(写真を撮ってくださった兄弟が入っていませんが、12/12(土)の杉並聖書フォーラムに参加された方々の集合写真です。 今後は毎回写真を掲載したいと思っています。)
12/12(土)浜田山会館で実施、14名参加。
【分かち合いの概要】 出エジプト記3:11〜22、CD#4「モーセの言い訳(1)」を聞いて分かち合った。 ①モーセが、召命を受けた時にした二つの言い訳は、いずれも神に対する信頼がどれほどあったかという裏返しだったと思う。 現代の私たちのつぶやきもこの時のモーセと同じなのだろう。 そういうときに神に立ちかえることが最短の解決策だ。 ②神から最初に回答があった「わたしはあなたとともにいる。 これがあなたのための“しるし”である。」というのが、実現したことが後から振り返って神が介入されたゆえだったと分かることだ、というのは目からうろこだった。 杉並聖書フォーラムは既に3年を過ぎた。 正に、振り返って見て、神が共にいてくださったという“しるし”だ。 ③二つ目の神の回答である「わたしは『わたしはある』という者である」というみことばは人間の知恵で理解しようとしても難しい。 「自立自存の神」、「自足している神」、という二つはわかる気がするが、「すべてを包含している神」、「いかなる限界もない神」、というところは御名の啓示からは見えない。 でも、黙示録22:13「わたしはアルファであり、オメガである。 最初であり、最後である。」を読むと、永遠の昔から永遠の未来まで存在される神であると、納得する。 ④へブル的視点で聖書を読み、終末論が見えるようになった。 今の世界情勢を見ると、誰も、どの国も解決できないような方向に向いていて、神の計画が進んでいるようにも感じる。 これに対して何人かが自分はそうは思わない、テロ事件やISという特殊なグループが出ていることを終末論に結び付けるのは違うように思う、との意見が出た。
以上
(フルクテンバウム博士が一日おきに2時間歩いて地上生涯の肉体の維持をされているとお聞きして、私《杉並聖書フォーラムのスタッフ、岩崎洋二》も毎日歩きの運動を始めました。 スマートフォンを持って、いつも杉並の裏道を歩いていると、それまで気づかなった家々の庭に咲くきれいな花が目に留まり、写真に撮る趣味も加えられました。 それらを新しい聖書フォーラムのページにアップしています。 都度主を讃美しながらやっています。)