2019年11月17日(日)は、コロサイ2章8-15節から「キリストの支配と権威」と題して、学びました。
Ⅰ、この世の教えとキリスト(8-10節)
パウロは、コロサイ教会に入り込んでいた異端的教えについて、空しい、だましごとの哲学、この世の幼稚な教えであると語り、そのような教えのとりこになってはならないと警告しました。キリストこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っており、すべての支配と権威のかしらであることを確認し、信者はキリストにあって満ち満ちているのだということを覚えました。キリストだけが信仰生活のための知恵と力の唯一の源であることを教えられました。
Ⅱ、キリストの御業と信者(11-15節)
パウロは、私たち信者が、人の手で行なったのではない割礼、すなわちキリストの割礼を受けたと語っている。キリストの割礼とは、キリストの十字架の死のことであり、信者は、主イエスが死なれた時に、ともに死んだということを表していると学んだ。また、キリストにつくバプテスマによって、キリストとともに葬られたこと、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたこと、さらに、霊的に死んでいた私たちがキリストとともに生かされたということを御言葉から確認した。神はキリストの十字架の死によって、私たちの罪を完全に赦し、サタンの支配と権威の武装を解除してさらしものとされたことを確認した。
※まとめとして、私たちはキリストとともに死に、ともに葬られ、ともによみがえらされ、ともに生かされている者であり、もはや罪の支配下にはなく、サタンや悪霊の支配下にもいないことを確認して、私たち信者に与えられている祝福の素晴らしさを覚えて感謝した。