杉並聖書フォーラム

2025年8月~9月の集会のご報告です。

2025.10.31

カテゴリー:前々月の集会のご報告

 

 

2025年8月~9月の集会のご報告です。

 

 

1) 8月は夏休みで集会はありませんでした。

 

2) 9月は1回だけ集会がありましたのでご報告します。

9月21日(日)、午前、礼拝と聖餐式をZoomで持ちました。 メッセージの代わりに、岩﨑の証しをしました。  証しの内容は下記の通りです。

 

【岩﨑洋二の証し】

最初に皆さまにお祈りいただいてきたことを心から感謝します。 9月18日にやっと退院することが出来ました。 今回の入院は何と58日間にもなってしまいました。 手術と長期の入院でいくつか示されたことがありました。 今日はその証しをさせていただきたいと思います。

 

1.手術台に向かう時も平安だった:

私は6月の人間ドックで肝臓に異常が見つかり、エコー検査やMRI、造影剤CTなど、再検査を繰り返しました。 その結果、左の肝臓の1/3にある肝臓内胆管で何かが詰まった状態になっており、手前は細くて正常だが、向こう側が拡張していることが分かりました。

 

原因としては、①結石が詰まっているため、②何らかの炎症で詰まった、③癌が発生して詰まった、という3つの可能性がある。 また、この状態を放置すると肝細胞癌になる可能性もあり、この1/3の肝臓を切除する手術を受けることになりました。 すでに胆のう内に胆石があったこともあり、同時に胆のうも切除することになりました。

 

7/23(水)に入院、7/25(金)朝8時半に一般病棟を出て手術室に向かう。 この病院は日赤の中でも最大規模のビルで、1~3階はほぼすべてのカテゴリーをカバーする診察箇所があり、5階から12階までは数百人以上を収容できる病棟がある。 手術室は4階にあった。 もし救われる前の自分だったら、「えっ、手術は4階で行なわれるの。 縁起でもない」と思ったに違いない。 車イスでその手術階に着いた。 冷房ががんがん効いていて寒いくらい。 入口を入ると真ん中の広い通路を挟んで、左と右にそれぞれ十室近くの大きな手術室がある。 私は右の5番目の手術室に入る。 手術室もやけに広い。 冷たい手術台の上に寝かされ、コの字に身体を丸くして、背中に麻酔薬投与の出入り口が埋め込まれる。 部分麻酔で処置されたが痛かった。 やがて麻酔薬が投与されて意識がなくなる。 事前の説明では手術のための本格的な麻酔は肺の中に器具を挿入して行われると聞いていたが、もうその時点で意識がなくなっていたので、まったくわからなかった。

 

手術室に向かう車イスの上でも、コの字に寝かされて麻酔処置される時も、不思議に平安でした。 みこころだけがなりますように、と祈ることができた。 これから手術が始まるという恐れはすべて主が取り除いてくださいました。 自分でも驚くほど平安な時間だった。

 

ダビデが歌っているように、信頼してゆだねた時に主は直面する苦難のとりでとなってくださることがよくわかった。

 

詩篇37篇5、39(新改訳3版)

37:5 あなたの道を【主】にゆだねよ。 主に信頼せよ。 主が成し遂げてくださる。

37:39b 苦難のときの彼らのとりでは主である。

 

午前9時ころに手術は開始されたらしい。 気がついたのはICUで名前を呼ばれた時でした。 「今何時ですか」 「午後4時です」 手術は7時間に及ぶ大手術だったことがわかる。 ぼーっとしていたが、執刀した医師から簡単な説明があった。 「手術はうまく行った。 癌のようなものはなかった。 でも病理検査はかなり時間がかかるので、今は癌でないとは言い切れない」。

 

2.このあと何年かわたしのために働きなさい:

執刀医からこう言われた時、何か主から、「あなたにはこのあと何年かの時間的猶予をあげるから、わたしのために働きなさい」と言われたような気がした。 私は既に81歳と高齢になっている。 会社の同僚たちには亡くなった人もかなりおり、フォーラムでの奉仕もそろそろ手じまいすべきか、などと考えていた矢先でした。

