著者は誤った教えと厳しい迫害のためにユダヤ教への回帰を考えていた兄弟たちを励ますためにこの手紙を書きました。
モーセの律法に基づく神殿礼拝のユダヤ教とキリストの御業により天の至聖所での礼拝を可能にした福音とを比較し、完全な贖いの素晴らしさを証明しました。
ユダヤ教への回帰はあり得ません。もはやそこには救いはありません。モーセの律法はその役割を終えたからです。
「信仰が現れる前、私たちは律法の下で監視され、来たるべき信仰が啓示されるまで閉じ込められていました。こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。
しかし、信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません。あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです」(ガラ3:23~26)
今回は2つの山の対比によってモーセの律法がもたらしたものとイエス様がもたらされるものが対比されています。
あなたが目指すゴールは、「地上のシナイ山」ですか。それとも「天にあるシオンの山」ですか。
「天にあるシオンの山」には、私たちの先導者であり完成者である主イエス様がおられます。キリストはご自身の血によってすべての罪を永遠に取り去られました。
「地上のシナイ山」に留まることは恐ろしい結果をもたらすと著者は、警告します。
私たちには、道を切り拓き、先にゴールに到達された救い主が既に与えられています。
元の道に戻ることに意味はありません。
ただこの方を見上げ、この方が辿られた道筋を歩んで参りましょう。
私たちのゴールは、生ける神の都、天のエルサレムです。