練馬桜台聖書フォーラム

悪霊論 レジュメ(13)2023年 11/25

2023.11.26

カテゴリー:お知らせ, 天使論、サタン論、悪霊論, 学び

天使論、サタン論、悪霊論レジュメ
(36
)改め
悪霊論(13)2023年11
/25

 

信者にある4つの責任とは 霊を見分け オカルトから離れ 悪霊に関わっている人と交わらず 神の武具を身に着ける
霊の戦いとは、みことばの学びを継続し 生活に
それを適用するということ

 

2010年フルクテンバウム博士セミナー『天使論、サタン論、悪霊論テキスト) を学んでいます。
ご購入はこちらから(CD8枚組)(MP3版)(テキストのみ
DVD8枚組は販売終了)

 

レジュメもくじ

前回のレジュメ

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下
青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です。
(但し、ここでは口語訳聖書 旧約聖書1955年改訳 新約聖書1954年改訳 日本聖書協会 を使用しています)
「新改訳3」とは聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会 

「新改訳2017」とは聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 からの引用です。
紫色の聖句はセミナーでは言及されなかったがテキストにある参考聖句
(英語訳は基本American Standard Version  ASVです。)
黒色の文章がセミナーの説明文

緑色の文章はHP編者による補足説明
茶色の文章Dr.Arnold G. Fruchtenbaum 『A Messianic Bible Study from Ariel Ministries』
MBS082 Demonology :  The Doctrine of Demons からの補足説明です。

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

紙の聖書「新改訳2017」こちらをどうぞ

 

 

 

悪霊論

 

イントロダクション
Ⅰ.悪霊の存在     

Ⅱ.悪霊の呼び名     
Ⅲ.悪霊の人格     
Ⅳ.悪霊の起源     
Ⅴ.悪霊の数    
Ⅵ.悪霊の組織     
Ⅶ.悪霊の特徴 
Ⅷ.悪霊の活動      
Ⅸ.悪霊の支配     
Ⅹ.悪霊と信者
Ⅺ.悪霊の将来の活動
Ⅻ.悪霊の運命

 

 

セミナーテキスト21ページ(71/75)

 

悪霊と信者

DEMONISM AND THE BELIEVER

 

 

アウトライン(セミナーテキスト)以外にいくつかの事を追加したいと思う
悪霊と信者の関係において4つの点に注目すべきである。

 

 

A.悪霊は聖徒に敵対する。

Demons Oppose the Saints

 

悪霊は聖徒に敵対すると常に覚えておこう
悪霊の聖徒への絶え間ない敵対は3つのあり方でみられる。

 

①一般的な敵対

 

直接敵対がくる場合がある
エペソ6:12
エペ 6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

 

未信者を通して攻撃がくる場合がある
エペソ2:2
エペ 2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。

 

 

②特定の個人への敵対

 

エペソ2:3
エペ 2:3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。

 

 

地域教会への敵対

 

黙示録2:24
黙 2:24 また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。
わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。

 

 

 

 

B.神は悪霊を用いる。

God Uses Demons

 

神さまは私たちが霊的に成長するために悪霊が外から攻撃することを許される場合がある

第二コリント12:7
二コリ 12:7 そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。
それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。

パウロが悪魔の使いによって攻撃を受ける
それは肉体的な病であった
神さまはその攻撃をお許しになったが目的はパウロを謙遜にするためと学んだ

(肉体的病はすべてが悪霊によるわけでもなく、むしろ神のみわざが現れるためである場合もあると思います。
ヨハ  9:2 弟子たちはイエスに尋ねて言った、
「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。
本人ですか、それともその両親ですか」。

9:3 イエスは答えられた、
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。

ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。

 

 

 

 

C.悪霊は十字架で敗北した。

Demons Were Defeated at the Cross

 

悪霊どもは今も動いているが本質的には十字架によって敗北した存在

コロサイ書2:15
コロ 2:15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

 

