(秋の空は美しい。 すべてをお創りになった主を賛美します。)
【杉並聖書フォーラム分かち合いの概要】: 第128回目、12月8日(土)浜田山会館2号室にて実施。 16名参加。 使徒の働きCD#17、「第二回目の教会成長報告」、聖書箇所:使4:32〜37、を聞いて分かち合った。
① エレサレム教会は二万人以上いたとあったが、当時、家の教会であったとすると、そんなに多くの人数を収容する家があったのか疑問に思う。 これに対しては、新改訳聖書の使:2:46「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、・・」の「家で」は「家々で」とも訳されると書いてあり、宮で集まった後に、多くの家で交わりがあったのではないだろうか、との意見が出た。
② 教会とは何だろうかとの意見が出た。 多くの信者が建物のある教会で礼拝を経験している。 しかし、教会とは何かと論じる時に、礼拝ついてもそれは何かを論じるべきだ。 礼拝は「主の祈り」や「使徒信条」を朗読し、メッセージを聞いて、献金をした後、牧師の祝祷で終わるものだと、何となく思ってきたが、聖書が言う礼拝とは「神に近づくこと」だと示されたとある信者が言った。 主が中心におられるところで主に近づくならば、それこそが真の礼拝と言えるのではないだろうか。 そう考えると、この杉並のバイブルスタディも恵比寿の定例会も礼拝と言える。 そうすると義務感ではなく、群れに集って主に近づくことは楽しいことと思える。
③ 地域教会が一概にダメとは言えない。 数は少ないかもしれないが、きちんと聖書のみ言葉を発信している教会がある。 そういう教会とは「共生」して行きたい。 KT兄の洗礼式が予定されている12月23日の成城キリスト教会に何名かの杉並メンバーも参加したいと言っている。
以上
(紅葉と秋の真っ青な空。 これも主がお創りなりました。 ハレルヤ。)