(上の写真は、杉並の探索中に撮った真っ赤に紅葉したドウダンツツジです。)
杉並聖書フォーラム: 11/25(水)、12名参加。 出エジプト記3:1〜10。
【分かち合いの概要】 出エジプト記CD#3「モーセの召し」を聞いて分かち合ったが、そのテーマは「神についての再発見」と「召命とは人生の方向転換の勧め」であった。 ①メッセージを聞いて、神様はどういうお方であるかを改めて思い起こさせていただいた。 私たち一人一人の名前を覚えて、呼んでくださっているお方であり、とても近くに感じた。 ②契約の神は行動される神だという箇所から発言があった。 「11/20〜21のリーダーシップセミナーで、日本人がクリスチャンになることを妨げているのが ‟明治維新で始まった、宗教でない国家神道と天皇制のゆえだ”と説明があったが、自分は“日本人、特に若い人たちの多くが、現実主義、物質主義だからではないかと思う。 リバイバルなど日本に起こる気配さえ感じない”」と言う。 これに対しては反論があり、日本人よりもはるかに現実主義、物質主義の米国には多くのクリスチャンが生まれているし、あの国家神道の話はやはり妨げの一つになっていると思う。 ③そこから発展して、“お寺での墓参りや葬儀での焼香、神社への初詣なども、人間関係から来るお付き合いとか、日本の文化であって、宗教とは全く思わない”との意見も出た。 これに対してある信者は、「“そのような行動は宗教ではない”というのは人間の考えであって、聖書を読むと、私たちが信じている創造主はそういうことは忌み嫌うお方であるとわかり、自分はクリスチャンになってから、やらなくなった。 注意しないと目に見えない闇の力に惑わされてしまう。 主がどうお考えだろうか、を先ず判断基準にすべきだ。」と言った。 ④別のある信者が自身の短い証しをしてくれた。 育った家族の中で自分だけがクリスチャンになったが、ある時を境に大きな変化があったわけではない。 仏教は幼いころから染み込んでいた。 日本人は神よりも人を大切にしたり、律法を重くみない国民性もある。 でも時間をかけて、信じることができるようになった。 無理をして信じなければならないと思わず、自然体で良いのではないか。 神様が導いてくださる。
以上
(写真は、イスラエル、ユダの荒野です。)