練馬桜台聖書フォーラム

八つの契約 レジュメ(28)2021年 1/16

2021.01.16

カテゴリー:八つの契約, 学び

八つの契約 レジュメ(28)2021年1/16

 

ディスペンセーションは「恵みの時代」と「御国の時代」

 

2002年フルクテンバウム博士セミナー聖書の八つの契約テキスト)を学んでいます。
ご購入はこちらから(CD9枚組)(MP3版)(テキストのみ

 

 

レジュメもくじ

前回のレジュメ(27)

 

 

フルクテンバウム博士のメッセージを中川健一牧師がわかり易く通訳してくださったセミナーの内容を基に作成しています。

以下、青色の聖句はセミナーでとりあげられた聖句です
(但し、ここでは新改訳2017を載せています)。
紫色の聖句は参考聖句です。
黒色の文章がセミナーの説明文です。

緑色の文章はHP編者による補足説明です。
茶色の文章はDr.Arnold G. Fruchtenbaum『The Eight Covenants of the Bible』 からの補足説明です。
興味のあるところはリンク先もご覧になってみてください。

 

Ⅰ.エデン契約条件付き契約人類全般
Ⅱ.アダム契約
無条件契約 人類全般
Ⅲ.ノア契約
無条件契約  人類全般
Ⅳ.アブラハム契約
無条件契約イスラエル
Ⅴ.モーセ契約
(シナイ契約)条件付き契約 イスラエル
Ⅵ.土地の契約
無条件契約イスラエル
Ⅶ.ダビデ契約
無条件契約 イスラエル
.新しい契約
無条件契約  イスラエル

 

 

Ⅷ.新しい契約 4/4
THE NEW COVENANT

 

 

セミナーテキストの22ページ

C. 教会と新しい契約との関係 

The Relationship of the Church to the New Covenant

 

前回のつづき

Partakerを使って教会がユダヤ人の契約から祝福を受けることを教える聖書箇所
ローマ人への手紙15章
物質的祝福と霊的祝福とを分けて説明している非常にいい箇所です。

異邦人は霊的な祝福のみにあずかり、物質的な祝福ではないこと
その結果、異邦人はある義務を神から与えられていることがここでわかってきます。

ロマ15:25~27
ロマ 15:25 しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます。
15:26 それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。
15:27 彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります。
異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべきです。(新改訳2017)
ロマ 15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。
異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。(新改訳3)

Rom 15:27 Yea, it hath been their good pleasure; and their debtors they are.  For if the Gentiles have been made partakers of their spiritual things, they owe it to them also to minister unto them in carnal things. (ASV)
特に大事なのが27節

異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをした

もらいものをしたという言葉が前回レジュメ、それにあずかった人々partakersという言葉です。
ここでは物質的祝福ではなくて霊的な祝福と書かれています。 

 

異邦人はユダヤ人の霊的な祝福にあずかったのですから、ユダヤ人に物質的なお返しをする義務がありますよ、というのがパウロが書いていることです。

 

どのようにすればその義務を全うできるのでしょうか。
物質的なものでユダヤ人伝道を支援すること、ユダヤ人の教会を支援することです。

 

イスラエルの霊的祝福を受けた異邦人には或る種の責任が伴う

異邦人の責任 : 物質的にユダヤ人伝道を支援すること

 

「ユダヤ人伝道を支援するのが異邦人の役割だ。でもどこを助ければいいのかわからない。」という人がいるなら、100%信頼できる良い団体がありますから私(フルクテンバウム博士)が推薦したいと思います(笑)

 

 

 

 

セミナーテキストの23ページ

D.契約の恩恵に与る者 

 

第1のポイント

 

新しい契約が提供する救いの土台:
メシアの流された血潮

十字架の上で流された血潮です。

イエスが十字架上で亡くなった時にイエスは新しい契約にサインをし、それを締結しました。
メシアの血は新しい契約を承認、署名、捺印した。

 

これがヘブル人への手紙の8章から10章に書かれてあることです。

へブ8:1~10:18
ヘブル 8:1 以上述べてきたことの要点は、私たちにはこのような大祭司がおられるということです。
この方は天におられる大いなる方の御座の右に座し、8:2 人間によってではなく、主によって設けられた、まことの幕屋、聖所で仕えておられます。
8:3 大祭司はみな、ささげ物といけにえを献げるために任命されています。