彼らは私たち信者に対しては何の権威も持っていない
もし私たちが同意するなら悪霊は動くが同意しなくてはならないという理由は何もない
今もまた将来も彼らには何の権威もなく
最終的には火の池に投げ込まれる

 

 

 

 

セミナーテキスト22ページ

D.信者には責任がある。

Believers Have Responsibilities:

 

4つの責任

①霊を見分ける。

 

霊を見分けるテストの方法が3種類あった
受肉の否定、メシアが主であることの否定、メシアの血への反発、
は悪霊からのもの

第一ヨハネ4:1~4
一ヨハ 4:1 愛する者たちよ。
すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。

多くのにせ預言者が世に出てきているからである。
4:2 あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。
すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、4:3 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。
これは、反キリストの霊である。
あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。
4:4 子たちよ。
あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。
あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。

 

 

 

②オカルトから分離する。


オカルトの世界に問いかけてそこから助けを
得ようとすることがあってはならない

レビ 19:31 あなたがたは口寄せ、または占い師のもとにおもむいてはならない
彼らに問うて汚されてはならない。
わたしはあなたがたの神、主である。

 

18:9 あなたの神、主が賜わる地にはいったならば、その国々の民の憎むべき事を習いおこなってはならない。
18:10 あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。
また占いをする者、卜者、易者、魔法使、18:11 呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。
18:12 主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。
そしてこれらの憎むべき事のゆえにあなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。
18:13 あなたの神、主の前にあなたは全き者でなければならない。
18:14 あなたが追い払うかの国々の民は卜者、占いをする者に聞き従うからである。
しかし、あなたには、あなたの神、主はそうする事を許されない。

 

イザ 8:19 人々があなたがたにむかって
「さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ」
という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。
生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。

 

 

 

③悪霊にかかわっている人と
交わらない。

 

悪霊の働きに関わっている人と交流しないということ

一コリ 10:20 そうではない。
人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。
わたしは、あなたがたが悪霊の仲間になることを望まない。

 

 

 

④神の武具を身につける。
聖書。

 

神の武具についてもう少し広げて話をしたい
新約聖書の記者たち或いは使徒たちが霊的戦いをする時に今から言う方法はとっていない

サタンや悪霊を縛ったり解いたりして回っているということは一つも例がない
私たちは聖書の例に従わなければならない
霊の武具と称してかぶとをつけたり胸当てをつけたりという儀式を行っている聖書の例も一箇所もない
今日いろいろなあまりにも多くの教会でそのような儀式的な霊の戦いが教えられているが聖書的根拠はない

 

聖書が使っている中心的な言葉は
立ち向かう 或いは抵抗するという意味のギリシャ語

これに関連した3つの重要な聖句を開け
その後でそれ以外のものを見てみたいと思う

 

 

ヤコブ書4章

2つのことが命じられている

ヤコブ書4:7
ヤコブ 4:7 そういうわけだから、神に従いなさい。
そして、悪魔に立ちむかいなさい。
そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。


ですから、神に従いなさい。(新改訳3)

罪を犯した時は神に敵対している

神に従うとは
罪を犯した時には第一ヨハネ1:9が教えているように
自らの罪を告白をして聖めを受けること
一ヨハ 1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

 


そして、悪魔に立ち向かいなさい。(新改訳3)

その「立ち向かう」というのがどういう意味なのか

 

聖書が教える霊的戦いとはこの立ち向かうということ

そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(新改訳3)と約束されている

しかし悪魔が逃げたとしてもそれは一時的で必ず戻ってくる
イエスさまは3度サタンの誘惑にあい3回ともそれぞれの方法でサタンを退けた
ルカによれば悪魔は一時的にイエスから離れた
ルカ 4:13 誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。
しばらくの間という言葉 for a season が付け加えられている
私たちが霊的な戦いに勝利するとは 期間的に長く続く霊の戦いの歩みの中の一局面の勝利でしかない
どれだけ悪魔に勝利したと言ってもこの地上で生きている限り必ず悪魔は再び戻ってくる

