パウロはアンティオキア教会でのエピソードを紹介します。
律法主義者(ユダヤ主義者)たちの主張・存在が教会の一致・平和にとっていかに危険なものであるかを知ることができます。
エルサレム会議の時、パウロの背後にはバルナバを始めアンティオキア教会がいましたが、この時は、そのアンティオキア教会が二分されバルナバさえも間違った行動を取ってしまいました。
パウロの毅然とした態度がなければアンティオキア教会はどうなっていたのでしょうか。
またこのエピソードは、パウロがペテロと同格の使徒であることの証明でもあります。
パウロにこのような行動を取らせた彼の確信、福音の真髄が彼の口から語られます。
彼の体験であり聖霊が語らしめた福音の真髄です。
「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです」(ガラ2:19~20)
そして、この体験はたとえ言語化できなくとも、これは私たちの体験でもあります。
続く、パウロの告白が私たちの告白ともなりますように。
「私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます」
礼拝の中で主がご自身の民に恵みの御業をなさってくださいます。
生けるささげ物として御前に共に進みでましょう。