したがって、この大祭司も何か献げる物を持っていなければなりません。
8:4 もしこの方が地上におられたなら、祭司であることは決してなかったでしょう。
律法にしたがってささげ物をする祭司たちがいるからです。
8:5 この祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。
それは、モーセが幕屋を設営しようとしたときに、御告げを受けたとおりのものです。
神は、「よく注意して、山であなたに示された型どおりに、すべてのものを作らなければならない」と言われました。
8:6 しかし今、この大祭司は、よりすぐれた契約の仲介者であるだけに、その分、はるかにすぐれた奉仕を得ておられます。
その契約は、よりすぐれた約束に基づいて制定されたものです。

8:7 もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、第二の契約が必要になる余地はなかったはずです。
8:8 神は人々の欠けを責めて、こう言われました。
「見よ、その時代が来る。

──主のことば──
そのとき、わたしはイスラエルの家、ユダの家との
新しい契約を実現させる。

8:9 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って
エジプトの地から導き出した日に、
彼らと結んだ契約のようではない。
彼らはわたしの契約にとどまらなかったので、
わたしも彼らを顧みなかった。
──主のことば──
8:10 これらの日の後に、わたしが
イスラエルの家と結ぶ契約はこうである。
──主のことば──
わたしは、
わたしの律法を彼らの思いの中に置き、
彼らの心にこれを書き記す。
わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となる。
8:11 彼らはもはや、それぞれ仲間に、
あるいはそれぞれ兄弟に、
『主を知れ』と言って教えることはない。
彼らがみな、小さい者から大きい者まで、
わたしを知るようになるからだ。
8:12 わたしが彼らの不義にあわれみをかけ、
もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」
8:13 神は、「新しい契約」と呼ぶことで、 初めの契約を古いものとされました。
年を経て古びたものは、すぐに消えて行くのです。
9:1 さて、初めの契約にも、礼拝の規定と地上の聖所がありました。
9:2 すなわち、第一の幕屋が設けられ、そこには燭台と机と臨在のパンがありました。
それが聖所と呼ばれる場所です。
9:3 また、第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋があり、9:4 そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナの入った金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の板がありました。
9:5 また、箱の上で、栄光のケルビムが「宥めの蓋」をおおっていました。
しかし、これらについて、今は一つ一つ述べることはできません。

9:6 さて、これらの物が以上のように整えられたうえで、祭司たちはいつも第一の幕屋に入って、礼拝を行います。
9:7 しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入ります。
そのとき、自分のため、また民が知らずに犯した罪のために献げる血を携えずに、そこに入るようなことはありません。
9:8 聖霊は、次のことを示しておられます。
すなわち、第一の幕屋が存続しているかぎり、聖所への道がまだ明らかにされていないということです。
9:9 この幕屋は今の時を示す比喩です。
それにしたがって、ささげ物といけにえが献げられますが、それらは礼拝する人の良心を完全にすることができません。
9:10 それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いに関するもので、新しい秩序が立てられる時まで課せられた、からだに関する規定にすぎません。

9:11 しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、9:12 また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。
9:13 雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、9:14 まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。

9:15 キリストは新しい契約の仲介者です。
それは、初めの契約のときの違反から贖い出すための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです。
9:16 遺言には、遺言者の死亡証明が必要です。

9:17 遺言は人が死んだとき初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間には、決して効力を持ちません。
9:18 ですから、初めの契約も、血を抜きに成立したのではありません。
9:19 モーセは、律法にしたがってすべての戒めを民全体に語った後、水と緋色の羊の毛とヒソプとともに、子牛と雄やぎの血を取って、契約の書自体にも民全体にも振りかけ、9:20 「これは、神があなたがたに対して命じられた契約の血である」と言いました。
9:21 また彼は、幕屋と、礼拝に用いるすべての用具にも同様に血を振りかけました。
9:22 律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。
血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。

9:23 ですから、天にあるものの写しは、これらのものによってきよめられる必要がありますが、天上にある本体そのものは、それ以上にすぐれたいけにえによって、きよめられる必要があります。
9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。
そして今、私たちのために神の御前に現れてくださいます。
9:25 それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所に入る大祭司とは違い、キリストはご自分を何度も献げるようなことはなさいません。

