(北海道、北見の、クリスチャン寿司店、中鮨さんの前で撮影。 主を賛美します。)
2017年9月27日(水)実施。 18名参加。
【分かち合いのご報告】 出エジプト記CD#41「祭司の聖別」(聖書箇所:出29:1〜31)を聞いて分かち合った。
① 少し唐突な質問かも知れないが、祭司はどうして男性のみなのか、また、犠牲の動物は雄牛と雄羊だけなのか。 これに対してある信者が答えた。 人間の知恵ではなぜかはわからない。 祭司が男性であることは、聖書を通して神が語られたことだ。 また、犠牲の動物は雄牛や雄羊以外に、やぎや鳥も聖書に出て来る。 これも神が聖書を通して決められたことだ。
② 神はイスラエル人を招いておられるが、異邦人である私たち日本人は招かれていないのだろうか。 いや。 神は異邦人も招いておられる。 創17:4〜6にはアブラハム契約の祝福はアブラハムとその子孫だけでなく、アブラハムを通して多くの国民にも約束している。 この箇所を声を出して皆で読んだ。 【わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。 あなたは多くの国民の父となる。 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。 あなたの名はアブラハムとなる。 わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。 わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。】 更にロマ書では接ぎ木のたとえで祝福が異邦人にも与えられると書かれている。
③ 人間的な考え方かも知れないが、もしイエス様がこの時代に受肉していれば、長い回り道をしなくても良かったのではないか。 それは神のご計画だ。 ディスペンセーションも神のご計画だ。
④ 創世記、出エジプト記をずっと学んで来て、神が介在された歴史を感じることができる。 特に幕屋とキリストの対比は、旧約から新約へのつながりがよく分かる。 幕屋はシャカイナグローリーが現われた場所で、神はイスラエルの民の間に住まわれた。 出エジプトの体験は神を知るためのものだ。 感謝。
以上
(これも北海道北見で撮影しました。 主は実りを私たちに与えてくださるお方。)