義認・聖化・栄化 / 救いの9つの面 / 子とされる事 / 子とされる事の意味、子とされる事の3つの対象、具体的に理解する為に必要な4つの事柄、子とされる事の結果
2019.02.25
カテゴリー:t 義認・聖化・栄化
2019年2月23日
■救いの3つの段階
2018年6月から、みやま集会では、救いの3つの段階である「義認・聖化・栄化」を学んでいます。
救いとは、一言で言えば、人が神によって造られた本来の目的のとおりに完成されることです。その完成のことを、「栄化」と言います。救いの入り口は「義認」、その入り口から入って完成に向かう途上が「聖化」、そして完成が「栄化」というわけです。
人が救いを受けるかどうかは、その救いの入り口に入るかどうかで決まります。聖書では、救いの入り口に入ることを、「神から義人であると認められる」と表現します。これを短く言ったのが、「義認」です。
では、人はどのようにしてその入り口に入るのでしょうか。また入ったらどうなるのでしょうか。聖書では9つのことを教えています。その9つのこととは、「再生、転回、信仰、悔い改め、告白、赦し、転嫁、子とされること、救われたことの確信」です。
■ 前回までの内容 「再生」から「転嫁」までの7つ
再生とは、信じる者に永遠のいのちを与えてくださる神のわざです。
その再生のみわざを行うのは、三位一体の神のうち、聖霊なる神です。信者は、聖霊によって霊的に生まれた者です。
人は、まず肉体をもって生まれます。そして、信仰によって2回目には霊的に生まれます。再び生まれるので、「再生」と呼びます。
転回とは、再生に続いてなされる神のわざであり、罪の性質に縛られていた人が、意識的にその生き方を神の方に向けるようになることです。
人の側には、神への信仰と今までの生き方についての悔い改めが伴います。
日本語で、信仰というと、神仏を信じて仰ぐこと、神仏についてのある人の教えや思想に傾倒することなどを意味しますが、聖書の「信仰」や「信じる」とは、誰かが証言する事実を、自分はそれを見ていないのですが、証言の信ぴょう性を判断して、真実であると確信することを意味します。
信仰の対象は、神であり、神による啓示全体(旧約聖書と新約聖書)です。
信仰の内容、その中心はメシア(キリスト)です。メシアは、私たちの罪のために死んでくださり、葬られ、そして、三日目によみがえりました。これらの事実を聖書の神のことばを通して理解し、そのことを真実であると同意し、メシアを信頼して生きていこうとすること、これが信仰です。
「悔い改め」、これは一般的な日本語としては、「今までの行いが間違っていたことを悔いて、これからは行いを改める」というように、悔いるとか、行いを改めるといった意味に受け取りがちです。しかし、聖書における「悔い改め」の基本的な意味は、「思考を変える」です。
人の考えや意識の中で何か変化が起きる。その変化によって、その人は、自分の行動や生き方において、間違った方を向いていたところから、神の方に向きを変える。それが悔い改めです。実際の行動や生き方が変わるのは、それから後です。
告白は、信仰と密接な関係があります。人が信じる時、その人の内側では、思考・心・意志が働いて、信仰の内容を自分のことばとして言い表しています。これが、信じるということであり、同時に「告白する」ということです。実際に声に出して言い表す人もいますが、大抵の場合、声に出さずに、その人の内側で言い表されます。
赦しとは、神が私たちの罪について思い出しもしないということです。その前提は、身代わりの処罰です。聖書の教える「赦し」とは、イエスを身代わりとすることによって、私たち信じる者を無罪であると神が宣言してくださることです。
転嫁とは、費用などを他の人に清算させるとか、負債を他の人の勘定に付け替えるといった意味のことばです。私たちが受ける救いは、3つの転嫁によって成り立ちます。
第一に、最初の人アダムの罪を全人類に転嫁する。
第二に、すべての人の罪をメシアに転嫁する。
第三に、メシアを信じる者に「メシアの義」を転嫁する。
イエスは神が人となって地上に現れてくださったお方ですが、人という面では私たちと同じ弱さを持った人でした。そのお方が、生涯を通して一度も罪を犯したことがなく、十字架の死まで神に従いました。イエスは、歴史上、律法を完全に守った唯一の人です。律法を完全に守ったというイエス・キリストの義、これが信じる者に転嫁されて、「信じる人はみな義と認められる」のです。
■ 今回の内容 「子とされること」
救いの9つの面のうち、第八は、「子とされること」です。子は成人すると、父から受け継いだ特権と権威を行使することになります。そのような正当な権利を有する子どもに位置づけられることを、「子とされる」といいます。
救いを受けた信者にとって、現在すでに神の子であるという表現と、将来神の子とされるという表現とがあります。信者はすべて、信じたときに神の子とされ、神の家族の中に入れていただいています。そして、将来神の子とされるというのは、私たちのからだが不死の栄光のからだに変えられることを指しています。
私たちが現在いただいている地位にふさわしく、このからだも栄光のからだに変えられ、内側にも罪の性質がない者として地上に立つ日が必ず来るのです。
信者は現在すでに神の子です。父なる神は、信者を子として愛し、ケアをしてくださいます。また信者を愛するがゆえに、父が子を懲らしめ訓練するように、信者を懲らしめ訓練します。それは、信者を神の子にふさわしく成長させ、平安な義の実を結ばせるためです。
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