9:26 もし同じだとしたら、世界の基が据えられたときから、何度も苦難を受けなければならなかったでしょう。
しかし今、キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。
9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。
10:1 律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。

ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって神に近づく人々を、完全にすることができません。
10:2 それができたのなら、礼拝する人たちは一度できよめられて、もはや罪を意識することがなくなるので、いけにえを献げることは終わったはずです。
10:3 ところがむしろ、これらのいけにえによって罪が年ごとに思い出されるのです。
10:4 雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができないからです。
10:5 ですからキリストは、この世界に来てこう言われました。
「あなたは、いけにえやささげ物を

お求めにならないで、
わたしに、からだを備えてくださいました。
10:6 全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物を

あなたは、お喜びにはなりませんでした。
10:7 そのとき、わたしは申しました。
『今、わたしはここに来ております。
巻物の書にわたしのことが書いてあります。
神よ、あなたのみこころを行うために。』」
10:8 以上のとおり、キリストは「あなたは、いけにえやささげ物、全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物、すなわち、律法にしたがって献げられる、いろいろな物を望まず、またそれらをお喜びになりませんでした」と言い、10:9 それから、「今、わたしはあなたのみこころを行うために来ました」と言われました。
第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです。

10:10 このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。

10:11 さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができませんが、10:12 キリストは、罪のために一つのいけにえを献げた後、永遠に神の右の座に着き、10:13 あとは、敵がご自分の足台とされるのを待っておられます。
10:14 なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。

10:15 聖霊もまた、私たちに証ししておられます。というのも、
10:16 「これらの日の後に、わたしが
彼らと結ぶ契約はこうである。
──主のことば──
わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、
彼らの思いにこれを書き記す」
と言った後で、
10:17 「わたしは、もはや
彼らの罪と不法を思い起こさない」
と言われるからです。
10:18 罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。

 

 

 

 第2のポイント

 

新しい契約の条項はイスラエルが成就するものです。
教会において、によって、をとおしてではなく、イスラエルにおいて、イスラエルによって、イスラエルをとおして成就するもの

新しい契約は教会と結ばれたのではなく、イスラエルと結ばれました。

 

神の約束 : 神がその約束を最初に与えた人のうちに成就します。

 

例)
私に二人息子がいて長男と約束をした
その約束を次男に実行したとする
約束を実行したと言えるのか?
ノー
長男に約束したのであり次男に約束したわけではないから
私はまず長男に約束したことを実行しなければ約束が成就したとは言えない

 

新しい契約の条項は
教会によって完成するのではなく、
もともと契約が与えられたイスラエルに関して成就した時に完成するということです。

 

 

 

 第3のポイント

 

現在、新しい契約の条項は、イスラエルによって、或いはイスラエルのうちにあって成就してはいません。

キリストは死んでくださいましたがイスラエル人が全て救われているわけではないのです。

 

私たちが繰り返し学んだ原則

契約は歴史上の或る時点で締結しますが、その結果としての祝福はすぐに成就するものと時間がかかるものと二つあるということ

例)
新しい契約

*直ちに成就する規定
その人がメシアを信じた瞬間に聖霊がその人のうちに内住します。

*将来のこと
イスラエルの国家的再生という条項は、成就するまでに長い時間がかかるのです。

 

 

ですから、新しい契約の条項が全て成就していないからといって、この条項は教会によって成就されると結論づけることは間違っているのです。

 

 

 

 第4のポイント

 

教会がこの新しい契約に参加しその成就となるのは、単に、イスラエルに与えられた霊的な祝福の側面だけです。

ですから教会がこの契約の成就となるのではないのです。
教会は参加しているだけです。

 

また教会は物質的祝福ではなくて霊的祝福にのみ参加しています。

教会はユダヤ人の霊的祝福の共同相続人となったが、教会はユダヤ人の契約を引き継いだのではない。
物質的・肉体的祝福(土地、子孫)は相続しない。

 (しかし、異邦人もアブラハム契約(創12:3第6の条項)により、派生的には物質的な祝福にもあずかれるという感想がありました。アーメン)

 

 

 

 

E. 新しい契約のディスペンセーション

The Status of the Covenant

 

新しい契約は二つのディスペンセーションの土台になっています。

 

