2025年12月4つの集会のご報告です。
1) 「集会1」; 12月6日(土)、午前、「集会1」をリアルとZoomで開きました。 16名参加。 賛美は「とうとき泉あり」と「愛するイエスよ」でした。 メッセージは中川先生のコリント人への手紙第一#16、「偶像に献げられた肉(2)ー使徒職の弁明ー」、聖書箇所、Iコリ9:1~27、を視聴して分かち合いました。 パウロは、福音伝達は神から与えられた使命である、と書き記したことに、現代の私たちにもそのことは適用できる、それは中川先生から指示されて行なうことでもなく、フォーラムリーダーの命令でもない。 神から一人一人のクリスチャンに与えられたものだ、と分かち合いました。 このことについて質問が出た。 神からの使命であることはわかった。 ところで相手が精神的な病を持っていたり引きこもりのような人に対してはとても難しい。 どう福音伝達をすべきだろうか。 いくつかの意見が出た。 そのような方々には否定することはすべきでない。 パウロが言うように弱い人に対しては自分も弱くなって対処すべきだ。 ある兄弟は言った。 相手の身になって対処すべきはもちろんだ。 ただ、福音伝達は最終的には神がなさるものだと思うので、私たちはそのような方々の救いは神がなされることを忘れてはならない。 私たちがなすべきことは、相手が神と直接交流できるように考えて接し、その方が神に向き合えるように祈ることだ。 このことには皆が合点した。 最終的には絶対的な権威を持っておられる神がなさってくださる。
2) 「集会2」: 12月13日(土)、午後、「集会2」をZoomで行ないました。 12名参加。 賛美は「みかみの愛をば」でした。 メッセージは中川先生の使徒の働き#99、「ローマ到着」、聖書箇所、使28:11~31、を視聴して分かち合いました。 いよいよパウロはローマに到着した。 パウロはユダヤ人たちを二度にわたって自分の家に呼び集めて語り続けた。 神の国(メシア的王国)のことをあかしし、ヘブル語聖書に基づいてイエスがメシアであることを説得しようとした。 適用として今を生きる私たちも旧約聖書をしっかりと正しく読む必要があると分かち合った。 そのように分かち合っている中で、ある兄弟から質問が出た。 「旧約聖書を正しく読む必要があるということはその通りだと思う。 ただ、なぜ旧約聖書は神の国であるメシア的王国までしか啓示しなかったのだろうか」 別の兄弟は言った。 「なぜかはわからない。 しかし、聖書塾では啓示は漸進的に行なわれてきたと学んでおり、旧約ではメシア的王国までの啓示となっているのではないだろうか。」 その後、この兄弟は中川先生の「創世から新天新地へ」というメッセージを聞いて、皆さんにこうメールで共有した。 「この中川先生のメッセージを聞いてなぜ旧約聖書がメシア的王国までしか啓示していなかったのかがわかった。 それは、①聖書が神の救済史の記録をしており、②旧約聖書はその神の救済史の進展を記している、そして、③新約聖書は神の救済史の成就を記しており、④新天新地は神の救済史の完成である、ということだ。」 質問をされた兄弟も分かち合いをした皆さんも納得してくれた。 感謝。
3) 「礼拝、聖餐式、クリスマス祝会」: 12月21日(日)礼拝、聖餐式、クリスマス祝会をZoomとリアルで開きました。 21名参加。 賛美は「もろびとこぞりて」と「かみのみこはこよいしも」でした。 この日はメッセージはなく、YF姉妹、MF姉妹、HI姉妹の証しをしていただきました。 いずれも主にある者として正直な証しとなり、苦難の中でも主イエスがとりなしてくださったことを話してくださり、皆胸を打たれるような思いでした。 この日はハーベストBeacon#4の「あなたのために救い主が生まれた」をMA姉妹に朗読してもらい、主に感謝した。 そして礼拝の後、場所を移動して昼食会をしました。
4) 「集会3」: 12月27日(土)、午前、Zoomで開きました。 19名参加。 賛美は「すみよりもくろき」でした。 ルカの福音書#42、十字架の予告、聖書箇所、ルカ9:21~27、を聞いて分かち合いました。 このメッセージを通して、救われることと、イエスに従いイエスの弟子になることとは別のことだと教えていただいた。 このメッセージはある意味で重いテーマでもあった。 救われた時、私たちは自動的にイエスの弟子になったような気がしていたが、イエス様は「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」とおっしゃられていました。 自分を捨てるとはどういうことだろうか、日々自分の十字架を負うとはどういうことか、また、イエス様に従うとはどういうことか、を分かち合いの中で新たに教えていただき、自分の信仰に真剣に向き合うことができました。 私たちはいずれキリストのさばきの座に向かいます。 それは、地上の信仰生活の吟味であり、厳しさがあると同時に恵みの要素があることも学んだ。 聖書は完璧な書であり、感謝にあふれている。
以上









