練馬桜台聖書フォーラム

終末論のクライマックス レジュメ(4)2021年 3/13

2021.03.13

カテゴリー:学び, 終末論のクライマックス

終末論のクライマックス レジュメ(4)2021年3/13

 

民衆はイエスをメシアとして迎えたが、指導者たちは拒否し、さばきはその世代の国全体にくだる

 

2015年フルクテンバウム博士セミナー『終末論のクライマックステキスト) (チャート)を学んでいます。
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CD11枚組)(DVD6枚組)(MP3版)(テキストのみ

 

 

レジュメもくじ

前回のレジュメ(3)

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下、青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です。
(但し、ここでは新改訳2017を使用しています)
紫色の聖句は2回目の聖句または参考聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。

緑色の文章はHP編者による補足説明です。
茶色の文章はDr.Arnold G. Fruchtenbaum 『Messianic Bible Study Series』
003 The Basis of the Second Coming of the Messiah からの補足説明です。

興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

 

再臨の前提条件
THE BASIS OF THE SECOND COMING OF THE MESSIAH

 

 

Ⅰ.イエスのメシア性の拒否(4/4)
THE REJECTION OF HIS MESSIAHSHIP

 

セミナーテキストの4ページ

C.ヨナのしるし
The Sign of Jonah: John 11:1-57

 

マタ16:1
マタ 16:1 パリサイ人たちやサドカイ人たちが、イエスを試そうと近づいて来て、天からのしるしを見せてほしいと求めた。
マタイの福音書12章以降
パリサイ人たちやサドカイ人たちが、しるしを求めてイエスのもとにやってきますが
イエスの答えはいつも同じです。

4節
マタ 16:4 悪い、姦淫の時代はしるしを求めます。
しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」
こうしてイエスは彼らを残して去って行かれた。
イスラエルの国に対しては、唯一のしるし、ヨナのしるしのみが与えられるということです。

一貫した内容がイエスの公生涯後半で展開していきます。
ヨナのしるしとは3度イスラエルの為に与えられます。

ラザロの復活(ラザロは最後は死にます)
イエスの復活
二人の証人の復活

 

ヨハネの福音書11章ヨナのしるしの最初のものが与えられます。
ラザロの復活

 

イエスさまが死者からよみがえらせたのはラザロだけではありません。
ラザロの前:
イエスによって復活した人は数名いたが
説明は2節か4節位
目撃者は数名
見たことを誰にも言うなという命令を受けていた
会堂管理者の娘 マコ5:41~42
ナインのやもめの一人息子 ルカ7:14~15

ラザロの復活:
対照的に非常に長い説明、44節
多くの人がこの奇跡を目撃
群衆がその奇跡を目撃する人々としてそこに集まっていた

 

なぜラザロの復活がそんなに特別だと言えるのでしょうか。
イエスが公に示すあのヨナのしるしの一つだからです。
ということは、このしるしが与えられた時に
ユダヤ人たちは公にそのしるしをどう受け取るかという態度を表明しなければならない
それがこのしるしの特徴なのです。

 

なぜラザロの復活がこれほど重要で
それがどういう意味なのかを理解しない限りは
それ以降の話がなぜそういう展開になったのか理解できないのです。

 

例)
ラザロが死にそうだというニュースが二人の姉妹からイエスのもとに届きます。
ヨハ11:1~
ヨハ 11:1 さて、ある人が病気にかかっていた。
ベタニアのラザロである。
ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。

11:2 このマリアは、主に香油を塗り、自分の髪で主の足をぬぐったマリアで、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
11:3 姉妹たちは、イエスのところに使いを送って言った。
「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
11:4 これを聞いて、イエスは言われた。
「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。
それによって神の子が栄光を受けることになります。」

すぐにベタニアに来て死にそうなラザロを助けて欲しい・・・。
彼らはその知らせを聞いたらイエスはすぐにベタニアに来てくれるという期待を持ちました。
しかし実際にはそうではありませんでした。
11:5 イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
11:6 しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた
ラザロが死にそうだという知らせを聞いてもなぜイエスがそこにとどまられたのでしょうか。

イエスは意図的にラザロが死ぬのを待っています。

ヨハ 11:14 ~「ラザロは死にました。
11:15 あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。
さあ、彼のところへ行きましょう。」

ラザロが死んでからようやくべタニアに向かいますがゆっくり動いていますね。
この当時イエスが滞在していた所からベタニアまでは徒歩で1日の距離です。

ヨハ 11:17 イエスがおいでになると、ラザロの中に入れられて、すでに四日たっていた
イエス
ラザロの前に至った時には死んでからすでに四日たっていたのです。

 

