(久我山の神田川で、アオサギ、シロサギ、カワウが勢ぞろいしていた)
2025年11月の4つの集会のご報告です。
1) 11月2日(日)、午前、「集会1」をリアルとZoomで開きました。 15名参加。 賛美は「御国の心地す」でした。 メッセージは中川先生のコリント人への手紙第一#15、「偶像に献げられた肉(1)、ー愛は知識に勝るー」、聖書箇所、Iコリ8:1~13、を視聴して分かち合いました。 パウロは、信者はキリスト者は自由を与えられているが、偶像に献げられた肉を食べるのを見た弱い人がつまづくなら、自分は決して肉を食べないと書き送った。 ここから活発な分かち合いとなった。 今の私たちにも、自由ではあるがまわりの人をつまづかせるなら、キリスト者の自由を制限すべきかどうか、について話し合った。 具体的には、救われていない親族や親しい知人が仏式の葬儀となった場合、葬儀そのものに出るべきでない、また、お焼香をすべきでないかどうか、全員の考えを述べ合った。 ある姉妹は彼らに対するレスペクトから仏式の葬儀にも出るしお焼香もすると言った。 別の兄弟は葬儀には出るけれどもお焼香は偶像礼拝と同じだからやらない。 また別の人は仏式だったら葬儀そのものに出ない、と言う。 結論としてある男性信者が言った。 私たちは肉体の死後主の前に立つことになるので、そこで、どれが正しいのか主から教えてもらえる。 ただし信仰の弱い人をつまづかせないためには、自分たちキリスト者の自由は制限すべきだろう。 また私たちは、死後、キリストのさばきの座に立つ。 メシア的王国で主から報酬をいただくことも頭に置いて行動すべきということも忘れてはならないと思う。
2) 11月8日(土)、午後、「集会2」をZoomで開きました。 11名参加。 賛美は「イエスはわがいのち」でした。 メッセージは中川先生の使徒の働き#98、「マルタ島上陸」、聖書箇所、使28:1~10、を視聴して分かち合いました。 メッセージの最初で4つのF、①Fear(恐れ)、②Facts(事実)、③Faith(信仰)、に加えて4つ目のFを中川先生は、④Flexible(柔軟性)、と指摘され、パウロが柔軟性をもってこの時に対処したと説明してくださった。 今の時代に過ごす私たちは政治的、経済的、文化的に揺れ動く世界の中に置かれているが、このメッセージの適用としては3つ目まではそのまま適用してよいと思うが、4つ目は信仰には適用されないと思う。 信仰に柔軟性は求められていない。 信仰は堅個であり揺れ動かされないと考える。 私たちはみことばによって信仰を堅個に保つ人たちであると分かち合った。
3) 11月16日(日)、午前、礼拝と聖餐式をZoomとリアルで持ちました。 20名参加。 賛美は「なやみ多き浮き世」、「雨を降りそそぎ」でした。 メッセージは岩﨑のIペテロ#8、「試練に関して」、聖書箇所、Iペテロ4:12~19、を聞いて分かち合いました。 このメッセージからたくさんの適用を学びましたが、その中でも以下は今の私たちクリスチャンにとって大切な教えでした。 ①救われた後も試練はやってくる。 それを思いがけないことが起きたと受け止めてはならない。 試練は神が信者を精錬するためのものと受け止めて静まって祈ろう。 ②神へのゆだねはペテロが言う通り非常に大切な戒めだ。 神へのゆだねが不足すると信仰が揺らいでしまう。 逆に試練のなかでも神に委ねた時にこの世にはない平安が与えられる。 ペテロに感謝。
4) 11月22日(土)、午前、「集会3」をZoomで開きました。 16名参加。 賛美は「罪深きこの身を」でした。 メッセージは木林長老のルカの福音書#41、「ペテロの信仰告白」、聖書箇所、ルカ9:18~21をベースにして、マタイ16:13~20を聞いて分かち合いました。 ペテロはイエスに向かって「あなたは生ける神の子キリストです」と答えたが、「神の子」とはどういう意味かとの質問が出た。 それは、父なる神から生まれたという意味ではなく、イエスが神と同質のお方であり、福音の3要素もこの告白を土台として成り立っているものだと教えていただいた。 イエスは100%神であり、100%人であるという神概念を改めて嚙みしめることができた。 私たち現代のクリスチャンにとって、今回のメッセージは非常に重要だと考え、感謝した。
以上