教会にとって
 

新しい契約は「恵みの時代」というディスペンセーションの土台
the Dispensation of Grace

私たちは今「恵みの時代」に生きています。

「恵みの時代」に生きている信者を導く原則はキリストの律法です。
(「キリストの律法」に対する関心は高いです。具体的には書簡にちりばめられていますがフルクテンバウム博士がそれをリスト化することはなく、まさに信者の心に書き記されているものなのですね。)

 

 

イスラエルにとって

新しい契約は「御国の時代」の土台になります。
the Dispensation of the Kingdom

 

将来与えられる御国の律法が彼らを導く生活原則になります。

 

 

 

新しい契約は無条件契約

 

その中の条項で未だ成就していないものは沢山あります。
これは今も生きており、永遠に有効な契約になるということ。
無条件契約であるが故に。

 

 

 

補足説明

御国の時代はいつから始まるのか?

メシアがイスラエルの為に再臨される時から御国の時代つまり千年王国の時代が始まります。
今始まっているわけではありません。
今は「恵みの時代」ですね。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

中川健一牧師著『ディスペンセーショナリズムQ&A』より

 

恵みの時代」の統治原則

①良心
②聖霊の制御
③人間の政府
④約束
⑤神の恵み

1 神の律法が、信者の心に書き記されている

Ⅱコリ 3:3 あなたがたが、私たちの奉仕の結果としてのキリストの手紙であることは、明らかです。
それは、墨によってではなく生ける神の御霊によって、石の板にではなく人の心の板に書き記されたものです。
3:4 私たちはキリストによって、神の御前でこのような確信を抱いています。

3:5 何かを、自分が成したことだと考える資格は、私たち自身にはありません。
私たちの資格は神から与えられるものです。

3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。
文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。
~3:11 

 

ヘブル 8:8 ~
わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心にこれを書き記す
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
8:12

 

2 聖霊が、信者の心に内住している

Ⅰコリ 6:19 あなたがたは知らないのですか。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。

 

 

御国の時代」の統治原則

①良心
②聖霊の制御
③人間の政府
⑥キリストの義なる支配

(④約束は全て成就し現実となるので約束ではなくなる、
⑤救いが神の恵みによって与えられる点は変わらないが、神の恵みが統治原則ではなくなる)

1 義なる王に反抗する者は殺される

イザ 11:3 この方は【主】を恐れることを喜びとし、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、11:4 正義をもって弱い者をさばき、公正をもって地の貧しい者のために判決を下す。
口のむちで地を打ち、唇の息で悪しき者を殺す

 

イザ 29:20 横暴な者はいなくなり、嘲る者は絶え果て、よこしまなことを企む者はみな絶ち滅ぼされるからだ。
29:21 彼らはことばで他人を罪に陥れ、城門で戒めを与える者に罠を仕掛け、正しい人を、理由もなく押しのける。

 

2 仮庵の祭りを祝い、王を礼拝するためにエルサレムに上ってこない民は罰を受ける

ゼカ 14:16 エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の【主】である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。
14:17 地上の諸氏族のうち、万軍の【主】である王を礼拝しにエルサレムに上って来ない氏族の上には、雨が降らない。
14:18 もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず疫病が彼らに下る
これは、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を【主】が打つ疫病である。

14:19 これが、エジプトの罪への刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々の罪への刑罰となる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  

詳しくは中川健一著『ディスペンセーショナリズムQ&A書籍のみ1528円)(CD5枚組書籍付き3000円) 14「恵みの時代」とは、どのようなものか 15「御国の時代」とは、どのようなものか 24 新しい契約とはどのようなものか をどうぞ。

 

 

八つの契約はこれで終わります。
お読みいただきありがとうございました。
このレジュメの内容が聖書を読む時の助け、背骨となりますように。

 

次回は終末論に戻ります。
今までの内容を補完する感じで、終末論は次回で終わりとなります。
世界は信じられないような状況で、聖書預言に向かって急激なスピードで進み始めたと実感する時代となりました。

神さまのさばきは激しく、私たちには大きな希望があります。

 

 


終末論のクライマックス(12021年1/30
再臨の前提条件
はじめに(メシア的奇跡)1/2
                                                                                                                                                                                         

練馬桜台聖書フォーラム

代表 :南 知之

バックナンバー