ユダヤ教において神の祝福は、長寿や物質的繁栄という目に見える形と関連するものと考えられていました。ユダヤ的背景を持つメシアニック・ジューにとって今、自分たちが直面している苦難の意味を正確に理解することは難しかったことでしょう。
著者は、まず信仰のパイオニアであり完璧なお手本であるイエスを見上げるように励まし、次に信仰の訓練について教えます。
「信仰によって」苦難の意味を理解するとき、すべての出来事の意味が変わってきます。
著者の意図を受け止めた者にとっては、試練は単なる苦難はなく、神との関係の中でその苦難を捉えることが出来るようになったことでしょう。
神に愛されている皆様が、人間から発したまやかし、嘘、偽りではなく、真理に立つことができますように。
「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから」(ヘブル12:5~6)