【分かち合いの概要】 10/8(土)実施、15名参加。 出エジプト記CD#21、「シンの荒野にて」(聖書箇所、出16:1〜36)を聞いて分かち合った。
① 以前ここを読んだ時に「マナを一日分」というところが堅苦しいと思ってしまったが、今日のメッセージを聞いて神からの愛に基づく試みだったことを知った。 神を信頼するためのものだった。
② つぶやきの原因のところで「混じって来た人の存在」とあったがよくわからない。 これに対して、出エジプトをしたのは殆どがイスラエル人だったが、奴隷となっていた他の民族も混じっており、最初につぶやいたのがその人たちだったと、少し前のメッセージで出て来た。 納得。 でもつぶやきの本質は、神の啓示への理解不足、以前の(奴隷)生活を忘れてしまうこと、信仰がないこと、などだ。
③ 日々のデボーションも忙しいとできないことがある。 しかし、日々のマナのように、デボーションこそ私たちの特権であり、恵みだとわかった。
④ ある短い証しがあった。 友人の年取った母親の救いをずっと祈ってきているがなかなか信じてくれない。 でもメッセージの中に出て来た「つぶやいた民が荒野の方を振り向いたときに神の栄光が雲の中に現われた」との出16:10を読んで、自分の思いや希望ばかりが強かったと反省した。 救いは神がなさることで、祈っているのに救われないと言うのは「つぶやき」だった。 そこから発展して分かち合った。 身内の人たちに対する伝道こそ難しいが「あきらめたり、つぶやいたりしてはならない」と確認し合えた。 ハレルヤ。
以上