 

でも聖書には、主がファラオのところに行って民を解放せよと命じられた時、モーセは80歳、アロンは83歳になっていた、と書かれていたことを思い出した。

 

出エジプト記7:6~7

7:6 そこでモーセとアロンはそのように行った。 【主】が彼らに命じられたとおりに行った。

7:7 彼らがファラオに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。

主を賛美しました。

 

巨大な手術室群がある4階には20室近い数のICU室が併設されていた。 ICU室も広い。 そのICUの一室に移動。 手術直後は不思議に痛みがなかった。 しかし、体じゅうに管がつながっていて身動きが取れない。 誤嚥を防ぐため鼻から胃までつながれた管、首の静脈につながれた点滴の針、両腕にも点滴の管がつながっていた。 お腹には数本の管がつながれている。

 

しばらくして、痛みが繰り返し襲って来た。 痛み止めの点滴を強めてもらったが、ほとんど眠れず。

 

ICUの2日目。 身動きは取れず仰向けに寝たままだ。 でも別の点滴からも痛み止めを点滴してもらい、夜は短時間ながらやっとぐっすり眠れた。

 

翌日の午前、ICUから病棟に戻る。 少し元気が出て来たので、事前に持ってきていた携帯レコーダーで、13年前に杉並聖書フォーラムの開所式で語っていただいた中川先生のメッセージを聞いた。 「聖書が教える世界観」というテーマだった。 ほとんど忘れていたが、すばらしい証しメッセージであり、真理がぎっしり詰まっていた。 なつかしい田村さんの声も入っていた。 感激して何度も主に感謝した。 夕方、初めて食事が出たが重湯(おもゆ)に加え、すべて流動食。 こんな食事は3分で済むと思っていたが、飲み込むのに時間がかかり、30分以上かかった。

 

3日目、やっと一本の管が取られたが、まだたくさん残っていて身動きは取りにくい。 朝食は相変わらず流動食だったがやはり30分以上かかった。 なかなか力が出ない。 自分でからだが支えられない。 でも不思議に主から離れずに過ごせている。 昼食は、初めて米つぶがみえるお粥だった。 固形のおかずも出た。 少しづつ、力が出るようになる。 主に感謝。

 

4日目、少し元気になったので、パソコンを開いて中川先生のローマ人への手紙#1をネットで聞いた。 すごくよかった。 メッセージが終わりに近くなったころ、執刀医が急に顔を出し、パソコンの画面を見て、「いろいろなことが出来るようになってきましたね」とにっこり。 どうも私がクリスチャンであることがわかったらしい。 身動きがまったく取れなくても、信仰の証しができることがわかって、うれしくなった。

 

IIテモテ4:2

4:2 みことばを宣べ伝えなさい。 時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。

 

5日目、やっと固形物の食事ができるようになった。 6日目、背中の麻酔薬投入口が外された。 少し身動きが楽になる。

 

3.これは訓練と思って耐え忍びなさい:

7日目、医師から白血球の数値が増加し、炎症反応が出ていると知らされ、術後の回復処置が中断される。 造影剤CTも取った。 肝臓そのものには異常はなかったが、翌日から炎症反応を抑える抗生剤の点滴が始まる。 この抗生剤点滴はこのあと10日以上続くことになる。 また、その翌々日に足脚に赤い無数の発疹が出た。 炎症反応に加えてまたひとつ難題が加わる。 このため、8月中旬には退院できるかも知れないと期待していたのが挫折した。 来る日も来る日も、本来の回復処置ではなく、どんどん遠回りして行く。

 

数日経った頃に、ある気づきが与えられた。 炎症反応や発疹に気を取られて知らぬ間に父なる神から離れてしまっていた。 医療処置が遠回りして精神的にも肉体的にも辛い思いになっている自分には、父なる神からの忍耐への訓練が必要だったことに気づいた。 へブル書を思い出した。

 

へブル人への手紙12:3~13

12:3 あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。 あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。

12:4 あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません。

12:5 そして、あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。 「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。 主に叱られて気落ちしてはならない。

