2017年1月25日(水)実施、13名参加。
【分かち合いのご報告】 出エジプト記CD#27「モーセの律法の7つの側面」(聖書箇所20:1〜17)を聞いて分かち合った。
① 「モーセの律法が終わった」とあるのはどう捉えたら良いのだろうか。 今日のメッセージでは「モーセの律法にはたくさんの適用がある」と説明があったが、教会によっては現代の私たちには適用されないのだから学ぶ必要がないとか、「山上の垂訓」を学ぶことで充分ではないか、という意見もある。 これに対してある信者は言った。 「神が全人類救済計画をどのように推移して来られたかを学ぶことには大きな意味がある。 聖書全体が7つのディスペンセーション(時代)で推移してきており、その中の律法の時代がどのような位置づけになっているかは、歴史的にも、文脈としても知っておく必要がある。」
② 律法の7つの側面の中の5つ目、「律法は人にもっと罪を犯させる力となる」は納得しにくい。 なぜ神はそのような側面のある律法をユダヤ人に与えたのだろうか。 これに対してはいろいろな意見が出た。 「人の罪を示す」側面と「人を信仰へと導く」側面と関連しているのではないか。 人間の知恵ではなかなか理解できないが、人間の罪の性質をよくご存じの神がそうされたのではないか。
③ ある姉妹が短い証しをした。 「父が仏教に浸りきっており、自分を寺の法事があるたびに出るように誘って来るが断り続けてきた。 でも、今日のメッセージを聞いて神が示してくださる愛の表現として時には出ることも必要かと思わされた。」 これに対して「キリストの律法にもある”他の神々を拝んではならない”ということを守るなら、例えば、お焼香は出来ないと事前に断って、そこに行くことは構わないのではないか」
④ 律法が既に終わったと言う箇所に出て来る「メルキゼデクの位の祭司」というところがよくわからない。 これに対して、正にへブル7:12にあるように「祭司職が変われば律法も変わらなければならない」ということを示すために出て来たものだと思うと発言があったが、納得いかないまま時間切れとなってしまった。
以上