1/9(土)永福和泉地域区民センタで実施、16名参加。
【分かち合いの概要】 出エジプト記CD#5「モーセの言い訳(2)」(聖書箇所4:1〜17)を聞いて分かち合った。 ①ある人が言った。 「イントロで、神はイスラエルの民をエジプトから解放し、約束の地に導くため人類の歴史に介入しようとされたとあったが、今の世の中で神がどのような介入をされているのか具体的な事象が思いつかず、ピンと来ない。」 これに対して、別の信者は答えた。「神のご計画が成就するために、介入されることはあると思う。 それは、何か事件とか事象だけでなく、世界の経済や政治の動き、社会情勢などがここ10〜20年でじわーっと変化してきていることもそのひとつかも知れない。 例えば、米国の力が弱まって、誰もどの国もリーダーになり得ない状況下、一人の英雄があらわれるような方向に向かっているのかも知れない。 聖書的に残された時間が少ないと感じる時がある。」 ②モーセの言い訳の後半を学んだが、自分の信仰生活を振り返ると同じようだったことがわかる。 若い頃の伝道の失敗の記憶に縛られて、伝える以前に躊躇したりした。 自分には力がない、自分は口下手で聖書を語れない、などとつぶやいてもいた。 メッセージの結論にもあったが、「与える」という認識を持つと自分自身が変わってくるのではと思う。 そういう意味で「飛び込む」ことも具体的な一歩を踏み出すことになるのではないか。 ③家族に福音を伝えようとするけれども、どうしてよいかわからないことがある。 時には「それでもクリスチャンか?」と言われたりもする。 これに対して別の信者は、ローマ人への手紙の講解メッセージから引用して言った。 「あなたのご家族にも神は、既に“一般啓示”を通して働きかけてくださっている。 だから、ご家族がそれに応答したら、必ず福音の“特別啓示”の機会が与えられる。 その時に私を伝える弟子として用いてください、と祈ったら良いと思います。」 ④モーセは40年王宮で世話になった後、へブル人を打っていたエジプト人を殺し、発覚を恐れて逃げ、ミデヤンの地で40年を過ごした。 そのようなモーセには、へブル人のリーダーとなる資格があったとは到底思えない。 これに対して反論があった。 「いや、それこそが神の選びだと思う。 モーセは主の弟子として、リーダーとして神のご計画のために大きな仕事をした。 人間の知恵ではわからない。 私たちもなぜ選ばれてクリスチャンになれたのか、恐らく、誰もわからないのではないか。」 一同、感謝。
以上