12:6 主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」

12:7 訓練として耐え忍びなさい。 神はあなた(がた)を子として扱っておら

れるのです。 父が訓練しない子がいるでしょうか。

12:8 もしあなた(がた)が、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。

12:9 さらに、私たちには肉の父がいて、私たちを訓練しましたが、私たちはその父たちを尊敬していました。 それなら、なおのこと、私たちは霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。

12:10 肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。

12:11 すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。

12:12 ですから、弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。

12:13 また、あなたがたは自分の足のために、まっすぐな道を作りなさい。 足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろ癒やされるためです。

 

このあと何年か主のために働くためにはこの主の訓練が必要だった。 「主よ。 あなた様の訓練をよろこんで受けます」 膝間づいて祈った。 急に私自身のまわりが明るくなったように感じた。 主はすばらしい。 主の愛は人の思いをはるかに超えて注がれる。 それからの遠回りの医療処置は喜んで受けられるようになった。 退院時期が遅れることはまったく気にならなくなった。 父なる神が「もういいよ」と言ってくださる日まで待とう。

 

8月後半に入って炎症反応は治まり、足脚の発疹も治った。 しかし、高齢のこともあってか、管抜きの処置は一進一退を繰り返す。 でも父なる神からの訓練を受けていると思うと、今は遅れはまったく気にならない。 逆に、じっくり時間をかけたお陰で体力はじわじわ元に戻ってきている。

 

できれば8/29の木林長老の特別集会の前には退院したいと思っていたが、果たせなかった。 でも、主は私が出られなくても特別集会は大いに祝福してくださった。 父なる神に改めて感謝の祈りをささげた。

 

4.喜びなさい。 もう一度言います。 喜びなさい:

退院が延び延びとなる中、聖句が浮かぶ。

ピリピ4:4

4:4 いつも主にあって喜びなさい。 もう一度言います。 喜びなさい。

 

この聖句の文脈は、パウロがピリピの教会の信者たちに向かって「地上でどんな苦難に出会っても主から離れてはいけない。 キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みとするな。 義のゆえに生きる生活をして、喜びなさい」と書き記した励ましの聖句です。 でも今回の私の経験にぴったり適用できる。 そうだ。 喜んでいいんだ。 退院がいくら遅くなったとしても、入院生活の一日一日を喜んで過ごそう。

 

私の80年を超える地上生涯には「主にあって喜ぶ」転換点がいくつかあった。 そのうちの一つは42歳になったころ、やっと救いにあずかったことだ。 それまでサタンが支配する地上でさまよい続けていた私は、不思議にも急に聖書を読みたくなり、イエス様が私のために十字架で身代わりとなって死んでくださったことを信じて、救われた。 あの時、小躍りするように喜んだことは忘れない。

 

今回の手術と長い入院生活はもう一つの転換点になった。 今、救われた時と同じ「主にある心からの喜び」を味わっている。 もし救われていなかったら、今回の経験は「ついてないなぁ。 なぜこんな目にあわなくてはならないのだろうか」と愚痴っていたに違いない。 自分勝手でわがままな性格そのものの私なのに、父なる神は、手術前に「わたしがついている。 わたしは主である」と言ってくださった。 手術が終わった直後に「あなたに何年か猶予をあげるから、わたしのために働きなさい」とささやいてくださった。 そして、入院が大幅に長くなった今も「わたしは、今あなたを訓練している」と言ってくださる。 更には「喜びなさい。 もう一度言う。 喜びなさい」と励ましてくださる。 私は何と幸せ者だろうか。 感謝しても、しきれない恵みだ。 救いにあずかって一丁あがりではない。 信仰生活でも同じ喜びにあずかれる。

 

Iペテロ4:13

4:13 むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。

 

その後、病理検査の結果が出た。 癌組織はなかった。

                                                                                                     以上

 

 

杉並聖書フォーラム

代表:岩崎 洋二

   副代表:西平  薫
       岩崎 直美

杉並には神田川が通っています。 上の写真は9月に久我山で撮った写真です。 丸囲みの写真は、散策している時に見つけたきれいな初秋の花です。

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