 

 

 

第一ペテロ5章

1ペテロ5:8
一ペテ 5:8 身を慎み、目をさましていなさい。
あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
5:9 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。
あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。

身を慎み、目をさましていなさい。
悪魔が歩き回っているから
この歩き回っている悪魔はほえたけるしし
食いつくすべきものを探し求め(新改訳3)ている獅子

どのように応答したらいいのか?
この悪魔に立ち向かいなさい。(新改訳3)と言われている

私たちが通過する戦いは他の信仰者が既に過去に通過したあるいは今も闘っている戦いでもある

一コリ 10:13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

 

 

ここまで読んでわかることは
ヤコブもペテロも立ち向かえと教えているが
どのように立ち向かったらいいかについては教えていない
それはその読者が既にその方法を知っていたから

 

 

 

エペソ6章

エペソ6章では立ち向かえという言葉が3度にわたって使われる
6:10~18


エペ 6:10
最後に言う。
主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。

パウロはある言葉を専門用語として使うことがある
例)
キリストにあって
イエスにあって
キリスト・イエスにあって
イエス・キリストにあって
この方にあって
何何されたお方にあって

ここでは
主にあって
in the Lord

人は信じた時に聖霊によりバプテスマされメシアのからだの一員になる
その状態を表現するのにパウロは前置詞を使い
主にあって In the Loadという言い方をする

 

第一コリント12:13
一コリ 12:13 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。

私たちは信じた時に聖霊によってメシアのからだの一員としてバプテスマされていると教えている
その結果私たちにはある種の力と権威が神から与えられている
それが神学用語で言う「位置的真理
それは「私たちが何者か」ということではなく
メシアを信じた結果「メシアのうちにあって何者になっているか」と言う真理のこと

イエスキリストを信じた時に私たちはメシアのうちにある者となった
それに関して33の特権が与えられている
主にあって強められる秘訣は
イエスキリストを信じた人が実は33の特権を頂いていると認識すること

自分で聖書研究をして in Christ キリストにあって 主にあって という言葉を一つ一つ拾っていくと33見つかるはず

2011年フルクテンバウムセミナー『聖書が教える救いとは』(てキスト)の後半が「33の事項:位置的真理に関する学び

神のすべての武具を身に着けるとは、キリストにあるという信者の位置的真理を理解することを意味する。
キリストにある自分の位置を学び覚えることが、それに伴う権威を理解し適用するために肝要なことである。

 

 

エペソの6章にかえる

エペ6:11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。

Eph 6:11 Put on the whole armor of God, that you may be able to stand against the wiles of the devil.

神のすべての武具を身に着けなさい。(新改訳3)とある。
その武具が何であるかが13節以降に出てくる
その武具を着ける理由は悪霊の邪悪な業に対抗するため

この箇所でパウロが3度立ち向かうという言葉を使っている

 

6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

エペ 6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(新改訳3)

 

6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。

Eph  6:13 Wherefore take up the whole armor of God, that you may be able to withstand in the evil day, and, having done all, to stand.

神のすべての武具をとりなさい。(新改訳3)と勧められている
2回目の対抗できる(新改訳3)という言葉が出ている

 

6:14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、

では、しっかりと立ちなさい。(新改訳3)
Stand therefore,

3回目の対抗するという言葉が出ている

 

6:15 平和の福音の備えを足にはき、 6:16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。
それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
6:17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。

14~17節で様々な御霊の武器がリストアップされている
普通注解書を見るとこの武具がローマの兵士にとって一つ一つどういう意味があり どういう役割を果たしたかという解説が並んでいる
しかしそれはパウロが言いたい論点を言い当てたことにはならない
実はこの武具として挙げられている一つひとつのものは一つの例外を除いて旧約聖書の言葉からの引用

