【分かち合いの概要】 14名参加。 聖書箇所 6:28〜7:13
出エジプト記メッセージCD#9「パロとの2度目の対決」を聞いて分かち合った。
① 神はパロを頑な(かたくな)にされたとあったが、それはなぜだったのだろうか。 エジプトは偶像礼拝の国だったことや、パロがプライドの高い人間だったこと、また、政治的な背景があったことなどだと思う。 あの対決の時にもしパロが悔い改めていたなら、あのような災いに遭わなかっただろう。 神がそうされたというよりも、パロは元々頑なな人間だったと考える。
② 信仰の危機の本質を理解し、神の力を体験的に知る、そして、悪魔との戦いの本質を知るのは、正しい聖書研究に秘訣があると結論にあった。 ともすると聖書研究が神学的研究のように感じてしまうが、それは違うと思う。 ある信者が自分の経験として語ったが、例えば聖書を現在の自分たちに引き付けて読んでも理解できないし、判断力は養えない。 ここで言う聖書研究とは、聖書を字義通りに読むこと、その箇所の文脈や時代背景を知り、誰に向けて書かれたか、という学び方のことであって、そのためにへブル的知識や歴史も学ぶ必要がある。 そうすると聖書のみことばに基づく判断力が神から与えられる。
③ 信じた時に聖霊のバプテスマを受けたことを「神の太鼓判を押されている」とメッセージにあった。 私たちは肉体的に母の胎から生まれたことを覚えていないように、聖霊のバプテスマを受けたという意識がすぐには持てない。 しかし、聖書を正しく理解して行くにつれて、信者のうちに聖霊が住んでいてくださることや、救いの証印が押されていることを自覚できるようになる。 「太鼓判」である証印のことはエペソ1:13〜14にはっきり書かれていると、皆で声を出して読んだ。 「この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。 これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」 ハレルヤ。
④ 教会に集う人数は減ったがクリスチャンの数は減っていないとメッセージに出て来た。 私たちの聖書フォーラムは教派、会派を超えてバイブルスタディをしているが、教会を離れた人たちが半分くらいいる。 勿論、すべての教会が失速しているとは言えないが、フォーラムやメッセージステーションを通して、信者の数が減っていないことに同感する。
以上