へブル書を通して学んだ知識をエンジンとするなら実践は車輪にあたります。エンジンの動力をスムーズに変速機から車輪に伝えるためのクラッチの役割が今回のメッセージです。
信仰者が歩むべき道について前半が善行の勧め、後半が信仰上の勧めで合計11のサブポイントがあります。
1.兄弟愛 このまがった時代を信者として生き延びるための武器が兄弟愛です。神を恐れて歩むことの秘訣は神を恐れる人とともに歩むことです。
2.旅人のもてなし 旅人をもてなすことは兄弟愛の表現です。へブル書の文脈では迫害から逃げている人であり、彼らを家に泊めることは危険を伴うものでした。しかし神様は旅人をもてなす人に祝福を用意しておられます。
3.牢にいる人々の訪問 キリストへの信仰のゆえに投獄されている人を訪問することは危険を冒すことでした。しかし訪問者は投獄されている人のうちにキリストがおられるという確信がありました。信仰のゆえに彼らは行動しました。
4.苦しめられている人々への憐み 信仰のゆえに迫害されている人びとに対する思いやりを忘れてはなりません。私たちも同じ苦しみを経験してきたのです。まだ迫害の経験がなかったとしても将来その苦しみに会う可能性はあります。
5,結婚への敬意 結婚は人類の堕落の前に神が造られた制度です。それは良いものであり罪の要素はありません。21世紀の現在と当時のギリシア・ローマ的価値観は驚くほど似ています。私たちはいま一度、神の価値観とはどういうものであるかをしっかりと認識する必要があります。
6.満ち足りる心 財産、地位、業績など人間が誇りとするものは全て一時的なものです。真の信者は今持っているもので満足します。私たちは神との平和を持っています。そこに思いを向けるとき満ち足りる心があふれます。
7.過去の指導者たちを思い出せ 神のみことばを語り最後まで信仰を貫いた指導者たちを良い手本とします。彼らは死にましたが、私たちが信じたイエス・キリストは、いつもともにいて永遠に変わることがありません。
8.異なった教えに惑わされるな さまざまの異なった教え(ユダヤ主義者たちのいけにえ、清めの儀式、食物規定など)に対し警告を発しています。律法主義者たちは内側に働く神の恵みを体験することがありませんでした。私たちは信仰と恵みによってキリストの祭壇から流れてくる祝福を受けます。
9.宿営の外に出よう レビ記4:11~12のいけにえはキリストの型であると著者は言います。いけにえの血は聖所に運ばれますが、からだは宿営の外(幕屋の外)で焼かれます。キリストの血は信じるものを聖なる者とし、キリスト自身は門の外で苦しみを受けました。それゆえユダヤ教という宿営を出て、キリストとともに辱めをうけようと語っています。
10.神に喜ばれるいけにえを捧げよ 新約聖書では全ての信者は祭司です。イエス・キリストは私たちが気づかないで犯している間違いさえも修正して父なる神に届けてくださいます。私たちは安心してイエス・キリストを通して父なる神にいけにえを捧げることができます。
11.現在の指導者たちに従え 地域教会の長老(牧師)には権威が付与されています。キリストの下にある指導者に信者は従います。信徒は指導者が神の命令に忠実に働いているかどうか吟味する必要もあります。神を恐れながら奉仕をしている指導者に従うことは指導者にとっても信徒にとっても大きな喜びです。
結論 1.宿営の外に出よう 世俗的社会とその価値観から分離します。和を尊ぶ日本の社会では一番戦いを感じる部分ですが、私たちは常に宿営を出てキリストと苦しみをともにするという価値観を思い出す必要があります。文脈を見るとキリストがいない場所が宿営であり、キリストがいる場所が宿営の外です。私たちはキリストのおられる場所に行きます。
2.神に喜ばれるいけにえを捧げよ 自分自身をいけにえとして捧げます。この世から分離して神に捧げようと決めた瞬間にあなたは聖い捧げものとされています。信者の賛美のいけにえはキリストを通して父なる神に届き受け入れられます。私たちの心は新しくなり満ち足りていて、人に何かを分かち合うことが喜びとなってきます。
このメッセージを学ぶ一人一人が、神学的に学んだ内容を信仰のクラッチ板を経て具体的行動に反映されますように。私たちの歩みをあなたに喜ばれるものとしてください。
動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持っていかれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。Heb13:11~12