つまり神の武具を身につけるとは儀式をやることではなく
神の言葉を学びそれを適用するということ

知識はそれを得た人を傲慢にする
しかし知らないものを実践することも不可能
よってみ言葉を学ぶことと日々の生活にそれを適用することの二つが非常に重要になってくる

イエスさまが誘惑を受けた時はまさにそれが起こっていた
一つひとつの誘惑の言葉にイエスさまはどのように応答されたか?
イエスさまは一つひとつの誘惑に対して最もふさわしい言葉を引用してサタンを退けている
それが霊の戦いに勝つ秘訣

つまり聖書研究を熱心にし それを適用することが大事だということ

もし問題が起こったらそれに関して書いてある聖書の箇所を開きそれを適用すること

 

6:18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。

どんなときにも御霊によって祈りなさい。(新改訳3)と勧められている
私たちが通過している苦難はほかの聖徒達も通過しているから
一コリ 10:13(上述)

 

 

人々が霊の戦いに勝利できない大きな理由は聖書研究とその適用のための時間を
自分にとって無い
から

 

 

 

 

霊的戦いにおいてみことばがどれほど大事かを見ていこう
ここからはセミナーテキストに書かれていないことです。

旧約聖書

 

イザヤ書8:16~

イザヤはここで信仰を持ったユダヤ人と不信仰なユダヤ人の区別を論じている


イザヤ書8:16
イザ 8:16 わたしは、あかしを一つにまとめ、をわが弟子たちのうちに封じておこう。

弟子たちは神の言葉を信じた。
あかし: 預言者たちの証しのこと
: モーセの律法のこと
イスラエルのまことの信仰者たちはその時代に与えられていた啓示の言葉を信じそれを学んだ

 

しかし信者でない人たちは別のところに答えを求めていった
イザヤ書8:19、20
8:19 人々があなたがたにむかって「さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ」という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。
生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。

未信者或るいはイスラエルの不信仰な人々はオカルト的な方法で真理を見つけようと動いている

 

信者は書かれた神のことばにたずねなければならない
8:20a  ただあかしとに求めよ。

教: モーセの律法
あかし: 預言者たちの証

 

8:20b まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。
8:20b もし、このことばに従って語らなければ、その人には夜明けがない。(新改訳3)

焦点は書かれた神の言葉

 

 

 

イザヤ書29章

 

ここでイザヤが言っているのは
もし神のみことばを長期間に渡り無視しているならこのような悲しい結果になるという警告

イザヤ書29:9~12
イザ 29:9 あなたがたは知覚を失って気が遠くなれ、
目がくらんで見えなくなれ。
あなたがたは酔っていよ、しかし酒のゆえではない、
よろめけ、しかし濃き酒のゆえではない。
29:10 主が深い眠りの霊をあなたがたの上にそそぎ、
あなたがたの目である預言者を閉じこめ、
あなたがたの頭である先見者を
おおわれたからである。

彼らは目が見えなくなる 酔う しかしそれはぶどう酒に酔っているのではない
預言者たちの言葉をあまりにも無視してきたので神が深い眠りの霊を注いだ
その結果預言者の言葉を理解できなくなった

 

29:11 それゆえ、このすべての幻は、あなたがたには封じた書物の言葉のようになり、人々はこれを読むことのできる者にわたして、「これを読んでください」と言えば、「これは封じてあるから読むことができない」と彼は言う。

神が与えた幻は封じられた書物のようになり それを読める人解き明かすことができる人がいなくなると言う

 

29:12 またその書物を読むことのできない者にわたして、「これを読んでください」と言えば、「読むことはできない」と彼は言う。

書物が開かれて読んでくださいと言われても読み書きができないという答えしか返ってこない
神が彼らの上に深い眠りの霊を注いだために神の言葉をもはや理解できなくなったから

もし長い時間神の言葉を無視し続けるなら結果として支払うべき代価がともなってくるということ

 

 

 

 

新約聖書

「これもノートにありません。皆さんが熱心に学んでいるので、サービスをしてくれてるんでしょう。」

 

第一コリント4:6

 