ユダヤ的視点から言うと
死んで4日経っていたというのは非常に重要な意味を持っています。

当時のラビたちの教えの内容
人が死ぬとその人の魂は死体の上に3日間漂っている
3日間は魂が漂っているので蘇生する可能性が少しはある
しかし4日目になると魂は死者が行く場所シオールに行くので、それ以降蘇生の可能性はゼロになる
復活という奇跡が起こらなければその人が再び生き返ることはない

ラビ的神学によれば
死者の復活はメシアの到来の時に起こると考えられていた

 

ですからイエスが4日という日にちをおいたのは
パリサイ派神学の枠組みの中でラザロは蘇生したのだと言わせない為にわざわざこの舞台を設定したということです。
ラザロが蘇生するにはプラス1日分長く死んだ状態になっていたわけです。

 

この箇所のメッセージ
イエスがマリアとマルタに示された愛を強調することが多い
しかし同時に、なぜイエスがそのような行動をとっているのかを読み取ることもとても重要

イエスがマリアとマルタに愛を示されたというのはそのとおりですが
直前の文脈を見ると、どういう理由でイエスの行動が取られているのでしょうか。

ヨハ 11:37 しかし、彼ら(ユダヤ人たち)のうちのある者たちは、「見えない人の目を開けたこの方も、ラザロが死なないようにすることはできなかったのか」と言った。
11:38 イエスは再び心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。
墓は洞穴で、石が置かれてふさがれていた。
11:39 イエスは言われた。
「その石を取りのけなさい。」
死んだラザロの姉妹マルタは言った。
「主よ、もう臭くなっています。
四日になりますから。」
11:40 イエスは彼女に言われた。
「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」


ヨハ 11:42 あなた(父)はいつでもわたし(イエス)の願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。
あなた(父)がわたし(イエス)を遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」
ポイント:回りに群衆(新改訳3)がいてそれを目撃していた

イエスさまはここで群衆の益になるために奇跡を行われます
これがイエスが公に行うと言われたヨナのしるしの一つです。

このしるしが与えられた時に
イスラエル民族はこのしるしに応答しなければいけないのです。

ラザロがよみがえり、最初のヨナのしるしがそこで与えられます。
ヨハ 11:44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。
彼の顔は布で包まれていた。
イエスは彼らに言われた。
「ほどいてやって、帰らせなさい。」
それに対して二つの応答がでてきます。

ヨハ 11:45 マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人の多くが、イエスを信じた。
11:46 しかし、何人かはパリサイ人たちのところに行って、イエスがなさったことを伝えた。

 

セミナーテキストの5ページ

ふたつの応答

45節:ユダヤ人の多くが、イエスを信じた。
正しく応答した人たちです。

46節何人かはパリサイ人たちのところに行って、イエスがなさったことを伝えた。
リーダーシップコンプレックスに未だ束縛されている人々もいました。

パリサイ人たちはこれがヨナのしるしであることを知っていました。
イエスが直接彼らに語りかけたからです。
ですから、この奇跡に対してパリサイ人たちは公に応答する、つまり判決を出さなければいけないのです。

それが次の47~53節に書かれている内容です。

 

 

 

 

D.サンヘドリンの判決
The Sanhedrin’s Verdict: John 11:47-50、53

 

ヨハ 11:47~50
ヨハ 11:47
祭司長たちとパリサイ人たちは最高法院を召集して言った。

「われわれは何をしているのか。
あの者が多くのしるしを行っているというのに。
サンヘドリンが議会を招集しています。
11:48 あの者をこのまま放っておけば、すべての人があの者を信じるようになる。
そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地(神殿―新共同訳)も国民も取り上げてしまうだろう。」
11:49 しかし、彼らのうちの一人で、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。
「あなたがたは何も分かっていない。
11:50 一人の人が民に代わって死んで、国民全体が滅びないですむほうが、自分たちにとって得策だということを、考えてもいない。」
11:51 このことは、彼が自分から言ったのではなかった。
彼はその年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、11:52 また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子らを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。

 

ヨハ 11:53
11:53 その日以来、彼らはイエスを殺そうと企んだ
マタイの福音書でイエスのメシア性を拒否した、あの結論の先にいく結論を出しています。

マタイ12章:イエスが悪霊につかれているという理由でイエスのメシア性を拒否した

ヨハネ11:53
死刑宣告にすすんでいる

そしてイエスを殺すというこの結論は民衆の間にも伝達され広がっていきます。

54節 死の時が未だ来ていなかったので、メシアは短い間姿を隠した。
55~56節 民は質問していた。

ヨハ 11:57 祭司長たち、パリサイ人たちはイエスを捕らえるために、イエスがどこにいるかを知っている者は報告するように、という命令を出していた。


57節のサンヘドリンの判決
或いは53節にある判決が
ヨナのしるしの第一番目のもの(ラザロの復活)サンヘドリンがオフィシャルに応答した事例です。

 

