが
メシアが人類の罪の為に死ぬという預言は
そこで初めて与えられた
ではアブラハムは救われるために何を信じなければいけなかったのだろうか?
創世記15:6
創 15:6 アブラムは主を信じた。
主はこれを彼の義と認められた。
Gen 15:6 And he believed in Jehovah; and he reckoned it to him for righteousness.
アブラハムはメシアが人類の罪の為に来られて死んでくださることを信じたから救われたのではない
アブラハムが信じた信仰の内容
アブラハム契約によって神がその時代に約束されたこと
神さまはイスラエルを祭司の国として召し
イスラエルを通して神の知識を全世界に広げるように計画なさった
その神さまの計画の内容を信じるということがその時代の人たちの信仰
イザヤ書43:10~12に彼等が信じなければいけない内容が書かれてある
イザ 43:10 主は言われる、「あなたがたはわが証人、
わたしが選んだわがしもべである。
それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、
わたしが主であることを悟ることができる。
わたしより前に造られた神はなく、
わたしより後にもない。
43:11 ただわたしのみ主である。
わたしのほかに救う者はいない。
43:12 わたしはさきに告げ、かつ救い、かつ聞かせた。
あなたがたのうちには、ほかの神はなかった。
あなたがたはわが証人である」と主は言われる。
①
イスラエルの神ヤハウェが唯一の神であること
もしそれを信じることができたら
偶像礼拝や多神教からは解放される
②
この方だけが救い主であること
もしそれを信じることができたら
自分のわざで自分を救おうという努力がむなしいことが理解される
この二つを信じたら永遠のいのちが与えられた
イザヤ書53章が書かれるまでは
メシアが人類の罪のために死んでくださる
という考え方は未だ知らされていなかった
だからこの学びの一つの目的は旧約聖書が教えているメシア預言を単純化して考えないようにということ
再臨に関する預言を解釈するために
もう一つ目的としていることは将来に起こることつまりメシアの再臨の預言をより良く理解し解釈できるようにするためにこの学びをする
旧約聖書のメシアの初臨の預言は文字どおり字義どおりにそのまま成就しているので
それらの預言を比喩的に解釈してはならないということがわかる
ユダヤ人伝道のために
ユダヤ人伝道をしていると
ユダヤ人にイエスがメシアであると証明するのは
まさに旧約聖書のメシア預言が文字どおり成就したと示せなかったら伝道できない
初臨に関する預言が全部文字通りに成就したのだから
再臨に関する預言も文字どおりに成就するんだという確信に導かれていく
再臨が文字通り起こると信じられない人たち
それを比ゆ的に解釈しようとする人たちは実はイエスのメシア性をその人自身が拒否しているということになる
異邦人伝道する時には即ヨハネ3:16を開けてそこから福音を説明できる
しかしユダヤ人の場合は最初から新約聖書を信頼していないので
新約ではなく旧約聖書を開かなければならない
まず旧約聖書を開いて
旧約預言によればどういうメシアが来ると描写されているかを綿密に提示する必要がある
そして新約を開いて
旧約聖書で預言されイスラエル人たちが期待していたメシア像がイエス(が語ったこと行ったこと)によって成就しているかどうかあなたはどう思うかというチャレンジをして初めてユダヤ人伝道が行われる
今日多くのユダヤ人は正統派のユダヤ教徒ではなくむしろ世俗的なユダヤ人が多いことは事実
そして多くのユダヤ人が旧約聖書の歴史性や旧約聖書が霊感を受けて正確に書かれている本であることを否定するのも事実
しかし世俗的なユダヤ人であっても
旧約聖書はユダヤ人の本であり
或る種の尊敬を持ってこの本を扱わなければいけないという感覚は持っている
だからそのような世俗的なユダヤ人に伝道する場合でも旧約聖書を用いることはかなりの武器になる
多くのメシア預言は旧約聖書のあちこちに散らばっている
今取り上げているテーマを最初から最後まで全部カバーしようとするとニューヨーク州で私が行っているキャンプでは英語だけで15時間かかる
ということは通訳を入れると30時間
一日6時間やると5日間で日本でやると1週間のセミナーになってしまう。
このようなセッティング(1日)でセミナーをする場合は当然重要なものだけをピックアップしてやるということになる
そこで2つのことを考えている
最初に「Ⅰ.律法」
モーセの律法モーセ五書にあるメシア預言を全部カバーしようと思う
そんなに数が多くないのでカバーする時間がある
2つ目に「Ⅱ.預言書」
預言者の中では一番重要なイザヤだけを取り上げる
イザヤはメシアに関して
特にメシアの受難またメシアの再臨に関して一番多く預言した預言者
イザヤの預言は多岐に渡るので特に大事なイザヤ書7章及びイザヤ書52~53章を取り上げたい
英語が読める方でメシア預言のすべてをカバーしたいという方へ
2.5kgの分厚い本がある
お読みになるといいと思う
メシア預言(2)2025年6/14へ
Ⅰ.律法 A.「女の子孫」創3:15
このセミナーの内容はこの本に書かれています。
アーノルド・フルクテンバウム博士著/佐野剛史訳
『メシア的キリスト論ー旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯ー』
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ出版部