杉並聖書フォーラム: 第122回目。 9/8(土)実施、12名参加。
【分かち合いのご報告】 使徒の働きCD#11、「初代教会の誕生」。 聖書箇所:使2:41〜47を聞いて分かち合った。
① 初代教会の特徴として、物を共有し、宮に集まり、家では愛餐の交わりをし、神を賛美して、救われる人々が仲間に加わった、と学んだ。 それは現代の私たちにそのまま適用してはならないが、聖霊の導きの素晴らしさを教えてもらった。 まだ救われていない息子さんを持つある姉妹は言った。 「草刈りに来てくれる息子にどのように福音を伝えたら良いか悩んでいたが、聖霊にお任せしようと思った。」
② 初代教会以降の教会の成長による区分を学んだが、正にフォーラムの成長に重なるようだった。
③ 第二コリントの「文字(律法)は殺し、御霊(教会)は生かす」という聖句はすごい。 あの出エジプトのシナイ山での金の子牛事件では三千人が死に、一方、教会が誕生したエルサレムでは三千人が新生した。 この二つの事象は表裏一体だというメッセージに感動した。 聖霊によらなければ本物のクリスチャンはあり得ないということがよくわかった。
④ 「五旬節の祭りの預言的意味は、聖霊降臨によって成就した」とは具体的にどういうことだろうか。 何人かから意見が出て、「七週の祭りは石の板に書いたモーセの律法が与えられたことを意味し、イエスの十字架と聖霊降臨は心に書き記されたキリストの律法を意味するからではないか」と分かち合ったが、今一つ納得感が得られなかった。 (このためスタッフの一人が、家に帰ってから2001年のフルクテンバウムセミナー「イスラエルの祭りの預言的意味-レビ記23章」の七週の祭りの箇所を聞いて納得感が与えられた。 それは「聖霊のバプテスマ」で成就したものだった。 レビ記23:17、七週の祭りでは初物の小麦を二つのパンにして捧げ、一方、エペソ2:11〜16と3:5〜6、ユダヤ人と異邦人という隔ての壁で隔離されていた二人が聖霊のバプテスマによって新しいひとりの人=教会になった。 このことは、次回のフォーラムで再度皆さんと分かち合いたい)
以上