 

 

 

E.勝利の入城
The Triumphal Entry: Luke 19:41-44

 

ルカ 19:35 二人はその子ろばをイエスのもとに連れて来た。
そして、その上に自分たちの上着を掛けて、イエスをお乗せした。
19:36 イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。
19:37 イエスがいよいよオリーブ山の下りにさしかかると、大勢の弟子たちはみな、自分たちが見たすべての力あるわざについて、喜びのあまりに大声で神を賛美し始めて、19:38 こう言った。
「祝福あれ、主の御名によって来られる方、王に。
天には平和があるように。

栄光がいと高き所にあるように。」


ルカの福音書19:41~44はイエスがろばの子に乗ってエルサレム入城される場面です。
無数の人々がイエスを取り囲み「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。という言葉を発しています。

ユダヤ的文脈から言うとこの言葉は非常に意味があります。
ラビたちはこう教えていました。

メシアが来られる時にはこの言葉でメシアを歓迎しなければいけない
これは詩篇118篇26節の引用で
詩 118:26 祝福あれ【主】の御名によって来られる方に。
私たちは【主】の家からあなたがたを祝福する。
メシア預言の詩篇と言われている
正式なメシアを歓迎する言葉

イエスがろばの子に乗ってエルサレムに入られる時に、無数の人たちがこの言葉でイエスを迎えた、つまりイエスがイスラエルのメシアであるということを認めてイエスを迎えたということです。

 

しかし、先ほど学んだ或る一つの結果は変更することは不可能です。
赦されない罪は既に犯されているのです。
つまり、回帰不能点を超えた結果、どんなに信仰的に悔い改めたとしてもその裁きを免れることはできないということです。

 

メシアとして人々が迎えている真ん中でイエスはやがて来るべきさばきについて語っています。
ルカ 19:41~44
ルカ 19:41 エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。
19:42 「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。
しかし今、それはおまえの目から隠されている。
19:43 やがて次のような時代がおまえに来る。
敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、19:44 そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。
彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。
それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」
イエスがこの言葉を語って40年後、紀元70年にイエスのこれらの言葉は文字通りに成就しました。
詳しくは患難期前の出来事レジュメ

この結果:
イエスを拒否したその世代の者たちに物理的肉体的さばきがくだった

 

ヘブル書: 迫害のためにユダヤ教に戻ろうとしていたメシアニックジューに、メシアを拒否したユダヤ教からは完全にわかれるべきであると警告した。

紀元66年ローマへの反乱が始まった時、メシアニックジューのコミュニティーは全員国を離れてヨルダン川東岸ペラという町に逃れた。
110万人のユダヤ人がローマへの反乱で死んだにもかかわらず、彼らは一人も殺されなかった。
ヘブル書に従ったので、その世代にくだる裁きから免れた。

 

 

 

 

 

セミナーテキストの6ページ

F.糾弾されるパリサイ人たち
The Pharisees Denounced: Matthew 23:1-36

 

再びマタイの福音書にかえります。

マタイの23章の内容は一つ
メシアであるイエスがその時代の霊的リーダーたちを糾弾しました。
イエスさまは7つのわざわいを宣言
様々な形の罪に対する呪い
1番目と7番目が同じ内容(メシアの拒否)で、円を描いて何度も回っていくような形の宣言

 

  1. Matthew 23:13


イスラエルの指導者はイエスのメシア性を拒否するように国家を導いた
マタ 23:13 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。
おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。
おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。
最初のこのわざわいでイエスさまは二つの罪を指摘しています。

1)彼らはイエスを拒否している

2)一般民衆も不信仰に陥るように彼らが指導している

 

 

  1. Matthew 23: 29-36

1番目と7番目が似ていることを見せる為に
⑦7番目のわざわい
イスラエルの指導者は預言者を拒否した
マタ 23:29 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。
おまえたちは預言者たちの墓を建て、義人たちの記念碑を飾って、23:30 こう言う。
『もし私たちが先祖の時代に生きていたら、彼らの仲間になって預言者たちの血を流すということはなかっただろう。』
23:31 こうして、自分たちが預言者を殺した者たちの子らであることを、自らに対して証言している。
23:32 おまえたちは自分の先祖の罪の升を満たすがよい。
23:33 蛇よ、まむしの子孫よ。
おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうして逃れることができるだろうか。

23:34 だから、見よ、わたしは預言者、知者、律法学者を遣わすが、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して回る。
23:35 それは、義人アベルの血から、神殿と祭壇の間でおまえたちが殺した、バラキヤの子ザカリヤの血まで、地上で流される正しい人の血が、すべておまえたちに降りかかるようになるためだ。
23:36 まことに、おまえたちに言う。
これらの報いはすべて、この時代の上に降りかかる。
①1番目のわざわいをより詳しく説明したのが⑦7番目のわざわいですが
さらに先に進めた形での説明が入っています。