新約聖書の中で最もペンテコステ的教会はコリント教会だと皆さんご存知ですね
また新約で最悪の教会もコリントの教会
聖霊の賜物を強調してはいたがそれを間違って使っていた
この手紙を読むと ここにあなたの問題が ここに問題が ここに問題がある ここに問題があると展開されていく
どうしてそういう問題があったのか

一コリ 4:6 兄弟たちよ。これらのことをわたし自身とアポロとに当てはめて言って聞かせたが、それはあなたがたが、わたしたちを例にとって、「しるされている定めを越えない」ことを学び、ひとりの人をあがめ、ほかの人を見さげて高ぶることのないためである。

コリント教会は体験主義的教会になっていた
新しい経験が与えられるとそれを追求した教会
そこでパウロがこう彼らに命じている
「書かれていることを超えちゃいけないよ」と

新しい経験をすると「おお、俺こんな経験したんだけどお前はまだなの。」なんてことになる
皆さんの教会に新しい教えや体験が紹介された時に問うべき質問は
「聖書のどこに書いてあるの?」ということ

そしてパウロが言っているように
「書かれていることを超えない」こと(新改訳3)
もし私たちが新しい経験を追求しそれが聖書に書かれていることを超えているなら私たちの霊的成長はそこでストップしてしまう

 

 

 

第二テモテ3章~

 

第二テモテ3:12~
二テモ 3:12 いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。

これが旧約のイスラエルと新約の教会の違い

旧約聖書では神様がイスラエルに
いわばあなた方は私に従順であるならば祝福を受けるが不従順になるなら迫害にあうよと言われた

しかし教会に対してはそれとは正反対の約束が与えられている
~敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。(新改訳3)

 

3:13 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。

にせ教師が教会に入り込んでくるということ
~だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。(新改訳3)

 

テモテのような人が誤った教えから免れるためにはどうしたらよいのか?
14、15節でパウロはその秘訣を教えている

3:14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。
あなたは、それをだれから学んだか知っており、3:15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。

テモテはお母さんとおばあちゃんからみ言葉を学んできた
(Ⅱテモ 1:5 私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。
そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。

幼いころから聖書に親しんで来た(新改訳3)とある
他の人がどういう体験をしたかを学んできたのではなく聖書に親しんできた

 

聖書はすべて神の霊感によって書かれているので次の4つの分野で有益だと言う
3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(新改訳3)

 

聖書はどれ位有益なものか?
3:17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(新改訳3)
2Ti 3:17 that the man of God may be complete, furnished completely unto every good work.  (ASV)

霊的に十分に成長した人をつくる為に聖書は有益

トロント(ブレッシング)に行ったりペンサコーラ(リバイバル)に飛行機に乗って行ったりしてその何かの雰囲気に触れ飲み込まれたいと思う必要はない
聖書はこれだけで充分
私たちは学びの対象を聖書に焦点を絞り 学んだことを適用する

 

二テモ 4:1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。
4:2 御言を宣べ伝えなさい。
時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。

第二テモテ4章以降は学んだことを教えなさいという命令につながっていく

 

4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、

人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、(新改訳3)る時代がくるから

聖書をしっかり学ぶことに耐えられなくなった人は自分たちが学ぶべきことではなく
聞きたいと思うことを言ってくれる教師を招きそこでお茶を濁すようになるから

 

4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

二つの結果が出てくる

真理から耳をそむけ、

彼らは聖書の教えがなされる集まりから遠ざかっていく
或るいはこの様な聖書研究のセミナーに来なくなる

空想話にそれて行く(新改訳3)
空想話こそ実は書かれているものを超えている話
その結果
人は聖書の教えではなく人の経験に従うようになる

 

 

 

の戦いとはそんなに複雑なものではない

しかし自己鍛錬が要求される

常にみことばの学びを継続するということ

学んだ事を自分の生活に適用するということ

この二つ

 

 

 

 

天使論、サタン論、悪霊論(37)改め悪霊論(14)2023年12/9
悪霊論
Ⅺ.悪霊の将来の活動
Ⅻ、悪霊の運命

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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