彼らはイエスのメシア性を拒否した責任があるだけではない
彼らは啓示された神のみことば全てを拒否した責任がある

預言者たちがメシアの到来に関して様々な預言を語っていたが、それが目の前で成就した

ヘブル語の聖書(旧約聖書)はイエスさまが来る約450年位前にもう完結している

イエスを拒否した
=ヘブル語聖書の中でメシア預言を語った預言者たちを否定した

正統派のユダヤ人でさえも自分は預言者を信じると言ったならイエスを拒否することはできないはず

 

注意:
ヘブル語聖書の順番はクリスチャンの旧約聖書の順番とは異なる

イエスはヘブル語聖書の順番を使っている
書物の数は同じ
でてくる順番が異なる

最初の本:ともに創世記
最後の本:マラキ書ではなくて歴代誌第2

35節で二人の人の名前がでてくる
アベル最初の書、創世記に登場
ザカリヤ最後の書、歴代誌第2に登場
つまり、この二人の名前を挙げることにより、創世記から最後の書、歴代誌第2に至るまで彼らは拒否した、その責任があるとイエスさまはおっしゃっているわけです。

これはユダヤ人的表現法で
啓示された神のみことばの全貌を拒否したということを意味している

「創世記から黙示録まで」
私たちが使う聖書全体を指す用語

 

 

ここで誰がその責任を負わされているかを見てください

36節
マタ 23:36 まことに、おまえたちに言う。
これらの報いはすべて、この時代の上に降りかかる。
All these things shall come upon this generation.
この世代の者たちに来るということです。

 

この世代はすべての預言者の血に責任がある

その理由
・預言者たちによりメシア預言が既に語られていて、かつその聖書を持っていた
・主がすぐに来られると告げたバプテスマのヨハネの説教も聞いていた

・ご自分を証明するすべてのしるしをもってこられたメシア・イエスの身体的あらわれと存在を目にしていた
・にもかかわらず、彼らは指導者にならってそのメシア性を拒否した

 

 

 

レジュメ(1)からのⅠ.イエスのメシア性の拒否
要約

イエスが悪霊につかれているという理由でイスラエルの指導者たちが民衆を不信仰に導きました。

 

 

それだけ学ぶと次に、メシアの再臨の条件が何であるかということがわかってきます。

次回につづく

 

 

 

中川健一著『終末論Q&A』書籍のみ)(CD12枚組書籍付きを是非どうぞ。
25ユダヤ人たちの咎とは何か 1.イエスのメシア性の拒否 2.ヨナのしるし 3.裁きの預言 4.サンヘドリンの判決

 

 

終末論のクライマックス(52021年3/27
Ⅱ.再臨の前提条件
A.レビ26:40~42 B.エレ3:11~18 C.ゼカ12:10 D.ホセ5:15 E.マタ23:37~39

 

・・・・・・・・

以下は参考までに

7つのわざわいの②から⑥
イエスさまがイスラエルの指導者を非難した内容

 

改宗者を堕落させる
マタ 23:15 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。
おまえたちは一人の改宗者を得るのに海と陸を巡り歩く。
そして改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのだ。

 

パリサイ的伝統をとおしてモーセの律法を無効にした
マタ 23:16 わざわいだ、目の見えない案内人たち。

おまえたちは言っている。
『だれでも神殿にかけて誓うのであれば、何の義務もない。
しかし、神殿の黄金にかけて誓うのであれば、果たす義務がある。』
23:17 愚かで目の見えない者たち。
黄金と、その黄金を聖なるものにする神殿と、どちらが重要なのか。
23:18 また、おまえたちは言っている。
『だれでも祭壇にかけて誓うのであれば、何の義務もない。

しかし、祭壇の上のささげ物にかけて誓うのであれば、果たす義務がある。』
23:19 目の見えない者たち。

ささげ物と、そのささげ物を聖なるものにする祭壇と、どちらが重要なのか。
23:20 祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上にあるすべてのものにかけて誓っているのだ。
23:21 また、神殿にかけて誓う者は、神殿とそこに住まわれる方にかけて誓っているのだ。
23:22 天にかけて誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方にかけて誓っているのだ。

 

重要でないことを重んじる
マタ23:23 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。

おまえたちはミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。
十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。
23:24 目の見えない案内人たち。

ブヨはこして除くのに、らくだは飲み込んでいる。

 

外側にしか関心をもたない
マタ 23:25 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。

おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、内側は強欲と放縦で満ちている。
23:26 目の見えないパリサイ人。
まず、杯の内側をきよめよ。
そうすれば外側もきよくなる。

 

同上
マタ 23:27 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。

おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。
外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。
23:28 同じように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいだ。

 

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

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